ろろろ川のおと

ながらへば またこのごろや しのばれむ

徳島の分間村絵図

2020年02月02日 20時56分13秒 | 日記

 リフレクターを門柱下部に取り付けた。

 明るい時は後進で、暗いときは前進で車庫入れするつもりだが、後進で道路に出るのは危険なので、できるだけ後進で入れるつもりだ。ちゃんと光ってくれればいいのだが・・・・・。

 きのうの古文書の会で教えてくれた講演を聴いた。

--- 徳島県には他県では見られないような分間絵図が残されている。それらはただの絵図ではない。そこに当時の生活や社会の姿を見ることができる。
 水害で田畑が埋まってしまった時には、合議制で土地の境を決め、それに基づいて仮検地絵図が作成された。付け替え用水に土地を提供(用水損田)した者にはちゃんと替地(用水床替地)が与えられた。いたって民主的であった。云々。

 次々と見せてくれた絵図には、田畑は1枚ずつ、家は戸別に長屋門や蔵までも、地滑り箇所や保安のための松林や竹林も描かれていた。詳しい事は勿論だが、それらがすべて精度高く測量されたものであることが驚きだった。
 講師は二言目には「これを見せると他県の研究者は皆びっくりするんです。」と言っていたが、江戸時代、他藩は他国だった由縁か。
 徳島県の市町村によっては明治初期に作成された一分一間図が役場に保管されていて、土地の境界が不明なときなどに参照されている。これなども他県には見られない事象のようだ。
 [ 一分一間図:図上の一分(3mm)は現地の1間(1800mm)、つまり縮尺1/600の図。]