「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

夜桜見物

2016-04-10 22:53:16 | 夜行、 光の木
風邪だか花粉症だか、とにかく体調が優れないなか夜行には行きました。杜も花盛りで、行は桜見物と化してしまいました。
マイケルさんに美しい光が差したので、満足です。

今日は早々と休ませていただきます。また明日。
おやすみなさい

風邪か花粉症か

花粉症か風邪か、、👺

お父さんの言葉

2016-04-10 11:26:34 | 今も心に、、
改めて振り返ってみれば、ジブンが本当に小さな時から、様々な素敵な言葉を父はワタシにくれた。

当時は心に響く事もなく、フンフンと聞き流していた言葉が、、大人になり、ジブンが親になってから、やけに心の中に甦り、言葉数は少なかったけど、尊敬すべきところがたくさんあった父親だったのだなあと改めて感じている。

その事に、父が生きているうちに気づき、一言でも感謝の言葉をきちんと伝えたかったなあ、、。、、今更ながら、、遅ればせながら、、だけど。

母より7つ年下だった父。

今の時代なら、年下の彼氏や夫は全然珍しくないけれど、昔はかなり特異❓な事で、結婚も当然反対されたらしい。(結婚した当時、母の両親はすでに亡くなっていたので、反対したのは父方の方だな(..)(__))

年下だから、というのが関係あるのかないのかよくわからないけど、母はどちらかと言えば勝ち気、父は大人しい人、と言うイメージをワタシは子供の頃から抱いていた。

母は自営でバリバリ稼いでいたから自信もあったのだろう。学歴に関しても父親と比べ遜色なく、もしかしたら、だが、自分の方が上、みたいな気持ちでいたかも、知れない。今となっては確めようもないが😄。

父がワタシに何かを教えてくれる時は、大抵二人きりの時であった。母親がいる前ではあまり喋らない。ただニコニコしているだけ。

母がまだお店で接客している時に、父とワタシは台所や居間で、本当によく話をした。会話は大体こんな感じだ。

「お父ちゃん、今日成績表を渡されたよ」
「あ、そう、、。どうだった❓」
「すんごく悪かったー😢💦。」「あ、そう。どれ、見せてみろ」おもむろに差し出す。じっくりと隅から隅まで眺める父、、無言。「ね、悪いでしょう❓」
「うん、余り良くないねえ。○○には見せたの❓」(○○は母の名前。父は母の事をいつも名前で呼んだ)
「うん。見せた。すごく怒られたよ💣。“○○(兄)はすごくいい成績なのに😡○○子は!!”って何回も言われた。あと“母さんの身内にはこんな成績悪いのは一人もいない”っても言われた😢💦」「あ、そう、、😞。でも、○○子は欠席ゼロだねー。あと、国語と音楽はいいねえ。○○子はやればできるんだから頑張りなさい。はい、お疲れさま」そう言って成績表をパタッと閉じた。

いつもそんな感じの人だった。正直言うと、子供の頃から父はいつも母に何かしら文句を言われているように見えて(それは、私の成績の事だったり、父の帰りが遅い事だったり、様々だった)それに対して余り反応しない父親が不甲斐なく見えたりしていたのだ。

それは全くのワタシの思い違いだったことを大人になってから気づいた。

話は戻るが、父はよくワタシに「○○子はやればすごくできるんだから頑張りなさい。」って言った。

その言葉、

やればすごくできる

は、大人になってからもジブンの心の中に残り、今も、何かしらジブンを鼓舞させる必要がある時に呪文のように呟き、また、ジブンの子供たちにも、この言葉を聞かせた。

父には他にも随分沢山の素敵な言葉をもらった。感謝の気持ちも告げぬまま、余りにも早く旅立ってしまった父だが、、ワタシが今でも父に対しありがとうと毎日のように話しかけている事に気づいてくれているだろうか。

お父さん、今年もまた、お父さんの大好きな、桜の季節が訪れましたよ、、🌸。




笑ってます、、❓

2016-04-10 06:45:45 | 月火水木金土日、、朝(時々夜)。゚+.(・∀・)゚+.゚
咲いております。

何もかも。

今を盛んに

木や花や草、、みな

競演。

いや、共演か。

桜の木の下

桜色の花


輝きを増す杜の朝は

空気さえ和らいで

ジブンはやっぱり眠りそうになりました。

帰り道

朝陽に輝く空を撮りました。

笑ってます、、❓

顔文字の(⌒‐⌒)みたいですけど、、。