ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

18時のニュース

2009-09-07 18:30:05 | Weblog
めずらしく、18時過ぎに家にいる。
明るいうちに帰宅できるというのは嬉しいものだ。

それで、本当に何年かぶりに、18時にテレビをつけた。
ニュースを見ようと思ったのだけど・・・、なんじゃこりゃ。
ワイドショーの延長のような番組構成。

まったり、ゆっくりできると言えば、そうとも言える。
でも、欲しい情報じゃないんだけどなあ・・・。

ああ、そうか。
ターゲットは主婦なんだ。
そう思って見ると、CMもあたたかみに満ちている。

いいなあ、主婦。
でも、このテレビをゆっくり座って見るほど、時間はないんだろうなあ。
耳だけで見ている感じ。

それでも、この時間に家にいられるわけでしょう。
そういう生活がしたいなあ。

仕事にやりがいや夢を持てなくなって久しい。
でも、主婦をやっても同じか。
私と言う人間からは逃げることはできないし、
仕事をポジティブにできる人は、きっと家庭でもポジティブなんだろう。

ふがいない自分とも、あきれながら付き合って行くしかないなあ。

太陽の色

2009-09-06 00:04:39 | Weblog
サッカー代表の試合を見ていて思い出した。

幼稚園のころ、お絵描きの時間があった。
私は、太陽の色は「白」だと思ったので、
白い画用紙に、直径3センチくらいの円を丸く残して、周囲を青色で塗った。

でも、ほかがクレヨンで、べったり塗られているのに、
太陽の部分だけ、なんだか味気ない。
太陽は「存在感」があるべきものだし。

そう思った私は黄色を薄く塗ろうとした。
クリーム色に近い色なら、いいだろうと思ったから。

そうしたら、幼稚園の先生に、
「太陽がなぜ赤色でないの? 太陽は赤でしょう」と言われた。
すごくショックだった。

どうがんばっても、太陽は赤く見えない。
本気で自分が色盲だと思った。
でも、それを知ったら親が悲しむと思ったから、
自分が色盲だと、母には言えなかった。
そして、猛烈に自信をなくし、それからお絵描きの時間が大嫌いになった。

学校などで行う色覚検査で、色弱と出たことはないから、
きっと、問題はないのだと思うけど、
私はやはり、色に関しては、根本的に自信がない。

日本人が太陽を赤く描くのは、日の丸が赤いからなんだよね。
ただ、それだけのことなんだよね。きっと。

サッカー日本代表のいまのユニフォームは、
あまり強く見えないデザインだと思う。
なんとなく。

ここ数日、情緒不安定な理由は、活字欠乏症だと思ったので、
全6巻の大著「収容所群島」のうち、今日は、3巻と4巻を読んだ。
そうしたら、活字なんて見たくないくらい、お腹いっぱいになった。

考えてはいけない

2009-09-05 18:42:50 | Weblog
一晩寝たのに、昨日の重みがまだ残っている。

「感性が乏しい」と言われたことは、もう何とも思っていない。
これは、フェイ・ウォンのCDを何枚も延々と聞いたおかげで、もうどこかへ行った。

そのかわりに、もう一つ言われたことを思い出してしまった・・・。

「60歳くらいまで一緒にいたら、ボクのような感性がもてるようになるかもよ」と
言われたのだった。
「無理でしょう」と、こたえておいた。

これは、別にプロポーズではない。
ただ単に、めちゃくちゃ押し付けがましいだけだ。

だ・か・ら~。

違う人間だから、違う感性を持っているんだ、って言ってるじゃない。
なんでそれが通じないのだろう。
どっちがいいでも、わるいでもなく、そういうもんじゃん、って言ってるんじゃない。

でも、以前にも同じような台詞を言われたことがある。
かれこれ3人目だ。しかも全部男性。
そんなに私は不幸そうなのか?
それとも男性は、こんな台詞を言いたがるものなのか。

そして、この台詞が出たら、遠からず友情はくずれる。
というか、私が逃げる。

そろそろ潮時かな。

なぜ、そんなに自信満々に生きることができるのだろう。
考えるのやめよう。

不留

2009-09-04 23:31:28 | Weblog
私は、とってもフェイ・ウォンの歌が好きだ。

今朝は、ふいに「不留」という歌が聞きたくなった。
私が、泣きたい気持ちになったときに聞く曲のなかのひとつ。

先日、ある人から、感性が乏しいと言われた。
大きなお世話だけど、そう言われた前には、こんな話をしていた。

私は、音がはずれた歌が苦手だ。
あと、歌詞が感覚的すぎて、
何を言いたいのか明確なイメージを受け止められない歌も苦手だ。
ただ、そういう歌はあってもいいと思う。
でも、自分なりにしっくりこない歌は聴かない、と言った。

