宗谷岬の日本最北端の地の碑です。
常に観光客が写真を撮っているので、無人で撮るのは断念しました。
日本最北端の地の碑
この碑は、現在、私たちが自由に往来できる日本の領土としては最も北に位置する宗谷岬の突端、北緯45度31分22秒に建てられています。
北極星の一稜を象徴した三角錐をデザインしており、中央の“N”は北を、台座の円形は“平和と協調”を表しています。対岸のサハリン島クリリオン岬までは43kmほどの距離で、天候に恵まれると、背後に広がる宗谷海峡の彼方に、かつて日本領(樺太)だったその島影を望むことができます。
北緯45度上にある世界の都市を挙げると、イタリアのミラノ、カナダのモントリオール、フランスのリヨンなど。また東京は北緯35度、日本最南端の都市、石垣市は北緯24度に位置しています。
間宮林蔵
間宮林蔵の立像
江戸幕府からの命を受け北方散策に赴いた間宮林蔵は、1809年に間宮海峡を発見して、樺太(現サハリン島)が島であることを確認しました。この発見は、当時の世界地図の空白を埋める偉業であり、林蔵は世界地図にその名を残しました。その後、師である伊能忠敬の事業を引き継ぎ、蝦夷地(北海道)の地図作成にも多大な貢献を果たしています。
このブロンズ像は、彫刻家・峯孝氏の作品で、林蔵が樺太へ渡る決意を秘め、はるか海の彼方を見つめる姿を現しています。この場所から国道238号を稚内方面へ3kmほど進んだところに、林蔵が探検に出発したと言われる場所が残されており、記念碑が建っています。
峯孝のサイン入り。
祈りの塔
祈りの塔
1983(昭和58)年9月1日、ニューヨーク発ソウル・金浦空港行き大韓航空機KE007便は、予定コースを逸れサハリン上空を侵犯。緊急発進したソ連・迎撃戦闘機のミサイル攻撃を受け、サハリン西海域のモネロン島沖に墜落。日本人28名を含む乗客・乗員269名全員が亡くなりました。この塔は、全国から寄せられた浄財をもとに、遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い、事故海域を望むこの高台に遺族会が建立したものです。事件の真相を真の平和を鶴のように首を長くして待つという意味が込められたデザインで、鶴の高さ19.83mは事故発生の年、16枚の羽は遭難者の母国数、269枚の白御影石は犠牲者の数をそれぞれ表しています。
世界平和の鐘
世界平和の鐘
「世界平和の鐘」は、1954(昭和29)年に日本の一個人が戦争の悲惨さ、核廃絶の尊さを訴えて、当時の国連加盟国65ヶ国のコインと銅を鋳造した鐘を、ニューヨークの国連本部に寄贈したのが始まりです。同じ鐘を世界中に設置して、その思想を広めようとする運動で作られた第1号がこの鐘(1988年建立)で、81カ国の人々から寄せられたコインやメダルで鋳造され、重さ365kg、高さ60cmあります。国連本部をはじめ、世界中に設置される平和の鐘は、9月21日「国際平和の日」に世界中に向けて鳴り響きます。また稚内では、毎年、9月1日の「大韓航空機遭難慰霊の日」などにも鐘打を行っています。
彫刻や鐘の説明が書かれているのはたいへんありがたかったけど、文字起こしがとても大変でした。
子育て平和の鐘
子育て平和の鐘
「子育て平和の鐘」は、稚内市民の総意による10円玉募金で寄せられた浄財150万円と世界98カ国から寄せられたコインやメダルをもとに、「世界平和の鐘」と同じ1988(昭和63)年に建立されました。稚内市は、国際平和年の1986(昭和61)年に“子育て平和都市”を宣言しており、この鐘には、未来を担う子どもたちの幸せと、家庭・地域・世界の永遠の平和への願いが込められています。
世界平和
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