ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

やもり

2009-09-18 21:49:02 | Weblog
上海から帰って来たら、家にやもりが居着いていた。

「家守」というくらいだから、ありがたい存在、のはず。
ただ、かわいい、とは言いがたい。
いると思っていないところにいたので、やはりギョッとした。

それにしても、ネットで「やもり」を調べるといろんな写真が出て来る。
どれもこれも、やはり・・・、かわいいとは思えない。

でも、同居人には敬意を払うべき。
ということで、無理に追い出すことはやめた。
いずれ餓えたら出て行くだろう。

餓えなかったら・・・、
まあ居心地のいい自然のあふれる家として、「家守」さんに守ってもらいましょう。
そして、そこに「いるもの」と思うと、あまりギョッとはしなくなった。
そのあたりが、油ののった虫とは違うところだ。

ただ、せっかく一緒に住んでいるんだから、
思わずAmazon.comで注文を確定してしまう魔力に屈する私を
とめてくれたらいいのに。

もしくは、一緒にお酒を飲んでくれるとか。
最近、日本酒がおいしい。そんな季節になってきた。

やもりって、秋から冬にかけてはどうしてるんだろう。

ミスター・ヴァーティゴ

2009-09-17 15:05:08 | Weblog
ポール・オースター著、柴田元幸訳、新潮文庫。

今回もいい文章だった。
人生は「めまい」みたいなもの。なんだか、最近私もよくそう思う。

主人公は、砂漠の中で最愛の師匠とお別れをするとき、
どうしても師匠の望みを聞いてあげることができなかった。
そして、その結果訪れたことを、ずっとずっと自分の中で引きずって生きていく。
かけがえのない存在だからこそ、「生」も「死」もない中間で喘ぐ。

私が週に1回は見る夢がある。

夢の中で私はとても複雑な気持ちでいる。
それは、急に、母が家に帰ってくることになったから。
あるときは、部屋があまりに汚いので「やばい!」とばかりに片付けをしている。
またあるときは、せっかく母が帰ってくるのだから、好きなものを買っておいてあげようと
デパ地下で、スイーツを選んでいる。

でも、夢の中で、それはたった一瞬会えるだけで、
またすぐ母が遠くへ帰って行ってしまうことを知っている。
だからこそ、その時間のために、私は全身全霊で進む。

準備が整って、さあ、あとは母を待つだけ、となったとき、
ふと目が覚める。

そして、暗闇の中で「ああ、もう二度と会うことはできないのだ。たとえ夢の中でも」と思う。

これは、母が倒れて植物状態になった18年前から、私がずっと見続けている夢。
4年前に亡くなったけれど、夢が途切れることはない。
もしかしたら、より頻繁に見るようになったかもしれない。
悪い時は毎晩だ。
そして、翌日は、精神的に半分くらい死んでいる。

それなら、もっと明るくて楽しい本を読んで、上書きしてしまえばいいじゃないか。
いやいや、そうはならない。
そうなることはできない。

なぜなら、私はあまりにも愛しているから。

よくある失敗

2009-09-16 22:01:57 | Weblog
いくら注意しても、同じ失敗をしてしまうことがある。

今日は2回目。
昼過ぎから休みをもらって、上野に行った。
お目当ては「チベット」展。
友人まで誘った。前売り券も買った。

でも、会期は19日からだった。

もう1ヶ月以上も前から、新宿駅にポスターが貼ってあったから、
てっきり始まっていると思った。
あと、19日を9日と、単純に見間違えてもいた。

これは、私がよくやってしまう失敗。前も同じことをやった。

だから、ポスターでグッとくると、いつも会期を注意している。
最近は、2ヶ月以上前からポスターが貼られることもあり、
また、実際に会期が始まる頃には、そのポスターがなくなっていることもあって、
どうも「行きたい」と思ってから、実際に行動する時期のタイムラグがうまれ、
うっかり、行くのを忘れてしまうことなどがある。

実際、今日の上野公園にも、予告と開催中のポスターが同じように並べられていたので、
ぶらっと立ち寄ったような日は、よくよく見ないと、いま何が見られるのかよくわからない。

で、今日は科学博物館で開催中の「シカン展」を見た。
水曜日はレディースデイということで、入場料は1000円だった。映画館みたい。

最近、こういった特別展を見てよく思うのだけど、
モニターによる動画と、パネル展示が多くて、実物が少ない。

動画は、テレビ番組を編集しなおしたようなものなので、これはテレビに任せればいいと思う。
そのほうが、よほどゆっくり見られる。
そして、パネル展示も、文字だけを読むのなら、図書館やネットで調べれば十分足りる。
わざわざ博物館で展示をするときには、なるべく実物を増やし、
こういった場所埋めはやめてほしいと思う。

