旭川神社の隣、旭川兵村記念館の向かいにあります。

日露戦争から大東亜戦争にいたる戦没者413柱を祀る、社殿は大正
四年建立、 当初「東旭川護国神社」と称し、戦後「顕勲神社」と改称。

戦前は在郷軍人会、終戦後は東旭川一円の町内会を対象に奉賛会を組織し
毎年七月五日に英霊祭を斎行している。
平成18年奉賛会結成60周年記念事業を実施、社殿屋根葺き替え、
濡れ縁階段改修、石垣階段縁石更新、握社増築などの事業を施した。

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のプロペラ

沖縄県石垣島の近海から引き揚げられましたが、胴体は海面からはなれ
空気にふれると、間もなくガラガラと崩壊しました。
プロペラは特殊な合金のため、40年以上も海水に浸っていましたが、
腐らないで残りました。

日露戦争から大東亜戦争にいたる戦没者413柱を祀る、社殿は大正
四年建立、 当初「東旭川護国神社」と称し、戦後「顕勲神社」と改称。

戦前は在郷軍人会、終戦後は東旭川一円の町内会を対象に奉賛会を組織し
毎年七月五日に英霊祭を斎行している。

平成18年奉賛会結成60周年記念事業を実施、社殿屋根葺き替え、
濡れ縁階段改修、石垣階段縁石更新、握社増築などの事業を施した。

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のプロペラ

沖縄県石垣島の近海から引き揚げられましたが、胴体は海面からはなれ
空気にふれると、間もなくガラガラと崩壊しました。
プロペラは特殊な合金のため、40年以上も海水に浸っていましたが、
腐らないで残りました。