湘南ゆるガシ日和 ・・・急がず、休まず

湘南でゆるゆら暮らしココロ赴く先へガシガシ出かけるライター山秋真が更新。updated by Shin Yamaaki

最東端の町・根室:オホーツクのカニと地酒

2009-09-10 20:48:08 | 
昨日は根室の友だちから電話があり、
久しぶりに話をした。この夏は、
梅雨がないはずの根室でもほぼ一日おきに雨がふり、
根室育ちの人たちはグッタリだったという。

能登半島の珠洲(すず)市では、日照不足と多雨で
スイカ農家の友だちは散々だったというし、私が
お米を頼んでいる福島の農家では、この夏、
桃がダメだったようだ。自然の前で人間は無力だ。

今年はともかく、いつもなら根室の夏は涼しい。
昼間でも長袖で暑くないし、夜は厚手の上着もほしいくらい。
それでも地元の人たちは、24度も気温があれば
「なまら、あっちーよ」と言ってノビていた。

そんな根室って、いったいどんなところ? 
という人のために。



根室は、太平洋とオホーツク海に面し、
日本で一番最初に朝日が昇る町。
天気のいい日は海のむこうに国後(くなしり)島が見える、
国境の町。

わたしが長期逗留した90年代中ごろは、
港にロシア船がたくさんはいり、町中では、
日本製のオムツを抱えて歩くロシア人の船員をよく見かけた。
日本製のオムツは超優秀と、ロシア人たちは口をそろえていた。

知り合いが港の仕事をしていたこともあり、
友だちとわたしはロシア船を見に根室市内の花咲港へ
しょっちゅういっていた。下の写真は港に停泊中のロシア船。



ソ連崩壊からまだ数年、船はお世辞にも立派とはいえなかった。
どの船も、日本で買った中古車や中古の家電製品を
いくつも積んでいた。
下の写真では、中古の冷蔵庫2台が積まれている。



日本語を話せないロシア人とロシア語を話せないわたしたちが
どうやってコミュニケーションをとっていたのか、
今となっては思い出せない。けれど、
なぜかロシアの船員たちとも仲良くなれた。

ロシア船の中で、洗面器みたいなお皿に盛ったおかずと、
ロシアの黒パン、そしてウォッカをご馳走になったりもした。



ロシアの黒パンは、お土産にもよくもらった。
友だちからもらった手作りのイチジクジャムをぬって
食べるのが、当時わたしのお気にいりの朝ごはんだった。


ときには、カニをもらうこともあった。
こんなにどうすんだ? と思うほど。
どうするもこうするも、夜なべ仕事で茹でるのみ。


どさっともらった数種類のカニ(上)と、
カニの顔のアップ(下)。
すでに息絶えていたカニは、手でつかめる。



まだ生きていると、…怖い。
カニだって必死だから、
流しから脱出しようと何度も試みる。
下の写真は、タラバガニと格闘しているところ。


大なべに湯をグラグラと沸かし、カニをその中へ。
…カニよ、許せ。



これは、きれいに茹で上がった花咲ガニ。



ちなみに「タラバガニ」とは、
タラの魚場にいるカニ=「タラ場ガニ」→「タラバガニ」だとか。

もちろん地元の人にとっても、カニは非日常食。
根室駅前のカニ屋さんなら安いよ、と教えてもらって
行ってみたけれど、相場よりは安いのだろうが、
今晩のおかずに買おうと思う値段じゃない。
「ふだんはそんな食べないさー」と地元のおばさんも言っていた。

となれば、このカニは縁あってめぐりあった北の海の幸。
やはり、ともに味わいたいのは、根室の地酒「北の勝」。
創業明治20年の碓氷勝三郎商店が丁寧につくる日本酒だ。

そういえば、当時わたしが唯一話せたロシア語は、
日本でもそのまま通じる「イクラ」だった。
思わずいろんなことを考え出してしまう、最東端の食卓。
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