ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

清洲城

2014年05月17日 15時01分19秒 | 訪問地周辺散策

大阪で衛生点検と会議でした。帰りがけ名古屋で5月31日に開かれる「食の安全を考える集い」の打ち合わせをしてきました。名古屋駅について少し時間があったので、清洲城に行ってみました。いつも新幹線やら東海道本線の車窓から眺めていて何時か行って見たいと思っていたところです。清洲の駅から15分ということでしたが、腰痛にとっては少し厳しかったのですが歩いて行ってみました。残念ながら開館時間終わっていて門が閉まっていました。

清須市のHPにはこんな紹介があります。:郷土の英傑・織田信長公の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ天下平定を目指す武将が重要拠点としていた清須城。平成元年に現在の場所に『清洲城』として再建整備されました。金色に輝く鯱を屋根にいただく『清洲城天主閣』は、御殿の内部に「黒木書院」「芸能の間」を配した『芸能文化館』、五条川に架かる赤い『大手橋』とともに、清須市のシンボルとなっています。

 

今の清洲城は3分割されています。『信長像』 もJR線を潜った向こう側にありました。橋を戻り、五条川に沿ってJR線を潜ると、向こう側の清洲公園に信長公の像は立っています。
高い台座の上に立っている信長公は、「表情が良く分からない」

東海道線の線路を挟んだ北側には

こんなブログの言葉を見つけました。「清洲城に戦国当時の匂いを感じる事はできません。朱色の橋に、派手な天守。全てが、造られた感があります。戦国史に重要な場面で登場した清洲城なのですが・・・

お城フアンの方には、気落ちするお城でしょう。有名な清洲城ですが、ちょっと残念。まあ、観光地の1つ思えば良いのかもしれない。」と

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上野の山と北とぴあ

2014年05月15日 23時50分50秒 | 身辺出来事

今日は盛りだくさんの一日でした。友人から職美展の招待状をいただいたので、上野の東京都美術館に行きました。上野の山こちらは キトラ古墳 壁画展の国立博物館です。

職美展に行ったのですが、せっかくの招待状をいただいた人の作品に出合えませんでした。今回は人物画に興味があったので、何枚か撮ってきました。切り絵の原爆ドームが印象的だったのでこれも撮りました。

その後少し時間があったので上野公園内を散策し、吾妻橋に戻ってリハビリをして、王子の北とぴあに向かいました。

映画にもなった「3.11保健師たちの証言」という講演会でした。映画の主役の保健師さんの話でした。現場の保健師さんたちを丁寧に訪ね歩いて、その時保健師何をしたのかを聞いてあるいた報告でした。また保健師は日頃の取り組みの中で、災害時での対応も心がけておく必要があるなどについて話されました。重みのある、感動的な報告でした。

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五香・善光寺

2014年05月15日 08時24分26秒 | 訪問地周辺散策

松戸市五香にある施設を訪問しました。近くに善光寺というお寺さんがあるいうことで、散策してみました。

五香周辺の歴史(HP新京成・北総の車窓風景より):明治初頭に政府によって下総牧開墾計画がたてられ、三井組が主体となり、政府も20万両を出資し、東京で開墾民を募集したところ、約8千人が集まり、下総牧開墾事業が始まりまったとされています。
 開墾地には最初となった初富以降、ナンバーを付した瑞祥文字があてられ、その五番目の五香と六番目の六実は開墾会社の解散とともに一緒になって<五香六実村>となりました。1870年まで入植者は五香で494人と記録されていますが、自然災害に火災も重なり生活は最初から困窮を極め、逃亡も相次ぎ、七栄(富里市)や八街への再移住も余儀なくされたということです。1889年の市制町村制施行時に、<金ヶ作村>や<日暮村>とともに、<高木村>となり、<松戸町>の市制施行と同時期に編入されています。五香十字路近くにある善光寺は、開村後に小金村東漸寺大康の寺院創建の意思を継いだ門下の山崎弁栄の働きで建立されたということです善光寺とは:欽明天皇の時代に百済の聖明王から献呈されたと言われている「善光寺式阿弥陀三尊」が紆余曲折の末、「本田善光」の手により飯田市(元善光寺)にもたらされたれ、本尊とされた事が起源であると伝えられています。善光寺の名前は「本田善光」の名前からとられたとも言われています。

