雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

母の日に

2008-05-11 | 雑記
 今日は母の日。

 事前に母から『母の日、なんにもいらないからね』とメールが届く。

 うがった見方をする僕は、どうにもこのメールが催促に思えてしまう。きっと本人はそんな自覚はないんだろうけど・・・。

 とにもかくにも、毎年のことなので、やはり何か贈っておくにこしたことはなかろう、と思い、あれこれ思案する。しかし、これといって特別なものも思いつかず、ほぼ毎年、「花でいいんじゃね?」と、生来の面倒臭がり根性を丸出ししていたのだが、今年は少し趣向を変えてみた。いや、ただ単に、「花は高い!」というケチんぼ根性が露呈しただけだが。

 それで、いつも行ってる山の産物を売っている店で『山うど』と『そば茶』を買って持っていった。

 突然の来訪だったが、たぶん母はなんらかの予測というか期待はもっていたであろう。うがっている僕は、そう感じてしまう。

 でも、母は、そんな僕のうがった考えを正すような、素直な喜びを見せてくれた。『山うど』と『そば茶』に。いや、きっと品物の価値ではないんだ、こうやって面倒臭がりで怠慢な親不孝者の息子が顔を出してくれるのが、きっと何よりのプレゼントなのだろう、と、手前勝手な僕は解釈する。

 しかし妻は、そんな僕の解釈を聞きつつも、やはり無遠慮に新聞紙に包んだ山うど、裸のままのそば茶に少々、抵抗を洩らしていた。

「気持ちだ、気持ち」

 僕は呪文のように唱えていた。


 そうやって、久しぶりに母との歓談を催していたら、ふと、目の端に手の平サイズのカーネーションの鉢植えを捉えた。
 僕の視線に気付いた母が、「つい、さっき、お兄ちゃんが持ってきた」と応えた。


 ふーむ、、、やはり、山うどとそば茶だけでは、少し愛想が足りないかもしれないなぁ、と、年齢からするよりもかなり無茶なファッションに身を包む母と、玄関に置かれていたまるでヤンママ仕様のキンキラなキティちゃんサンダルを思い出した僕は、色んな意味の切なさを覚え、ぎこちなく目を伏せ、口元だけで微笑ってみせていた。
コメント
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