お昼ご飯を食べようと、北欧の風 道の駅とうべつ に寄ってみる。
でもスープカレーのお店は臨時休業だったし、そそるものがなかったので、
ソフトクリームを食べて小腹を満たすことにする。
TOBEST CAFE で絶対に食べてほしい!ここだけの味 スウェーデンソフトを
注文する。
食券を買ってからカウンターに出します。
2021年9月に開業4周年を迎えたことを記念し、青地に黄色い十字のスウェ
ーデン国旗をイメージしたソフトクリーム「スウェーデンソフト」(380円)
を新発売した。青と黄色の鮮やかな色が特徴で、ハーブのシロップを使い
さわやかな味に仕上げた。
町はスウェーデン・レクサンド市と姉妹都市を結んでいる。ソフトク
リームは、町産米「ななつぼし」で作ったこうじ甘酒と、同国に自生
するハーブ「エルダーフラワー」のシロップを使用。こうじ甘酒は癖
がなく、エルダーフラワーはマスカットのような味わいだ。
さらに町産小麦と黒豆を焙煎(ばいせん)した「黒豆茶」のクッキー
をトッピング。クッキーは同国で幸せを運ぶ馬とされる「ダーラヘスト」
をかたどった。
なかなか斬新な味で爽やかでおいしいです。
余談 車に戻った途端、スコールのような大雨が!
びしょ濡れにならなくて、ほっとしたのでした。
北欧の風 道の駅とうべつ TOBEST CAFE
石狩郡当別町当別太774番地11
当別町立西当別小学校です。
何かないかな?と立ち寄りました。
校門前にマンホール蓋がありました。
正面玄関の脇に二宮金次郎像がありました。
けっこう古いです。
いろんな顔の二宮金次郎がいて面白いです。
心をあわせて
台座には昭和39年6月20日奉献とあり、15人ほどの名前が刻まれています。
当別町立西当別小学校の古い表札がありました。歴史のある古い小学校なのでしょうね。
当別町立西当別小学校
北海道石狩郡当別町太美町1481
文学碑
石狩川
本庄陸男は石狩川の川鳴りと漫々たる洪水の光景に抒情を掻き立てられ、
この地に埋もれた父祖の思いを覗いてみようと小説「石狩川」を昭和13
年6月から同人誌「槐」に連載しはじめましたが、健康不良を自覚して
完結を急ぎました。
本庄はその後半を書き下ろして単行本向き現行にまとめました。その二
ヶ月後の昭和14年病あらたまり7月23日石狩の潮が退くように逝きました。
私どもはこの文学碑建立五十周年に当り本庄のこころざしの向うところを
推しはかり、ここに槐の木を植えるものです
平成二六年七月二三日
当別町代三一~三三代 町長 泉亭俊彦
助役 谷本辰美
助役(故)佐々木保
副町長 近藤満徳
文学碑「石狩川」
この文学碑は、当別開拓の苦闘を綴る歴史小説「石狩川」を執筆した作家
本庄陸男の功績をたたえ、昭和39年7月23日文学碑建立委員会によって建立
されました。
本庄は、明治38年にここより数百米さきの太美ビトエ番外地で生まれ、原始
河川の石狩川洪水の光景と開拓に打ち込む人々の姿を生涯忘れませんでした。
小説「石狩川」は、昭和14年5月大観堂書房より発行され、その二ヶ月後、か
れはこころざしなかばにて東京の自宅で死去しました。享年三十五。
碑は、茨城県稲田の花崗岩を使用し、高さ5.7メートル幅80センチの一枚岩で、
上にマスヒジキ様式の石を乗せ、主柱にそって開拓者の昔を偲ぶ屋形を配し、
碑の前に生活を象徴するいろりが掘られております。
碑文 高見順氏。 彫刻 山内壮夫氏。
文学碑石狩川はのどかな田園風景の中にあります。
石狩郡当別町ビトエ
当別町立町別小学校です。
敷地内に彫刻があります。
古そうな彫刻です。
親心
銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
万葉集 山上憶良
創立七十年記念
紀元二千六百二年建設
寄贈者 故山田武夫
