月曜朝、再び多摩市から青山へ移動。青山では2つミーティングがあり、夜までかかるかと思ったが、早く終わって夕方前に東京を出ることができた。よかった、5時前だと新幹線もとても空いていて嬉しい。
京都着、7時。毎日、濃い出来事の連続だったので、京都に帰ってきてほっとした。
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木曜日から日曜夜まで4日間ずっと、アメリカからいらしていたある研究者の方のアテンドをしていました。(今見たらこの先生のことは3年前の日記にも書いてありました)その方は日本だけでなく、アジア、ヨーロッパ各国をまわっている途中で、まだまだアメリカに帰るまでにあと2週間旅を続けなければならないそう。
そんな折にぎっくり腰・・・!
まぁ本当に、時に見ていられないほどかわいそうでした。ゲストですから、会うたびいろいろな人に「体の調子はどう?」と聞かれ、症状はよくならないのに(or even getting worse)毎度同じことを笑顔で説明していた。とても我慢強い人だなと思った。
今回は通常以上のケアをしながらのアテンドだったので、なるべく動かなくて済むように、なるべく気疲れさせないように、スケジュールの管理、そしていつもそばにいて手足となることを心がけました。それはとても地味な仕事なようだけれど、そういった仕事から、なにかつながりが生まれてくるように思いました。もちろん、もともと上層部の方々とがっちり契約やら提携やらという会社や社会的ルールとしてはつながっているのですが、私のような現場レベルの人間がその研究者の人にベタ付きすることで普段的なつながりができたような気がしました。病院の待合室、タクシーの中、ホテルのロビー、毎日の昼食・ディナーなど、様々な場面を多く一緒に過ごさせたもらったおかげで、彼の研究の話や日常の苦労も聞けたし、現場の声、小学校や大学での実践報告など、私のほうからも色々なお話ができてとても幸運だった。
1/17(木)、国際交流会館でカンファレンス。合間をぬって病院へ。ランチでは国内のコラボレータの方とご一緒。今まで深く話したことはなかったが、とても気さくな方だと分かった。
1/18(金)、ランチミーティング。ご一緒した他社の人はみな帰国子女のような人ばかりで緊張。英語上手いな~。ずっとサピアタワーでカンファレンス。夕方、都内の小学校をともに見学。小学校実践は私にとっても参考になった。
1/19(土)、朝一で赤坂の病院へお連れする。薬を2週間分もらう。多摩へ移動。ランチミーティング。午後、私がずっと抱えていた出版プロジェクトについて、その研究者の人と、日本人研究者との対談を設定。いろいろディスカッションをしてもらったおかげで、かなり収穫があった。ムリをいって4時間も集中力のいる対談につきあって頂けて本当に感謝。
1/20(日)、こども達を交えて、私たちのワークショップ実践を見てもらえた。教育用ツールを開発している研究者なので、それがどういった文脈でつかわれているのかを見ることは彼にとってフィードバックのようなものでとても喜んでもらえた。保護者、プレスや、多くの見学者で会場はにぎやかだった。このワークショップを企画していた同僚にとって、思い入れのある回となった。それを知ってたので胸いっぱい。この日のことは忘れずにいよう。
コラボレーションという言葉は簡単なようで実行するのは実は難しい。特に海外とのコラボレーションは難しい。でもそれがうまくいっているかどうか、見極めるのはとてもシンプルで、どれほど時間が経っても「お互いがお互いから学びあうことがまだあるかどうか」ということなのだ。そういう意味で、その研究者の人もたくさんのことを学んだと言ってくださってよかった。コラボレーションって、ギブアンドテイクが成り立ってこそ、なのだ。忘れちゃいけない、大切なことだ。
日曜夜、お別れの場面は、私たち日本のスタッフへの励ましの言葉と、お礼の言葉と、これからもお互いに学びあいましょうというあたたかい言葉で締めくくられた。その人がハイヤーに乗り込む寸前、最後に私に対してお礼の言葉を言いに来てくださった。びっくりした。とても背の高い人なのだが、背の小さい私に合わせて腰イタイのに背中をかがめてお話しくださった。春から迎える大きなトランジション、私にとってちょっと難しい時期となることなど丁寧に話してくれて(実は人の異動で大きな変化がある)、「でもがんばるんだよ、助けるからね、何かいい解決策を一緒に見つけていこう」と心の底からのあたたかい言葉をかけてくれた。最初は笑顔でバイバイを言って送り出そうと思っていたのに、(いい意味で)話が長かったので感動してしまって、スマイルが持たなくて最後のほうは泣きそうになるのをこらえつつ、ビッグハグと、歪んだ笑顔でお別れをした。
3年前の日記にこう書いていた。
>この先生はプレイと学びをすごく近いものとして結びつけていて、
>どちらも「模索すること」「いろいろ実験してみること」「境界線を試すこと」なのだと言った後、
>「それはそのまま私の人生に対するアプローチ(the approach to life)なのです」と言った。
>かっこいいねぇ~。
この4日間でその人自身からそれを強く学ぶことができた。
何が起こるかなんて、わからないのだ。
自分の人生がまわりの人のことで影響を受ける場合もある。それは予測のつかないこと。それでも、日々生成されるさまざまな出来事を、どうつなげていくか。それはいつも私の課題。バラバラになったようでも、散らばっているようでも、それでも「きっと何か方法があるはずだ」と考え、何らかの文脈をつくってつなげていくこと。そのために、模索し、いろいろ試していく姿勢を忘れずにいたいものだ。
京都着、7時。毎日、濃い出来事の連続だったので、京都に帰ってきてほっとした。
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木曜日から日曜夜まで4日間ずっと、アメリカからいらしていたある研究者の方のアテンドをしていました。(今見たらこの先生のことは3年前の日記にも書いてありました)その方は日本だけでなく、アジア、ヨーロッパ各国をまわっている途中で、まだまだアメリカに帰るまでにあと2週間旅を続けなければならないそう。
そんな折にぎっくり腰・・・!
