昨冬、松井やよりジャーナリスト賞をいただいた時に
お話しさせていただいた内容を、記録としてここに記しておこうと思う。
なお、主に「原発の代理戦争」という概念と「外人問題」に
フォーカスし、それ以外の点はここでは省略した。
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石川県珠洲市の原発立地問題に約15年とりくみ、それを糸口として、
その土壌と思われる差異の政治、差異化という問題について私は考えています。
差異化とは何かというと、私が理解しているところでは、恣意的な切断線を
ひいて、たとえば「われわれ」と「彼ら」、「内部」と「外部」に集団を分割する
ことです。この切断線は「われわれ」または「内部」のトクになるように引かれます。
ジェンダーや国内外の南北問題を考えると分かりやすいかと思います。
具体的な話をすると、原子力発電所の予定地だった石川県珠洲市を現場とし、
フイールドワークと関連裁判の傍聴をおこなって、『ためされた地方自治:
原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年』という本をかきました。
副題の「原発の代理戦争」は独自の表現です。本来なら国の原子力政策を進める
政治家や行政官、そしてそれに従う電力会社の人々と、広く日本の住民とが
闘わせるはずの議論が、原発現地に押しつけられてきてしまった、だから
現地での原発をめぐる対立や軋轢は「代理戦争」だ、という認識です。
きっかけは1993年の珠洲市長選挙です。原発計画をめぐり熾烈を極めました。
それを手伝うなかで、長年かけて自分に刷りこまれた世界像が崩れさります。
以降、選挙や裁判や畑の手伝いなど、珠洲へかよって記録をつづけました。
あの選挙で自分が何を見たのか知りたかったからです。
その間、4つの主な出来事がありました。ひとつめは93年4月の珠洲市長選挙。
ふたつ目は珠洲市長選 無効訴訟。これは93年12月~96年5月まで続きました。
みっつめに、96年7月の やり直し珠洲市長選挙。これは「1993年の珠洲市長選挙
は無効」という最高裁判決を受けて実施されたものです。よっつめが、
珠洲市高屋町の原発予定地の先行取得をめぐる脱税事件です。この脱税事件の
展開は93年春から94年12月頃まで、裁判は99年秋から2003年冬までつづきました。
珠洲の原発計画をめぐる選挙と土地という二つの事件が、水面下で同時進行して
いたことになります。これら4つの出来事を個別にあつかうのではなく、
同時に扱うことで浮き彫りにされるものがある、むしろ同時に扱わなければ、
複雑な現実を複雑なまま、問題を矮小化せずに伝えることはできないと私は
思いました。(中略)
本書では、珠洲市で不正選挙があった93年から原発計画が凍結された
2003年12月まで、さらに電力会社 撤退後の珠洲の人々の歳月を、珠洲市における
草の根民主主義のうねりと原発用地工作の実態とを軸としつつ、描きました。
また、原発問題の現地で 日々の暮らしがどんな影響を受けるか、「外人」の「女性」
である「わたし」の視点もいれながら、具体的に伝えようともこころみました。(中略)
ここで、珠洲市と珠洲の原発問題の概要をお話ししましょう。珠洲市では、
日本海がわの地域を「そとうら」、富山湾がわの地域を「うちうら」とよびます。
外浦にある高屋町に関西電力が、内浦の寺家地区に中部電力が、それぞれ原発建設
を計画していました。私がかよったのは、関西電力、通称「関電」の予定地・高屋です。
全部で70数戸の小さな集落です。
珠洲市にとって、止まらない人口減と破綻しつつある財政は大きな悩みでした。
70年代には、農業に未来を託そうと国営農地開発事業をはじめます。けれど、
場あたり的ともいえる 国の農政に振りまわされ、逆に 累積債務を30億円上乗せ
する結果に終わりました。そうした状況で、1984年、石川県知事は 珠洲原発に
意欲を表明します。86年には 珠洲 市議会が原発誘致を決議しました。そして
89年5月、関電は珠洲市高屋町で原発建設の事前調査に着手します。けれど住民の
激しい抗議が1ヶ月以上つづき、関電は調査の中断においこまれました。(中略)
事前調査への抗議をつづける間に珠洲市各地で住民グループがうまれ、
それらのネットワークとして「珠洲原発反対ネットワーク」、通称
「ネットワーク」ができました。91年には、この「ネットワーク」が 県議会議員
を1名誕生させます。珠洲市・珠洲郡選挙区で、自民党以外の人が当選した
初のケースでした。つづく市議会 議員選挙でも3名を当選させています。
一方の珠洲市は、89年から93年までの4年間で約8300人を原発先進地へ視察に
送りだすなど、原発誘致にむけ活発に動きました。電力会社も、93年の85人を
ピークとする人員を珠洲の現地事務所に配置し、珠洲市と一体で原発立地活動を
進めていました。(中略)
そうしてめぐってきた93年の珠洲市長選挙は、国・県・市と電力会社にとって、
必ず勝たなければならない選挙でした。原発いらないと訴える人々にとっても、
負けられない選挙です。負ければ、89年に中断された調査を 関電は再開するで
しょう。今度こそあらゆる手段を講じて、調査を終了させることでしょう。
どちらにとっても負けられない選挙。だからこそ、93年の珠洲市長選は熾烈を
極めました。(中略)徹底的に票が掘りおこされた結果、投票率92.41%を記録
しました。
4月18日の投票日の夜、当選確定がでたのは、原発計画をすすめる現職候補
