雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

Hey! Mr.Angryman

2007-01-19 | 雑記
 十代の頃は、世の中の何もかもに怒りを覚えていた。
 きっと、自分のちっぽけな力ではどうにもままならないことばかりで、『世の中』という表現を隠れ蓑にして、己の不出来に怒りを覚えていたのだろう。

 二十代になると、そんな行き場のない怒りたちを、詩や音楽、時にはスケッチブックなどに叩きつけ、不出来な己を表現する術を少しずつ、身につけていった。

 そして三十代の今、こうやって振り返ってみて気付いたのだが、あまり『怒り』というものを感じなくなっている。
 だからといって、何かを悟ったわけでもない。相変わらず俗まみれだし。
 冷めてまったのだろうか?いや、そういうわけでもないのだ。

『怒り』は、不意にやってくる。

 最近の確かな『怒り』といえば、幼い子供が被害に遭うニュースなどを見ると、怒りで胸が熱くなる。子供に危害を加える奴など、生きている資格などない!と、日頃、断言を避ける私がキッパリと云える。
 
 絶対に、許せない。

 と、本気で思っているのだが、申し訳ないが、その場その時なのである。
 そこに『怒り』は確かにある。が、やはり申し訳ないが、自分には被害が及んでいないからであろう、中途半端な、『怒り』だ・・・。


 そして己の日常へ戻る。
 
 常に怒りを覚えることが良い事なのか悪い事なのかは、分からない。きっと、分からなくていいと思う。
 ただ、怒りを忘れてしまう、もしくは怒りを誤魔化す、というのは、やはり間違っていると思う。

 怒りのやり場に戸惑い、怒りの矛先に迷い、怒りの焔で身を焼き尽くす、そういう様々な苦悩が満ち溢れる世の中で生きているのだから、その現実をしっかりと受け止めて生きていかなければ、と私は考えている。

 
 などと、訳知り顔で云ってみたところで、所詮、中途半端な私だ。
 お笑い番組を観れば大笑いするし、人殺しのサスペンスドラマを観ればドキドキしながらも吸い込まれる。そして天気予報で明日の天気に一喜一憂する。
 朝になると、ニュースはまたもや、少し離れた、自分に被害が及んでいない悲惨を伝え、私はその場限りの『怒り』を覚える・・・。


 これが、生活なんだよ。悪いことでは、決してないんだ。
 
 だが、私は『怒り』を感ぜずにはおれない。

 そう、今でも『世の中』を隠れ蓑にしている自分を。





 


 追記・・・ただ、日常で起こる身の回りの些細な出来事に関しては、やはり腹を立てることが極端に少なくなった・・・これは、齢のせいだろうか?
 それともカルシウム、いっぱい摂ってるからかな?
 
 
コメント (5)
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