まぁ本当に、時に見ていられないほどかわいそうでした。ゲストですから、会うたびいろいろな人に「体の調子はどう?」と聞かれ、症状はよくならないのに(or even getting worse)毎度同じことを笑顔で説明していた。とても我慢強い人だなと思った。
今回は通常以上のケアをしながらのアテンドだったので、なるべく動かなくて済むように、なるべく気疲れさせないように、スケジュールの管理、そしていつもそばにいて手足となることを心がけました。それはとても地味な仕事なようだけれど、そういった仕事から、なにかつながりが生まれてくるように思いました。もちろん、もともと上層部の方々とがっちり契約やら提携やらという会社や社会的ルールとしてはつながっているのですが、私のような現場レベルの人間がその研究者の人にベタ付きすることで普段的なつながりができたような気がしました。病院の待合室、タクシーの中、ホテルのロビー、毎日の昼食・ディナーなど、様々な場面を多く一緒に過ごさせたもらったおかげで、彼の研究の話や日常の苦労も聞けたし、現場の声、小学校や大学での実践報告など、私のほうからも色々なお話ができてとても幸運だった。
1/17(木)、国際交流会館でカンファレンス。合間をぬって病院へ。ランチでは国内のコラボレータの方とご一緒。今まで深く話したことはなかったが、とても気さくな方だと分かった。
1/18(金)、ランチミーティング。ご一緒した他社の人はみな帰国子女のような人ばかりで緊張。英語上手いな~。ずっとサピアタワーでカンファレンス。夕方、都内の小学校をともに見学。小学校実践は私にとっても参考になった。
1/19(土)、朝一で赤坂の病院へお連れする。薬を2週間分もらう。多摩へ移動。ランチミーティング。午後、私がずっと抱えていた出版プロジェクトについて、その研究者の人と、日本人研究者との対談を設定。いろいろディスカッションをしてもらったおかげで、かなり収穫があった。ムリをいって4時間も集中力のいる対談につきあって頂けて本当に感謝。
1/20(日)、こども達を交えて、私たちのワークショップ実践を見てもらえた。教育用ツールを開発している研究者なので、それがどういった文脈でつかわれているのかを見ることは彼にとってフィードバックのようなものでとても喜んでもらえた。保護者、プレスや、多くの見学者で会場はにぎやかだった。このワークショップを企画していた同僚にとって、思い入れのある回となった。それを知ってたので胸いっぱい。この日のことは忘れずにいよう。
コラボレーションという言葉は簡単なようで実行するのは実は難しい。特に海外とのコラボレーションは難しい。でもそれがうまくいっているかどうか、見極めるのはとてもシンプルで、どれほど時間が経っても「お互いがお互いから学びあうことがまだあるかどうか」ということなのだ。そういう意味で、その研究者の人もたくさんのことを学んだと言ってくださってよかった。コラボレーションって、ギブアンドテイクが成り立ってこそ、なのだ。忘れちゃいけない、大切なことだ。
日曜夜、お別れの場面は、私たち日本のスタッフへの励ましの言葉と、お礼の言葉と、これからもお互いに学びあいましょうというあたたかい言葉で締めくくられた。その人がハイヤーに乗り込む寸前、最後に私に対してお礼の言葉を言いに来てくださった。びっくりした。とても背の高い人なのだが、背の小さい私に合わせて腰イタイのに背中をかがめてお話しくださった。春から迎える大きなトランジション、私にとってちょっと難しい時期となることなど丁寧に話してくれて(実は人の異動で大きな変化がある)、「でもがんばるんだよ、助けるからね、何かいい解決策を一緒に見つけていこう」と心の底からのあたたかい言葉をかけてくれた。最初は笑顔でバイバイを言って送り出そうと思っていたのに、(いい意味で)話が長かったので感動してしまって、スマイルが持たなくて最後のほうは泣きそうになるのをこらえつつ、ビッグハグと、歪んだ笑顔でお別れをした。
3年前の日記にこう書いていた。
>この先生はプレイと学びをすごく近いものとして結びつけていて、
>どちらも「模索すること」「いろいろ実験してみること」「境界線を試すこと」なのだと言った後、
>「それはそのまま私の人生に対するアプローチ(the approach to life)なのです」と言った。
>かっこいいねぇ~。
この4日間でその人自身からそれを強く学ぶことができた。
何が起こるかなんて、わからないのだ。
自分の人生がまわりの人のことで影響を受ける場合もある。それは予測のつかないこと。それでも、日々生成されるさまざまな出来事を、どうつなげていくか。それはいつも私の課題。バラバラになったようでも、散らばっているようでも、それでも「きっと何か方法があるはずだ」と考え、何らかの文脈をつくってつなげていくこと。そのために、模索し、いろいろ試していく姿勢を忘れずにいたいものだ。