扱いがラクなのはわかるけど、実際に足を運ぶと言うことは、
実物が見たい、ということではないか。
模型を作るにしても、小さいものではなくて、
実寸に近いような、これは博物館でないと見られないよね、
というものを展示して欲しいと思う。
特に国立の場合、その質と量の両方を強く求める。

どうも、最近は、入場料のわりに、展示物の量が減った。
質ではなくて、単純に量が減った。

チベット展の会場もあまり広いところではないし、
きっと少ないんだろうなあ・・・、と思いつつ、来月仕切り直しで必ず行こうと思っている。

会期中無休と書かれているけど、一応、行く前にネットで調べてから行こう。
ああ、でも2度あることは3度ある。
次はいったいいつ、同じ失敗をするのだろう。

余談。
上野公園には、ハトについての案内がある。
「ハトにエサを与えないのが、ハトへの愛情です」みたいなことが書いてある。
東京都から、ハトが増えすぎたことに対する、みんなへの案内。

ハトねえ。

むずかゆい親戚

2009-09-15 20:32:12 | Weblog
「アーティストだから、しょうがないさ」という気持ちで受け止めている親戚がいる。

父の一番下の弟の奥さん。
この人と話をしているとき、話が通じているように感じるのは気のせいで、
いつもお互いにまったく違う絵を頭の中に描いているんだ、と思う。

美大を出ている。感性で仕事をして成功した。
いろいろと彼女には「アーティスト」要素があると思う。
それに比べて、私は本当に凡人だ。

先週、夜、ほとんど初めてと言ってもいい。突然携帯に電話がかかってきた。
「いま外で打合せ中です」と言うと、「じゃ、手短に。住所を教えて」と。
そして次に、「ハガキを出すから」と続く。
私の住所は30年以上変わっていないけど、
彼女と叔父が結婚してからは、両親が離婚したせいもあって没交渉だったから、
まあ、知らなかったのだろう。この質問はしょうがない。

ただ、その次に続いたのは・・・、
うちの父の三回忌もあるから、従弟と相談して食事会を開くことに決めたので、
招待状を送る、という話だった。
しかも日時が決まっている。電話をもらった約1週間後。
急だし、連休のまっただ中だ。

ん? うちの父の三回忌なんだよねえ。
なぜ私のスケジュールを最初に聞いてくれなかったのだろう。

ちなみに、父とその夫婦が仲良しだったかと言うと、決してそんなことはない。
父は離婚後自信をなくしたのか、親戚とは没交渉気味だった。
すぐ下の弟とはたまに連絡をとっていたみたいだけど、
彼らとは会っていなかったし、そもそも彼らはお葬式にも納骨にも来てくれなかった。

なんだか、面倒な気配を感じたので、
名前が出て来た従弟に電話をすると、「先日、お嫁さんを紹介しに行ったんだよね。
そのときに、みんなで昼飯でも食べようという話になって、
いつがヒマかと聞かれたから、答えただけだけど。確かに三回忌だねえ、とは言っていたよ」と。

そして、ハガキが届いた。
亡きうちの父は主役格だけど、口実として書かれている。
そして、従弟と相談して、でも勝手に当方で決めた、と書いてあった。
場所は、どうやら彼女たちの大豪邸らしい。
「TELちょうだいね」と手書きでそえてもあった。

父の他の兄弟たちに電話をしてみた。
彼らは、弟の奥さんと絶縁状態だ。
「う~ん、きっとまあ、あまり面倒な話でもないと思うんだよね。
兄貴の三回忌と書いてあるのに、娘の名前が入ってないからさあ、
まあ、いつものことかなあ、とねえ」と大笑い。

まあ、笑うしかないさ。
というか、何がしたいのさ。

普通に「昼食会」と誘ってくれたのだったら、行ったかもしれない。
2年ほど前に、あの夫婦とは大げんかをしたけど、まあ仲直りしたかもしれない。
でも、口実として父の名を使うのなら、もうちょっと・・・、やり方ってのがあるんじゃない?
と、言いたい。