建設者 山田フデ
当別町立当別小学校
北海道石狩郡当別町元町102番地
こちらは車を走らせていてたまたま見つけたもの。
二宮金次郎像です。
昭和12年7月亡父ノ追善供養トシテ右近富造右近留吉両氏建立處昭和17年10月
大東亜戦争ノ為メ金属回収従ヒ應召昭和18年5月再度両氏寄贈ニ依リ之ヲ代替
建立ス
為追善故父母
寄贈 右近富造
右近留吉
再建が昭和18年と、歴史のある像です。
ここは廃校になってしまいましたが、小学校でした。
当別町立弁華別小学校
明治二十五年(1892年)五月開校
平成二十八年(2016年)三月閉校
弁華別小学校は、昭和12年建設。道内2番目に古い校舎とのこと。
当別町立弁華別小学校
北海道石狩郡当別町字弁華別243
車を走らせていて、小公園があって、そこに記念碑があります。
四角い彫刻です。
劉連仁生還記念碑
題字 泉亭俊彦
劉連仁氏は1944年中国山東省から連行され、沼田の明治鉱業で過酷な労働を
強いられていましたが、1945年7月にこの炭鉱を脱出しました。
1958年2月8日、当別の山中で穴居していたところを発見され、翌9日、保護
されました。強靭な意志と生命力により、実に12年と7か月の逃亡生活に耐え、
生還を果たすことができました。
時を経て、発見者の袴田清治氏、保護にあたった木屋路喜一郎氏らの招きに
より、1992年、1995年、1998年の三回にわたる氏の訪町が実現しました。
この交流の中から日中両国の友好と平和への願いをこめた記念碑が生まれま
した。
2000年9月2日、劉連仁氏は87歳の生涯を閉じました。
2002年9月1日、ご子息の手によって碑は除幕しました。
碑は彫刻家丸山隆氏の遺作でもあります。御影石の原石をもちいて、劉連仁
氏の苦難の穴居生活をみごとに象徴しています。
2002年9月1日
劉連仁生還記念碑建立実行委員会
劉連仁記念碑
当別町若葉
当別ダム管理所です。
インターホンで職員さんを呼び出します。
事前に当別ダムは見学済みでした。
放流しています。
職員さんからダムカードをもらう際に、「放流してましたね。」と話したら、
嬉々として「あれは自然放流なんですよ。この時期だけの光景ですね。」と
説明してくれました。
ダム湖です。
4月下旬、まだ雪の残っている時期でした。
当別ダム管理所
北海道石狩郡当別町字青山十万坪
ダム下流側にダムの全景を撮りに行きました。
亜麻のふるさと 当別ダム
望郷の碑
当別町の開拓から百年目にあたる昭和45年より当別川の多目的な利水計画の
もとに、ダム建設の予備調査が始まった。
平成4年に至り、ダム湛水地域住民の立退き論はようやく纏り、供水調節・
広域水道用水ならびに農業用水が確保されることとなった。
ここに、水没地域住民が墳墓の地を断腸の思いで協力されたことに対して、
本碑へご芳名を刻し、末永く感謝の意を表すものである。
平成24年10月
当別町長 泉亭俊彦
当別ダム
すごい水量です。
測量の碑
当別ダムカード Ver.1.0
所在地:北海道石狩郡当別町
河川名:石狩川水系当別川
ランダム情報
ダム湖の名称は公募により先行され「当別ふくろう湖」と名付けられました。
周辺にはダム湖を望むビューポイント駐車場や下流広場、望郷の碑、測量の
碑等があります。
こだわり技術
日本で最初に完成した台形CSG(Cemented Sand and Gravel「セメントで固めた
砂礫)形式の多目的ダムです。
当別ダムカード Ver.2.0
北海道管轄のダムカードがリニューアルし、旧バージョンと新バージョンが
もらえます。
ちょっとうれしい反面、既にもらってしまったダムカードはもう1回行かねば
ならぬことになって複雑な心境です。
当別町役場です。庁舎の方を向いた胸像があります。
正面に回ります。
鹿野惠造翁
