ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

親の命日について

2009-08-14 20:51:00 | Weblog
友人が「あれっ、今日って14日?」と、素っ頓狂な声をあげた。

聞いてみると、決してこの日だけは忘れるまい、と思っていた親の命日が過ぎていたらしい。
でも、もっと聞いてみると、命日を忘れていた、というのとは少し違うようだ。
あまりに忙しすぎて、「締め切りまで、あと何日」という切迫感しかなく、
今日の日付すら、認識できていなかっただけ。
その結果、毎年、命日には実家に届けていたお花の手配を忘れてしまったようだ。

恋人の誕生日、結婚記念日、
そして、自分の誕生日だって忘れる今日この頃、大したことではない。
そこまで仕事に打ち込めることじたい、ものすごいことだ。尊敬に値する。
と、思える。他人には。

でも、本人にとっては、すごいショック。

親が亡くなった後、私も「この日を忘れるまい」と思った。
あの日、はじめて、親と素直に向き合えるような気すらした。
大きな喪失感とともに、何かが自分のそばに戻って来たような安堵感も覚えた。

どんなに疎遠な時期があったとしても、親は親。唯一無二の存在。
かならず心のなかには、父親、母親、という存在がある。
それは、会ったことがない産みの親であっても同じこと。

親の命日を忘れる、ということは、誕生日を忘れる、ことと根本的に違う。
それは、他人を裏切るのではなく、自分を裏切る感覚に近い。

私もあと何年かしたら、親の命日を「うっかり」過ごすかもしれない。
そのときには、自分に向き合うための別の方法を見つけたのだと、
自分を説得できるといいなと思う。