杜の木々たちの傷みがこのところ目立ち、何だか寂しい。
以前blogに書いた、下部からスパンっと切断されてしまった木から始まり(此木はその後も幹から枝葉を出していますが。) 昨年末、別の木が半分根っこを、見せたような状態で倒れかかっているのを見つけた。
小さく盛り上がった小山の斜面の一番上に生えている木なので、万が一倒れても人間が怪我をしたりする可能性はほぼないだろうが、誰かが市役所等へ連絡した時点で、危険だと見なされ、早急に斬り倒されてしまいそうで悲しい。想像しただけで悲しい。
相当年を重ねた木だったのだなあ、、。見つめていると、何だか、木々の思いこちらに伝わってくるような感じになった。
今朝の、この二枚は、同じ時に撮ったのだけれど。見せてくれた光景がまるで違う。[
一瞬にして様子を変えた杜は、何を語ろうとしたのか。
当たり前のことだけれど、何にだって、どんなものにだって、命には限界ある。
受け入れないわけにはいけない寿命があるのだ。
この木が、と言うかこの杜全体が見せた一瞬の表情の違いは
終わりを受け入れた穏やかさと
まだ受け入れられない哀しさとを
見せてくれたのだろうか。
全く、本当に
杜は
まだまだ人間が知らない世界を
いくつも持っている。
さよならを告げなければならない木は、この木だけでは終わらなかった。
それは、また、のちほど。