長い碑文があり、頑張って文字おこしをしてみました。
鹿野惠造翁は明治7年本町に生れ自ら開拓の苦闘を体験明治44年当別土功組合を
次で当別川南土功組合を創設し当別産米の基礎を確立大正12年以降は当別村農会
長また札幌外四郡農会長札幌外四郡産馬畜産組合長或いは当別産業組合長石狩地
区農業会長として農政に協同組合運動に挺身され更に森林組合町村会議員道会議
員村長を歴任して政治行政にも参画札沼線敷設には身を賭してついに実現をみた
ことは長く人々の銘記して忘れることのできないところである
昨年のこれら多数の業績に報ゆるため名誉町民に推挙され今年翁の米寿を記念し
て農民の総意によりここに胸像を建立しその偉業を後世に伝えんとするものであ
る
昭和36年6月7日
当別町農業組合連合会 塔熱腸農業員会 当別町土地改良区 当別町森林組合
当別町農業共済組合 当別町開拓農業協同組合 西当別町農業協同組合
当別町農業協同組合
残念ながら作者の記載はない。
隣に当別町町政功労者会創立記念樹がある。
敷地内にもう一つ彫刻があります。
開拓の像
当別町長 近藤辰雄書
親子の像なんでしょうね。
明治初年 石狩川のほとり当別の地一帯は 原子の巨木鬱蒼として繁り荒漠とし
た密林には 熊羆豺狼が恣に出没したところであった
明治4年 仙台支藩岩出山藩主伊達邦直公は維新の変革を機に この地を拓北の
新天地と定め多くの家臣と共に決然として移住し 百何を忍び、窮乏に耐え 不
屈の精神によって当別開邑の偉業を果したのである
その後代々の村民は協力一致祖先の偉業を継承し 幾多の試練をのり超えて
ここに故目どころとして知られる一大農村当別町を築き上げたのである
この彫像は 百年の試練に耐えて樹立した開拓の功業を偲び 限りなく進展する
未来を期待して建設したものである
昭和45年9月10日
彫像製作 本田明二
撰文 近藤辰雄
浅見晴夫 書
役場の中にも何かないか入ってみました。
TO CELEBRATE 15 YEARZ AS TWINTOWNS TOBETSU-LEKSAND AUGUSUT 2002
A GIFT FROM:
THE COMMUNITY OF LEKSAND
"DANCING COUPLE FROM LEKSAND"
ARTIST:TORBJORN LINDGREN,REKSAND SWEDEN
CHAINSAW SCULPTOR
チェーンソーアートですね。
寄贈 河村工業(株)とありました。
役場を出たところで玄関前にフクロウを発見。
フクロウは当別町の鳥なので、町のいたるところでフクロウを見かけます。
当別町140年記念
贈 当別ふくろうの会
平成22年10月
当別町役場
石狩郡当別町白樺町58番地9
当別町当別神社の続きです。
敷地内に彫刻がありました。
近藤辰雄氏之像
立体写真像
発明者 盛岡勇夫
碑文
名誉町民近藤辰雄氏は太古の声を伝える母なる川当別川の右岸 名勝阿蘇岩
の麓弁ケ別にて鍬・鉞をふるい開拓難行を克服してきた父辰太郎氏の嫡子と
して明治37年9月30日その生を享く。
若くして父祖の開拓魂 不屈の闘魂を受け継ぎ おくせぬ行動派を以て頭角
を表わす 第二次大戦後封建制時は崩壊し民主的新日本が誕生する
昭和22年地方自治制度の改革に基づく首長公選に町民の衆望を担って初代首
長となる
爾来五期20年間行政の衝にあたる 此の間明治人としての気骨と強い信念の
礎石を築く
この偉大なる業績は赫々たるものがあり枚挙にいとまないが 特筆すべきは
青山ダム建設に依る美田の造成 治山治水の整備 教育施設 社会福祉の充
実 道路橋梁の整備等町民の福祉向上に全力を傾注して今日大きく変貌した
町づくりの姿を見る今や氏の業績は長く歴史に残り 不滅の光を放つものと
信じる
ここに氏を敬愛 思慕する者が相はかりその功績を長く伝えんとし銅像を建
