自分の子どもには自分が出来なかったことをしてあげたいとあれこれさせます。
当然ながら子のためと思ってやっているのですが、当の本人(子)はそれが苦痛であったということがあります。
親心から…
もしかしたら、わが子はわが物と思ってしまって自分の思うような生き方をさせているのかもしれませんね。
いやいや、それでも、わが子のためだ!言うでしょうが…。
こうした想いは、わが子に限らずあります。
たとえば、会社、事業、部下などなど
彼(彼女)は、俺(私)が、育ててあげた!
ここまではいいのですが、育てた≒所有だと勘違いが起きてきます。
自分のモノだ!と気づくことがあります。
それは、自分の思い通りにならなかった時です。
なんでそんなことをするのか?
疑問を超えて憤りになっていることありませんか?
手塩にかけて育てていればいるほどそうなります。
「可愛さ余って憎さ百倍」ということわざがあるように。
憎さ?なんて!
可愛ければ可愛いほど、その人を尊重し見守っていく、そうありたいものです。
そうなるためにも、自分自身の心を磨いていく必要があります。
自立している、とはこういうところからも知ることになりますね。
所有しているものなど何もない。
まして人格をもっている者など、所有できるものではない肝に銘じておきます。