で、私も性格的に融通がきくタイプではないので、
今回はかかわり合うのをやめた。やっぱり面倒くさそうだし。
「先約があって行けない」とでも手紙を出しておこう。

きっと当日、「なんであの人は、私たちがこんなに好意を示しているのに、
通じないのかしら」とかなんとか、言われるんだろう。
もしくは、まったく無視か。

無視しててくれ。これまでのように。

ネオンと夕焼け

2009-09-14 22:45:39 | Weblog
少し前まで、夕焼けが似合うのはお台場のガンダムだった。

昨日上海から帰って来たとき、ちょうどきれいな夕焼けが見えていた。
東京は空気がきたなくて、空もあまりきれいではないと言われるけれど、
それでも夕焼けがとてもきれいに見えて、特に、道路を照らす街頭が映えていた。

16年前、北京の1年間の留学から帰国したとき、
日本はなんてもったいないくらいに明るいんだろう、と思った。

駅も、ビルの中も、すべて明るすぎる。
電気がもったいないくらいに明るくて、数も多くて、
目を刺すようで、とても居心地が悪い。
テレビをつけると、別に公共の電波で流す必要がないように思える、
時間をつぶすためのような番組があふれていて、
ゆたか、というよりも、無駄が多いと感じた。

いま、同じように海外から帰国した時、
やはりまず感じるのは、日本の夜は明るいということ。
そして、いろいろなものが「まっすぐだ」と感じる。

道路の手すりや、街頭の柱、建物の屋根や看板の位置。
車の軌道もそうだ。
すべてが、ほんの少し緊張を保ちながら、整然と並んでいる。

夕焼けの中、いろいろなものがシルエットとなり、
それが、何ともいえない美しい直線を描いていた。

これが、日本なんだなあ、と思う瞬間。

そして、この先もずっと日本に住んでいたいと思う。
昔は、海外で暮らすことにも興味があったし、
できるような気がしていたけれど、いまは、もう無理だと思う。

夕焼けの時間、ふっと灯されるネオンの明かりが、私の故郷。

青空

2009-09-13 11:23:13 | Weblog
今日は日曜日で、工事が少しお休みだからだろうか。
上海の空はいつもより透明で、雲も白く、いまはうっすらと青空が見える。

青空が見えると、こんなにも落ち着くものなんだなあ。

昨日、ある屋台通りを歩いていたら、偽札捕り物に出くわした。
まだとても幼いように見える女の子がニセの100元札を使ったらしく、
お店の人が通報して、公安局の人が連れて行った。

中国の商店では、よく高額紙幣をくどいくらいに確認される。
レジに偽札かどうかを判別する機械があるところも多い。

屋台だからそのあたりのチェックも甘いだろう、ということで、
きっと使ったのだろうけど、店員さんも、ちゃんと気がつくところがすごい。
とはいえ、偽札があり得るもの、という意識のある国で、
同じ番号のお札を同時に出したらバレるだろう、という気もする。
あの女の子は、甘かったということか。

中国の100元札は、日本の1万円札のように、中国では最高額の紙幣。
銀行か、手渡しの給料などで受け取らない限り、手に入ることはない。
だから「私もどこかでおつりのときにもらったんです」という言い訳はきかない。

幼い女の子だったから、後ろには誰かがいるのだろうけど、
なんだか見ているうちに、かわいそうになってきた。
しかも、彼女は、買おうとしたその商品が、本当に欲しかったのだと思う。
公安局の人に連れて行かれる寸前まで、商品をずっと握っていた。

いっそのこと、買ってあげて、なかったことにしてあげたくなった。

でも、ここは日本ではなくて、中国の上海。
そして店員さんも、決して悪者を見つめるように女の子を見るのではなく、
終始、とても悲しそうで、辛そうな顔をしていた。
周りを取り巻いて見ている人たちも、みんなで責め立て、騒ぎ立てるようなことはなかった。

なんとなく、中国の変化を感じた出来事だった。

きれいな空気

2009-09-11 23:35:35 | Weblog
人間にとって、一番のぜいたくは、きれいな空気ときれいなお水。
そう感じた一日だった。

ここは上海。
恐ろしいほどに空気がわるい。

どうやら来年の上海万博までに、
すごい勢いで地下鉄を掘ったり、ビルを建てたりしているらしい。
まるで猛烈な黄砂におそわれた北京みたいな色になっている。

これじゃあ、もし晴れたとしても、日食は見えなかっただろう。
高い展望台で見上げても、太陽がくすんでる。
そして、今日は比較的天気がいいので、見通しがきくほうだと上海人が言っていた。

そして、浦東地区の空気のにおいは・・・、
タクシーをとめるために、10分ほど立ち止まっただけで、気持ちが悪くなった。

あ~、早く帰って、体中の空気を入れ替えたい!