これは当然だと思うけど、ある映像の1シーンで、
お互いに知っている曲の使われ方が私にはどうしてもわからない、と言い、
それが、その人のお気に入りシーンだったために、
あまりに感性の枠が狭すぎると言われた。
まあ、これもしょうがない。

私にとって、フェイ・ウォンの歌は歌詞が中国語だということもあって、
すべてが理解できる訳ではない。
ただ、ところどころ、キーワードは聞き取れているような気がする。
そして、わざと音をはずしぎみで歌っているところもあると思う。

でも、これらすべてを加味して、私は、フェイ・ウォンの歌が大好きだ。
これに理由はない。

まあ、これを言っても通じないだろうな、と思って、口に出すかどうかを迷っていたら、
「自分の方が感性の枠が広いので、あなたの感性をわかってあげられるよ」と言われて、
本気で話をする気がなくなった。

ということで、今夜は仕切り直し。
フェイ・ウォンのCDを聞きまくってやることにした。

祝詞

2009-09-03 21:08:18 | Weblog
出雲大社で祝詞を聞いた。

西洋音楽とは違った音階で、徐々に高くなっていく祝詞の声。
しびれた。

日本の神話はほとんど知らない。
しきたりも、まったくわからない。
ただ、以前、高橋克彦さんの小説『竜の柩』を読んだおかげで、
「なるほど~、このあたりを小説のヒントにしているのかな」と思いながら、
境内や、隣接の博物館を見て歩いた。

大社は、すごく空気が透明だった。
だから、神さまがいらっしゃるとしたら、重さも色もなにもない。
ただただ、澄んでいるものなんじゃないかと思った。

本殿が工事中で見られなかったけど、
あの空気に包まれただけで、大満足。

いやあ、島根に住みたい。
食べ物もぜんぶ美味しい。
肉、魚、お米、おそば、地酒、すべて美味しかった。
そして、自然が美しく、言葉を交わした人は、みな穏やかでいい感じだった。

マジメに、田舎に移住する計画でもたてようか。

ふるさと

2009-09-02 23:59:36 | Weblog
はじめて松江に来た。今日は出張。

いまから約10年前、仕事でお世話になっていたところには、
松江にゆかりのある人がたくさんいた。

宿泊しているホテルは、その当時お世話になったおばあさんが、
昔、実家があったと言っていたところのすぐ近く。

今日は、車で移動したのだけれど、
窓から眺める風景に、
その人が語ってくれた松江の思い出を重ねていた。

よく「あなたは、まるで女学校時代のお友達のようだわ」と言われた。
確かに、李香欄の話は、ある程度できる。
そして、どちらかというと価値観の枠もせまくて、
なにごとにつけても、昔からある正統派を好む傾向がある。

とはいえ、同世代ではないので、
「女学校時代の同級生」がどんなものなのかはわからない。
でも、きっと一時、ノスタルジックな
あたたかい時間を過ごしてくれたのだろうと、
いまは、いいように解釈している。

その人はいつも、「松江はいいとこよ」と言っていた。
確かに、人はみんな親切だし、山は美しいし、
宍道湖はとても豊かな印象だ。

もし、生活する術があるようなら、移住してもいいとすら思った。
というか、今朝、久しぶりにピーク時の通勤電車に乗って、
ほとほと疲れたので、本気で、田舎に移住したいと思う。

私のふるさと。それは東京。
どこかに移住して、還暦を過ぎたころ、
私も「東京はいいとこよ」と言って、帰りたがったりするのだろうか。

ああ、久しぶりに、あの人に手紙を書いてみよう。

痛みをわかちあうこと

2009-09-01 23:23:47 | Weblog
今日、2つ訃報が届いた。

誰かの痛みに向き合うということは、
その人の痛みを、自分でも経験する、引き受けるということだと思う。

だから、私は自分に近い痛みであればあるほど、
口に出すことや、表情に出すことができない。

他人に私の痛みを引き受けさせるのは申し訳ないし、
やはり、周囲の人には、私と話をすることによって、
一緒にいることによって、不安や不幸よりも
幸せを感じて欲しいと思うから。

今日、受け取った訃報は、近いけど、家族ほど近くはない。
でも、やはり胸が詰まった。

訃報を受け取ってすぐ、いろいろと考えて、
少し冷静になって、そして知らせてくれた友人に電話をした。
その訃報に接し、同じように困惑していた友人の声を聞いたら、
私も、後から後から涙があふれてきた。

わかちあえる痛みもあることを知った。

そして、本気で仕事をしないと、
先に逝ったあの人に、後であわせる顔がないだろうと思った。