鎌倉時代には、源頼朝や北条一族の信仰を受け、全国各地に新善光寺が建立されました。戦国時代になると、武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権に巻き込まれる形で本尊は全国を転々とする形となり、各所に善光寺が建立される事となっりました。最終的には豊臣秀吉の手より、本尊が現在の善光寺に帰された。そのような歴史もあり、全国には善光寺や善光寺と同じ「善光寺式阿弥陀三尊」を奉る寺院が多数もたらされました。 現在では、400を超える善光寺式阿弥陀三尊、100を超える善光寺を名乗る寺院が存在しています。
江戸時代の泰平の世になると、庶民の間で「牛に引かれて善光寺参り」、「一生に一度は善光寺参り」という言葉が流行し、多くの人々が善光寺詣を行う事が一般化し、現在まで続いています。

本堂

抜苦地蔵菩薩

創生当時からの石灯籠ですかね。

明治の開墾時に建てられたことを思わせるものや、当時の苦しさを示すものがありました。

辨榮聖人をウイキペディアで調べてみました。

山崎辨榮(やまざき べんねい、安政6年2月20日(1859年3月24日) - 大正9年(1920年)12月4日)は、日本の浄土宗の僧侶。大正時代に浄土宗の社会運動である光明主義運動を行った。安政6年、下総国手賀沼鷲野谷(現、柏市)の熱心な浄土門徒の農家に生まれる。近所の真言宗寺院で仏画を習う傍ら、12歳の時、阿弥陀三尊を夕日の中に観想して出家を願い、明治12年(1879年)11月、東漸寺の大谷大康に師事して出家した。

明治14年(1881年)に上京し、増上寺や駒込吉祥寺学林(現、駒澤大学)で研鑽を積み、明治15年(1882年)に筑波山中で念仏修行を行った。明治18年(1887年)に習志野に移住し、善光寺 (松戸市)建立・浄土宗本校(現、大正大学)設立の勧進を行った。明治27年(1894年)にはインド仏跡巡拝に出かけ、翌28年に帰国した。その後、光明主義運動を始め、大正3年(1914年)には如来光明会(現、光明修養会)を設立した。

大正5年(1916年)には、総本山知恩院の夏安居に講師に招かれ、大正7年(1918年)には時宗当麻派の本山、無量光寺 (相模原市)の61世法主に迎えられ、境内に人々の教育のために光明学園を創設した。大正9年12月、各地を巡錫中、柏崎市の極楽寺で還浄した。とかかれていました。

これも辨榮聖人が書いたもののようです。

地名の由来

はじめ開墾地には地名がなかったので、入植した順序により数字を組み合わせて名づけられ、初富(はつとみ)、二和(ふたわ)、三咲(みさき)、豊四季(とよしき)、五香(ごこう)、六実(むつみ)七栄(ななえ)、八街(やちまた)、九美上(くみあげ)、十倉(とくら)、十余一(とよいち)、十余二(とよふた)、十余三(とよみつ)となりました。と松戸市のうんちくに書かれていました

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粕壁・最勝院

2014年05月13日 23時55分31秒 | 訪問地周辺散策

春日部寺町の4つ目が最勝院です。今日のところはここが目的の寺でした。春日部市のHP:最勝院は真言宗智山派の寺院で華林山慈恩寺と号します。
広い境内では、明治時代には小学校が開設され、大相撲の巡業やサーカスの興行も行われました。
また、春日部重行公の墓と伝えられている塚もあります。春日部重行公は、南北朝時代に後醍醐天皇に味方して戦った武将。その活躍により、上総国の一部と下総国下河辺荘春日部郷などの地頭職を授かりました。というのを見て訪れようと思ったところです。

と書いてあり、春日部のランドマークというところでしょうか。

中へ入るとシャクヤクが咲いていました。本堂。脇に鳥居と参道があったので向かってみました。着いたところが塚でした。

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春日部寺町・成就院ネコさん

2014年05月13日 23時09分00秒 | 訪問地周辺散策

春日部市にある施設を訪問しました。少し早めに会社を出て、春日部駅の東口を大宮方面に行ったところに4つほどお寺さんがありました。3つ目が成就院です。立派な山門が立っていました。ここでは一般参加の座禅をやっているようです。 座禅は 本堂で般若心経等を読経したり、 十三仏堂で十三仏念仏をお唱えするようです。十三仏堂の後ろがお墓になっています。しあわせ観音像です。

墓から出てきたところで、ネコさんに呼ばれました。こんなことをしてシャッターチャンスをくれました。

少しお話をして帰ろうとしたら、今度はいろいろなパフォーマンスを始めました。少しなでなでして落ち着いてから解放してもらいました。お寺のマスコットという感じでした。

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