昭和新山です。
昭和新山を観測する人物の彫刻があります。
麦圃生山(三松正夫像)
米坂ヒデノリ
元は麦畑でした。
壮瞥町の郵便局長だった三松正夫さんが、溶岩の隆起を記録し、私財をなげうって
火山の保存に尽力しました。
昭和新山は昭和十八年暮れから二十年九月末にかけのどかな麦畑とフカバを
持ち上げ四ケ月の爆発期を経て熔岩塔推上という珍しい現象を伴ってこの地に誕生
した 時は第二次世界大戦末期の混乱下にあり厳しい報道規制が敷かれ火山学者の
十分な調査研究さえままならない頃であった。
この様な中にあって地元の壮瞥郵便局長三松正夫(一八八八~一九七七)は明治
四十三年の有珠山噴火体験時に受けた学者の教えを想起し この火山活動を歴史の
空白にしてはならないと 冷静な観察眼で創意工夫と努力想像を絶する苦難を重ね
て火山誕生の経過を語る貴重な資料を世に残された
更に敗戦の混乱の中 この新山を荒廃から護るため私財を投じて主要地域を購入
万民の宝として保護に死力を尽くされ今日迄我々に自然のあるがままの姿を残された
翁の私利私欲を越えた行動の意味を後世に語りつぐためにこの像をここに建立する
平成五年十二月二十八日
昭和新山生成五十周年記念事業実行委員会
壮瞥町長 菅原 一謹 書
現在の昭和新山の所有者は、三松正夫の孫娘と結婚した三松正夫記念館館長の三松三朗
さんとのことです。
昭和新山資料館 三松正夫記念館です。
残念ながらコロナの緊急事態宣言中のため、閉館しておりました。
なので、窓から中の様子をうかがいます。
麦圃生山のスケールダウンした彫刻があります。
有珠郡壮瞥町
昭和新山
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