『最後の息子』の続編的なお話。
三十を過ぎた彼は、コブつきバツイチ女性と結婚していた。その息子の入園式用にシャツとネクタイを新調するため家族で出かけた新宿のバーニーズ・ニューヨークで、若い頃同棲していたオカマバーのママと再会する。
表題作『春、バーニーズで』もさることながら、その後の『パパが電車をおりるころ』『夫婦の悪戯』『パーキングエリア』などを読んでいると、彼の男としての、そして父としてのやるせなさが緩やかながらもチリチリと伝わってくる。
吉田修一の作品はなにげなく読んでいるつもりなのに、いつも読み終わると何処か心の一部に濁りというか、ささくれとでも言おうか、取るに取れない魚の小骨状態に陥る。でもそれは、すんなり受け入れられる小骨であったり、いつの間にか取れてしまっていたり、特に不快さはない、むしろ自分の気付かなかった自分が見えてきたりして、結構、納得なんかしたりして。
だから、小骨が刺さると思いながらも、美味しいからまた食べてしまう。
オレも若い頃に一度くらいオカマと付き合ってみてもよかったかなぁ・・・なんて思いつつも、いや、しかし、それは小骨が刺さるどころかチ○コが刺さっちまうだろう、いや?オレが刺すほうか?などという、どうでもいい感傷に今は浸ってる。
三十を過ぎた彼は、コブつきバツイチ女性と結婚していた。その息子の入園式用にシャツとネクタイを新調するため家族で出かけた新宿のバーニーズ・ニューヨークで、若い頃同棲していたオカマバーのママと再会する。
表題作『春、バーニーズで』もさることながら、その後の『パパが電車をおりるころ』『夫婦の悪戯』『パーキングエリア』などを読んでいると、彼の男としての、そして父としてのやるせなさが緩やかながらもチリチリと伝わってくる。
吉田修一の作品はなにげなく読んでいるつもりなのに、いつも読み終わると何処か心の一部に濁りというか、ささくれとでも言おうか、取るに取れない魚の小骨状態に陥る。でもそれは、すんなり受け入れられる小骨であったり、いつの間にか取れてしまっていたり、特に不快さはない、むしろ自分の気付かなかった自分が見えてきたりして、結構、納得なんかしたりして。
だから、小骨が刺さると思いながらも、美味しいからまた食べてしまう。
オレも若い頃に一度くらいオカマと付き合ってみてもよかったかなぁ・・・なんて思いつつも、いや、しかし、それは小骨が刺さるどころかチ○コが刺さっちまうだろう、いや?オレが刺すほうか?などという、どうでもいい感傷に今は浸ってる。