ただ、今回お話しした数人の上海の女性は、なぜかみんな癒し系だった。
宿泊したホテルの女性なんて、最高!
仕事としてみると、少し頼りないけれど、思わず微笑んで話をしたくなる雰囲気。

再来年あたりになったら、上海はもう少し居心地のいいところに変身しているのだろうか。

ちゃんぽん

2009-09-11 00:07:57 | Weblog
「ちゃんぽん」って言葉の語源はなんだろう。

まあ、それはよいとして、
今日の午後は、約1年ぶりに中国語漬けになった。

まず、耳が反応して、リズムを取り戻す。
次に、音と意味がつながる。
自然と口から中国語が出てくるようになる。
そのうち、頭の中が中国語と日本語のちゃんぽん状態になる。

そしていま、私の頭の中は、すごく怪しい独り言状態だ。

今日は、ほとんど漢字変換をしなかった。
というか、漢字を忘れてしまった。

今日は比較的スムーズに、アンテナを向けることができた。
まあ、「本気で聞かなきゃ、仕事上マズい」と思ったからなので、
これまでよりかなり必死だったからなんだけど。

おかげで、もうヘロヘロ。
でも、たまにこういうことがあると、脳みそが活性化される。
「楽しい」というのは、こういうことなのかなあ。

中国のホテル

2009-09-09 21:39:59 | Weblog
会社の同僚から、「今度泊まる上海のホテルは普通?」と聞かれた。

「普通」って、いったいどのレベル?
ここ数年、中国の都市部に行く場合、あまりホテルの設備は気にならなくなった。
十分、レベルが上がったと思うので、とても新鮮な問いだった。

その人は、5年くらい前に初めて北京へ行ったのだけど、
どうやらそのときに宿泊したホテルの印象が強く残っているらしい。

そのホテルがどんなだったのか、詳しく聞いてみた。
・部屋の電話が通じない。
・空調の調節がまったくできない。
・フロントは英語がほとんど通じない。
・お風呂場で出てくるお湯が赤い。
・お風呂や洗面台の水量が安定しない。
・壁が薄くて、隣の部屋のテレビの音が聞こえる。
・お布団に独特のにおいがついている。
・もちろんインターネットは通じない。

いやあ、久しぶりに聞いた。
私の感覚で回答すると、「ああ、中国では普通のレベルですね」となるのだけど、
きっと、日本の中堅ビジネスホテルの設備やサービスを求めているのだなあ、
と思ったので、今度泊まる上海のホテルのパンフレットを見てみた。

パンフによるとかなりいいホテルのようで、部屋の写真は美しかった。
部屋にインターネット回線も来ている。
まあ、中国の場合、頻繁に回線が途切れるので、
ネット環境が快適かどうかまではわからないけど、
日本のちょっといいビジネスホテルみたいな雰囲気だった。

そして、プールもあるらしい。
同僚が「あ、水着を持って行こう」と言っていたので、
思わず「え、中国のプールで泳ぐんですか。勇気ありますね」と言ってしまった。
そうしたら、愕然とした顔で、じっと見つめられた。

だって、この反応は当然・・・じゃないか、な。

そのあと、でも上海は大都市だし、ホテルのプールだし、
きっと、いまは衛生的で大丈夫なんだよな、と、思い直した。

でも、私が中国のプールで泳ぐ気になれるのは、
きっとまだまだ何年も先だと思う。
あと、もう一つ断ったこと。
もし、中国の遊園地に行くことがあったとしても、
決してジェットコースターには乗りたくないと思っている。

謝るということ

2009-09-09 00:34:30 | Weblog
最近思う。
社会的な地位があがって、他人に謝らなくてもすむようになると、人はダメになる。

一般的な会社で、対外的に頭を下げることができる人、
部下に感謝ができる人は、みんなから好かれる。
いっぽう威張ってしまう人は、当然好かれない。

でも、いま威張ってしまう人も、ぺーぺーだったころは、
きっちり、すっぱり謝ることができた、ということもある。
で、そんな状況はイヤだから、早く出世してしまおうと努力した人もいる。

人の価値観はそれぞれだと思う。

ただ、やっぱりカッコいい人というのは、
自分の弱さ、いたらなさを直視し、
素直に頭を下げることができる人ではないかと思う。

自分の欠点を見つめるのは、誰でも難しい。
そして、勝手に自分の頭の中で作り上げたユートピアに逃げ込むことは、
ついついグラっとくる魅力をもっている。

でも、あえて、ちゃんと直視したい。
私は、そう思う。

往生際悪いんだよ、とは言われたくないなあ。
だって、それって、カッコわるいもの。