9月20日の東京新聞24面に載っていた
辛淑玉(しん・すご)さんの記事がすごい。
これは必読記事にしたいと、
ご本人の了承をえて、以下に転載させていただく。
********************
歴史のとげ「在日」問題解決を
日韓・日朝交流について人材コンサルタントの
辛淑玉さんから、その問題点と展望を寄稿してもらった。
日韓・日朝の歴史の中で、
直接的な被害者にも加害者にもならずに済んだ人たちが
大人として果たすべき責任とは、
「国家の代理人にならないこと」に尽きると思います。
国家を背負わず、一緒に被害者を救済し、
加害者を特定して処罰し、再発防止を図ることです。
歴史における加害者は国境を超えているし、
被害者もまた国境を超えています。例えば、
かつて朝鮮半島の女性を軍用性奴隷にした人たち、
だまして日本に送り込んだ人たちの中には、
朝鮮人もいたのです。被害者から見れば、
日本が加害者で朝鮮は被害者とはならないのです。
だからこそ、国境を超えて加害者を糾弾し、
被害者を救済することで、問題の解決が図れます。
多くの日本人が北朝鮮による拉致事件に
政治的に飛びついたのは、長年、
国家と一体となった加害者として糾弾されてきたことに
疲れたからだと私は見ています。初めて堂々と
「被害者になれる」チャンスがめぐってきたのが
あの拉致事件でした。そして、被害者に感情移入
することで心のバランスを保っているようにも
見えました。
それが、足元の在日を徹底的にたたき、
強硬な経済制裁を主張するという行動となって現れ、
ほそぼそと進められてきた日朝の民間交流をも
停滞させる結果になりました。もしこれが、
拉致も強制連行も共に解決しようというスタンスで
あったなら、歴史は大きく動いたことでしょう。
韓国の人も、北朝鮮の人も、日本の人も、
「国家」を背負っている限りその病気からは
抜け出せず、足元の被害者を救うことはおろか、
他者と手を取り合うことも出来ないと思います。
「日本」の人がこの呪縛から自らを解放するには、
まず「国家によって歴史における加害者にさせられた者
(被害者)」として日本国家と向き合うことから
始めるべきではないでしょうか。
あえてキーワードは と問われたら、
「在日」への差別問題の解決だと思います。
両国の歴史ののど元に刺さったトゲが
ここにあるからです。
辛淑玉(シン・スゴ)さん 東京都生まれ。在日コリアン三世。
人材育成コンサルタント会社・香科舎(こうがしゃ)代表。
神奈川県人権啓発推進会議委員。
著書は「差別と日本人」(野中広務氏と共著)など多数。50歳。
(東京新聞 9月20日T発掲載)
********************
「…『国家』を背負っている限りその病気からは
抜け出せず、足元の被害者を救うことはおろか、
他者と手を取り合うこともできない…」
という指摘のするどさ。
それにつづく「『日本』の人がこの呪縛から
自らを解放するには、まず『国家によって
歴史における加害者にさせられた者(被害者)』
として日本国家と向き合うことから始めるべき…」
は、まさに「ビンゴ!」だとおもう。
同時に、これを辛さんにいわせていることに
不甲斐なくて微力なじぶんを感じる。
だからといって卑屈な反省にこもっても始まらないので
この言葉をエールとしてしっかりうけとめたい。
辛さんのいう「国家によって歴史における加害者に
させられた者(被害者)」は、拙著『ためされた地方自治』
の「つくられた加害者」に近い気がする。
日韓・日朝問題と原子力問題というように文脈はちがう。
けれど、閉塞感をともなう状況という面では共通する。
新しい地平を、そこに切りひらくためには、
この認識が、どうしても必要となるのではないか、とおもう。
それはおそらく
粘りづよく緻密な現実分析・自己分析なしには到達しえない。
辛淑玉(しん・すご)さんの記事がすごい。
これは必読記事にしたいと、
ご本人の了承をえて、以下に転載させていただく。
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歴史のとげ「在日」問題解決を
日韓・日朝交流について人材コンサルタントの
辛淑玉さんから、その問題点と展望を寄稿してもらった。
日韓・日朝の歴史の中で、
直接的な被害者にも加害者にもならずに済んだ人たちが
大人として果たすべき責任とは、
「国家の代理人にならないこと」に尽きると思います。
国家を背負わず、一緒に被害者を救済し、
加害者を特定して処罰し、再発防止を図ることです。
歴史における加害者は国境を超えているし、
被害者もまた国境を超えています。例えば、
かつて朝鮮半島の女性を軍用性奴隷にした人たち、
だまして日本に送り込んだ人たちの中には、
朝鮮人もいたのです。被害者から見れば、
日本が加害者で朝鮮は被害者とはならないのです。
だからこそ、国境を超えて加害者を糾弾し、
被害者を救済することで、問題の解決が図れます。
多くの日本人が北朝鮮による拉致事件に
政治的に飛びついたのは、長年、
国家と一体となった加害者として糾弾されてきたことに
疲れたからだと私は見ています。初めて堂々と
「被害者になれる」チャンスがめぐってきたのが
あの拉致事件でした。そして、被害者に感情移入
することで心のバランスを保っているようにも
見えました。
それが、足元の在日を徹底的にたたき、
強硬な経済制裁を主張するという行動となって現れ、
ほそぼそと進められてきた日朝の民間交流をも
停滞させる結果になりました。もしこれが、
拉致も強制連行も共に解決しようというスタンスで
あったなら、歴史は大きく動いたことでしょう。
韓国の人も、北朝鮮の人も、日本の人も、
「国家」を背負っている限りその病気からは
抜け出せず、足元の被害者を救うことはおろか、
他者と手を取り合うことも出来ないと思います。
「日本」の人がこの呪縛から自らを解放するには、
まず「国家によって歴史における加害者にさせられた者
(被害者)」として日本国家と向き合うことから
始めるべきではないでしょうか。
あえてキーワードは と問われたら、
「在日」への差別問題の解決だと思います。
両国の歴史ののど元に刺さったトゲが
ここにあるからです。
辛淑玉(シン・スゴ)さん 東京都生まれ。在日コリアン三世。
人材育成コンサルタント会社・香科舎(こうがしゃ)代表。
神奈川県人権啓発推進会議委員。
著書は「差別と日本人」(野中広務氏と共著)など多数。50歳。
(東京新聞 9月20日T発掲載)
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「…『国家』を背負っている限りその病気からは
抜け出せず、足元の被害者を救うことはおろか、
他者と手を取り合うこともできない…」
という指摘のするどさ。
それにつづく「『日本』の人がこの呪縛から
自らを解放するには、まず『国家によって
歴史における加害者にさせられた者(被害者)』
として日本国家と向き合うことから始めるべき…」
は、まさに「ビンゴ!」だとおもう。
同時に、これを辛さんにいわせていることに
不甲斐なくて微力なじぶんを感じる。
だからといって卑屈な反省にこもっても始まらないので
この言葉をエールとしてしっかりうけとめたい。
辛さんのいう「国家によって歴史における加害者に
させられた者(被害者)」は、拙著『ためされた地方自治』
の「つくられた加害者」に近い気がする。
日韓・日朝問題と原子力問題というように文脈はちがう。
けれど、閉塞感をともなう状況という面では共通する。
新しい地平を、そこに切りひらくためには、
この認識が、どうしても必要となるのではないか、とおもう。
それはおそらく
粘りづよく緻密な現実分析・自己分析なしには到達しえない。