でした。ところがしばらくして「票数があわない」ことがわかります。(中略)
投票箱をあけて数えた投票用紙の数が、投票した人の数より多いという事態
となり、徹夜の大混乱になっていきます。(中略)20日に(中略)珠洲市選管は
票の再点検を強行し、数日後には現職候補に当選証書がわたされました。
そこで、約2000人の珠洲市の有権者はこの選挙の無効をもとめ、
その年(93年)の暮れに裁判をはじめます。
珠洲市民が、民主的な手続きをへて自分たちで原発計画の行方を
決めようとしていたまさに同じころ、東京では、珠洲の原発予定地をめぐる
土地取引がすすんでいました。この事実は、1999年に発覚しました。
原発予定地を売った地主が、脱税罪で起訴されたためです。約40年前に
珠洲市をはなれたあとも高屋町に広大な土地をもつ、いわゆる不在地主でした。
それまで表面化してこなかった 原発をめぐる土地の動きが、この脱税事件の
公判で具体的に明らかになっていきました。
93年暮れに提訴された珠洲市長選無効訴訟は、約2年の審理をへて
95年9月に結審し、12月に判決がでました。翌96年5月末に最高裁で無効判決が
確定、7月にやり直し市長選挙がおこなわれました。けれど、裁判には勝てても
選挙には勝てませんでした。原発計画をすすめる候補が当選し、投票日翌日には
市役所へ家宅捜索がはいり、助役が逮捕されて辞任しています。
やり直し選挙から約三年後、99年4月の統一地方選挙では珠洲原発反対ネットワー
クがおくりだしている現職県議が石川県議選でトップ当選、つづく珠洲市議選でも
「ネットワーク」は6名を当選させ、議席数をひとつ増やします。そうして
めぐってきた2000年の市長選挙で、珠洲原発反対ネットワークは、原発計画
「凍結」の立場をとった新人候補と 政策協定をむすび、あえて側面支援にまわる
形をとりました。「中間層」への支持拡大をねらって原発「白紙撤回」の旗を
おろす、という苦渋の決断でした。
それでも、現職候補の再選におわります。むしろ票差は前回より開いたほどです。
気がつくと、93年の市長選挙以降、原発いらないと訴える市長候補の票数は回を
おうごとに減っていました。要因は3つ考えられます。まず、「外人」攻撃の
問題、つぎに、高齢化が拍車をかける「人質有権者」の問題、さいごに、
選挙の問題です。今日は、ひとつめの「外人」攻撃についてお話します。
原発は国策です。それを「イヤだ」という「ネットワーク」は珠洲市当局から
異端視されていました。でも「ネットワーク」は孤立していませんでした。
市外から少なくない人が応援にきていたからです。この人々を攻撃する
「外人」攻撃キャンペーンが、93年市長選で顕著にみられました。
特徴は、市外から来た人をおしなべて攻撃するのではなく、原発いらないと訴える
候補を応援にきた人を攻撃したことです。つまり「外人」攻撃キャンペーンは、
原発いらないと訴える人びとの力をそぐために、原発をたてたい側が仕掛けたもの
といえます。その影響で、少なくない珠洲の人びとが「外人」排除を内面化して
いきました。「ネットワーク」も「外人」なしでやろうと、市外の人々への応援
要請を控えていきます。もちろん一枚岩だったわけではありませんが、その声は
主流にはなりませんでした。
なぜ「外人」攻撃はこれほどインパクトを持ったのでしょう。詳しくは本書に
事例をあげているのでそちらをお読みいただければ幸いですが、少しいうなら、
東京から遠くへだたった珠洲の住民が男女を問わず無意識に共有する劣等感を、
「田舎者だと思ってバカにするな」という言葉によって 巧みに刺激したから、
といえると思います。また、外人攻撃の内面化はとくに女性に顕著だったように
見えるのですが、それは、「珠洲の反原発運動を担ってきたのは主に女性の力」
と男性からもいわれながらも、女性をうっすらと軽んじる意識によって女性に
植えつけられた劣等感があり、それを巧みに刺激され利用されたから、と
考えられます。結論的にいえば、「外人」攻撃キャンペーンはあまりにも
巧みであったため、人々はそれをしだいに内面化していったといえるでしょう。
このように珠洲市では、原発いらないという声が歴史的といっていいほど
盛りあがったのに、決着のつかないまま問題が長期化しました。そして
膠着感や疲労感に覆われていた2003年末、電力会社の都合で珠洲の原発計画は
なくなりました。(中略)
今日ここでご縁をえた皆様に、原発の代理戦争の複雑な現実を少しでも
知っていただければ、その現実を生きる人々の複雑で重層的な思いや経験を、
少しでも感じ想像していただければ幸いです。
私が出会った珠洲の人々は、まったき犠牲者でも、抵抗の英雄でもありません
でした。「かわいそうな人」でも「強い人」でも なかったのです。
弱いのに強くて、強いけれども弱く、傷つきながら傷つけ、怒りもしたし
笑いもしました。原発の代理戦争を生きた、生きざるを得なかったことで、
得られたものもあったことでしょう。その生き様はいまも私の目に焼きついて
います。けれど、だからといって「原発の代理戦争も悪くはないよね」とは、
私にはとても言えません。
この「代理戦争」は、たとえば山口県の上関で今もつづいています。
計画浮上からすでに約四半世紀、膠着したまま、上関もやはり疲弊しつつあると
聞いています。原発の代理戦争を許している、無知・無関心を乗りこえたい。
「やよりジャーナリスト賞」をいただくことはその確実な一歩になると、感謝します。
夕映えの高屋の海と空
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