立する
昭和54年11月吉日
銅像建立協賛会
会長 坂牧義文
彫刻の隣に木があり、
銅像建立記念植樹 とありました。
敷地内に小さな祠がありました。
聖徳神社
また石碑があったけど、読めません。
もう一つ記念碑があり、
中央に彫刻があります。
埋れ火の塔
建立趣旨 とありますが、ちょっと崩し字で文字おこしを断念。
だって読めないんだもん。
製作者 坂坦道
なかなか収穫の多かった当別神社でした。
当別神社
石狩郡当別町元町51-12
当別町阿蘇公園の続きです。
立派な石碑があります。
消防顕彰碑
レリーフがあり、坂坦道の作である。
坂担道と彫っているが、誤りであると思われる。
碑文
風雪に耐えぬき 伝統ある我が郷土 当別町の消防組織は明治43年に
はじまり大正2年降雪当別消防組となる
爾来創始70年 消防人は一致団結 郷土愛後の精神にもえ 身を挺して
凡ゆる 災害の惨除に努め 住民の生命 財産を守り その使命に尽瘁
せり
茲に本町の発展と住民の福祉安寧に寄与した今は 亡き消防人の偉大な
功績は とこしえに滅することなく 燦として 輝かんことを
当別町開基百年を記念して 有志の篤志 及び 当別町費により顕彰碑
を建立する
昭和55年10月吉日
当別町消防顕彰之碑建立委員会
隣接地の当別神社に場所を移す。
花詣ののぼりがあり、
お花がきれいです。
敷地内には石碑がたくさんあります。
忠魂碑。
日露戦後 凱旋記念碑
吾妻謙君之碑
説明書きがあるが、ひらがなが一個もなくて文字起こしは挫折したので、
コトバンクから拾ってきた。
コトバンクより
吾妻謙(あづまけん)
天保15年11月生まれ。陸奥仙台藩岩出山領主伊達邦直の家臣。戊辰戦争
後、邦直と旧領の士族,農民とともに北海道の当別(とうべつ)にわたり、
開拓を指導、成功にみちびいた。明治22年5月18日死去。46歳。通称は
五左衛門。号は蘇山。姓は「あがつま」ともよむ。
伊達邦直之命 当別開祖の宗祖
御創祀壱百年記念碑
当別町長 伊達寿之謹書
当別開祖の宗祖 伊達邦直公は 主従108名を率いて明治4年宮城県玉造
郡岩出山より 石狩国厚田シップに入植 翌年5月当別に移住す
明治24年1月12日感冒により58歳で逝去 同29年阿蘇神社として認可
8月15日伊達邦直之命を御創祀 此処に百年祭を迎えるに当たり記念事業
の一環として記念碑を建立し 未来永劫伝承せんとして奉納す
平成8年8月15日
伊達邦直之命御創祀百年記念事業奉賛会
奉賛会会長
責任役員総代長 宮永龍美
奉納者 宮永建設株式会社
文字が摩耗して読む気にもなれないが
当別開拓先駆者碑
こちらも古そうな石碑だ。
当別開拓紀功碑
まだ雪が残る時期に行ってきました。
うちのブログは3ヶ月くらいタイムラグがあります。
書くのが追いつかないのよね~。
当別神社
石狩郡当別町元町51-12
当別町総合体育館です。
残念ながら閉館日で、ガラス越しに彫刻を見る。
ふれあいの像
この角度ならよく見える。後日再訪することにする。
奥に子ども牛鬼が見える。
当別町総合体育館
石狩郡当別町白樺町2792番地
当別町阿蘇公園です。このモニュメントは当別町開基110年を記念して
作られたとのこと。
公園なので遊具もあります。
敷地内にモニュメントあり。
阿蘇の鐘
内閣総理大臣 中曽根康弘 書
検索しても作った経緯がわからない。
内閣総理大臣が題字を書くくらいだから、何か意味があったのだと思うけど。
他にも「と」のモニュメントがありました。
当別町章をデザインしているとのこと。
これは遠くから写真を撮らないと。近くに寄りすぎると「と」が見えなくなるという
トラップがあります。
そして別の角度から見ると、何のモニュメントかわからなくなります。
敷地内に土俵がありました。
阿蘇公園
石狩郡当別町元町53-10