お散歩日記 復興の日目指して

写真付きで見たことや日々感じたこと、震災に遭い今感じていることなど、記録にとどめたい。

母の元に返ってきた 写真 津波に流されて

2011-12-07 15:47:57 | 日記
自分自身も津波に流され、九死に一生を得たこと自体奇跡としか言いようが無い出来事だったけれども。

なんと我が子が赤ちゃんの時の写真と、保険証書など入れていたファイルが見つかった。子供の写真は、探しに行ったけれども見つからずあきらめていたら、警察から拾得物として届いている言う通知が来た。免許証の中に常に入れていたので、波にさらわれた免許証を自衛隊の方が拾ってくれた。私の家があったところからは全く想像も付かない東南東2キロも離れた海岸で発見された。
また、保険証書はボランティアの人がこれまた、我が家のあった場所より内陸へ3キロも離れた場所で発見された。
見つかったこと自体奇跡だか、津波の流れがどんな行程をたどったのか、二つの拾得物で何となくわかった。本当にすざましいものだったのだ。自分も助からずそのまま流されていたら、恐らく外海にでて、死体は発見されなかったろう。

  帰ってきてくれてありがとう。たった一枚残った宝物だよ。
                   
     毎日ゴミを拾い、片付けてくれるボランテイァさん達

公報に載った津波にさらわれ、濁流の中 流された消防隊員の記事

                              


 11月15日の我が家の実態 何にも片づけられてないし。無能政府・・・          

 瓦礫だらけの中に立てられた仮説の店舗

 復興なんて ?
                               被災した建物もまだ何一つ撤去されていない。    

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2 コメント

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何歳になっても… (近江)
2011-12-13 02:45:42
お久しぶりです。

津波に負けず過ごしている様子を震災後からずーっと拝見していました。
生まれ育った町が無くなり、帰る家も迎えてくれる母も失い、私は止まったままでコメントできずにいました。

志津川の家族は私の向かえのアパートに3月末に移り住み、中3と小6の2人の姪も心配無くそれぞれ佐沼の学校に通っています。
私は母が居ない寂しさを我慢する毎日です。ただ生活し、ただ季節が変わり、子供達を見守っているだけ…

母が居ないのはわかっているけれど、受け入れたくないのでしょうね…
小さな仏壇に手を合わせた事は1度もありません。素通りです。

四十九日の前日にDNA鑑定の結果が出て、慌ただしく合同葬儀や納骨の準備に走り、初めて母の為に団子を作りました。それからは、何もせず、母から逃げています。

私のような娘は他にも沢山いるでしょうね…


主人は他人事のようで腹立たしく思う時も度々あります。この気持ちは生まれ育った人達や、住んでいた人達、身内を亡くした人でないとわからない事だと思っています。

町もまだまだの状態でこの先皆さん不安だろうと思ってます。余計独り暮らしや仮設に入居している方々は…いくら自然災害でもあまりにも悲惨過ぎます。

寒さが厳しくなりますので、お身体大事にしてください。

恐怖の津波を身体で受けた分、これから楽しく、いつまでも元気で。
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がんばって。近江さん。 (ロミオ)
2011-12-17 17:01:05
はがき届き、初めて訃報を知りました。すぐ近くに住んでいるのに?訪ねにいけずすみません。ブログ見ていてくださったんですね。ありがとうございます。時に何もしたくなく、でも、写真を撮っているときだけ忘れます。つらさを。

誰もつらさはわかってくれません。しかたが無いことですが。でも、叫ばずには居られないんですよね。又、コメントください。ありがとうね。
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