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頼朝、を軽く説明 鎌倉時代

2023-11-09 23:00:11 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
伊豆国の、蛭ヶ小島🐸に流された頼朝でしたが、その間何と二十年✌、、うわあ(´゚д゚`)普通なら人として干からびてしまいそうですよね。しかし頼朝は違いました。どういう方法でかは知りませんが、島の外の現在の状況、例えば平氏の現況、朝廷の様子などの情報を把握して、ふむふむ、そうか、、と色んなことを考えていたようです。来たるべき時に備えてという感じか。そして、この蛭ガ小島で頼朝は、運命の出会い😍をします。清盛から「おい、ちゃんとあの頼朝っちゅーのを見張ってろよ」と頼まれて監視役をしていた北条時政の子である北条政子と出会ったのです。平氏側の人間と源、、言ってみりゃ仇同士ですよね、これは。当然ながら時政は最初怒り狂ったようです。が、許すんですよ、最終的に。その後、北条も色々ありましたが、とにかく、二人は結婚しました♥。、、
さて、そんな頼朝についに!チャンス到来。切れ者の実力を発揮する時が訪れました。長かったけどな、20年は。
立ち上がりのきっかけは、時の法皇、後白河法皇の子である以仁王(もちひとおう)からの令旨(命令)です。「何としても、平氏をやっつけてちょーだい!」 頼朝「よっしゃ〜!ついに俺の出番だぜ!ちゃんと準備はしてたもんね✌」実際どのように策を練っていたのかはわか りませんが、とにかく、ちゃんと人を集め挙兵したのですから大したもんです。が、、張り切って望んだ神奈川の石橋山での戦いは、平氏側が勝っちゃったのよな😞。十三歳の時の初戦同様、また頼朝は逃げました💨。どこへ?安房へ。安房っていうのは千葉県。ほんでもってこの逃げた場所が安房だったのが大当たり🎯何故か?それは、「わしら平氏にはもう、ほんと不満タラタラや●`ε´●!打倒平!やで!」の武者たちがぎょうさん集まってきたのだ。こんな事、頼朝は予測していただろうか。やっほ〜い!の嬉しい悲鳴だろうさ。結局沢山の武者たちと共に鎌倉入りし、その後再び平氏側と、今度は静岡の富士川を挟んでの睨み合い。ギラギラ燃える頼朝。そしてこの戦は頼朝側が優勢。と、ここで頼朝は、戦の助っ人として参上した二人の弟、義経、範頼に戦を任せ、自分は鎌倉に帰ってしまいます。

ここがすごいとこですよね。二人に任せて向かった先の鎌倉で頼朝は何をしたか。答えは言わずもがな、、そう。鎌倉での幕府の政治体制の基盤づくりをせっせとやっていたのです。せっせせっせ。現地で戦う弟二人や他の武者たちを信頼していたという事ですよね。頼朝、リーダーにはもって来いの人物なのだろう。戦は続く。頼朝はその後どうしたか?!


軽く紹介 頼朝、、。戦って、生き延びて、流されて、、 鎌倉時代〜

2023-11-07 22:28:52 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
ここで軽く頼朝について紹介いたします。超有名人の部類ですかね、頼朝は。義経も同じく超がつく有名人。二人は兄弟。義経は、頼朝の弟なのよ。父は源義朝。ああ、やだわ、やっぱり似てるわ、皆名前が(# ゚Д゚)。
頼朝は、まだ小さな頃から戦に参戦してました。その年13才。ヒエ〜。今で言う、中1だど。あの有名な平治の乱や。あれが、頼朝の戦デビューや。こん時は父の義朝と一緒。親子で平清盛と戦ったのだ。が、、みなさんもご存知の通り、この頃の平清盛は、実に強く、結局義朝、頼朝は負けてしまいます

。、、負けてどうしたか→逃げました🏃父と共に。が、運悪く、二人ははぐれてしまいました。まだ子供だった頼朝は、平氏に捕まっちまいました。絶体絶命、かと思われましたが、ここに菩薩のような救世主が現れます。敵の清盛の継母。名は池禅尼。尼ですからねえ、、。情に厚かったんすかねえ。

何はともあれ、頼朝、命だけは助かりました。そして、伊豆の蛭ヶ小島に流されました、蛭ヶ小島って名前がついてるくらいだから、、蛭がたくさんいる島だったのかなあ🐸。ケロケロ

モテ男頼朝 仕事もできますがな。 鎌倉時代〜

2023-11-07 21:43:20 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
始まり始まり〜🪭。鎌倉時代の前は、言わずと知れた平安時代、、。実際は平安ではなかったようですが、とにかく平安時代。平安時代の終わりころ、源氏🆚平家 そこに藤原も絡んでの大変な争乱があり、何が平安だと言う感じでしたが、実は源氏と平家がやりあったあと、つまり平家が滅びたあと初めての武家政権となった鎌倉幕府はメキメキと力をつけ、朝廷と対を張るようになります。どうだどうだ、と言わんばかり。それにしても、です。平家や藤原と必死こいて戦っていたにも関わらず、何故鎌倉での政権づくりもできたんでしょうね。それは、、源平の争いの真っ最中、源頼朝は、源義経や源義仲などに戦いを任せ、本人はその間せっせと鎌倉で政権の基盤づくりに励んでいたようなのです。様々な政権の機関を設置し、さらには後白河上皇におねだりまで。そのおねだりというのは、「ねえ上皇様。政権運営する上で、治安を守るっつーのは非常に重要なことでしょう。その役職を各地に置かしてよ。いいでしょ?」上皇も「オッケー👌」と言わないわけにはいきませんでした。このへんは、また少し複雑な事情もあったようです。下準備も整い、晴れて源頼朝は武家政権の親玉となり、鎌倉幕府を成立させたのです。正真正銘、初めての幕府政権、の誕生です。鎌倉幕府万歳!\(-o-)/て感じですかね。
さて、そんな頼朝の正室、つまり奥さんですが、これがまた、何と言う因果かよりによって「平氏」を祖先に持つ北条政子というかたです。何で?何でまた敢えてそんなかたと、、(・・;。と首を傾げたくなりますが、とりあえず二人は恋愛結婚だったようです💕。頼朝には元カノなどもおったようで、実際おモテになったようです。そうかそうか


女傑登場、。 鎌倉時代

2023-11-07 05:59:46 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
鎌倉時代って、、学んだはずなんだがな、確か。でも、人間は忘れる生き物。特に忘れやすいのが私。、、そして、登場人物の多さと似たりよったりの名前にまたまた混乱。何だってみなこんなに似たりよったりの名前をつけるのか。この似た名前、は少し前に学習した徳川などもそうなよねえ、、一文字被りですぐに混乱🌀。やめてほしい、マジで。でも、グダグダと文句を言ってても始まらないので、鎌倉時代、始めます。鎌倉時代のキーワードと言うと、何が浮かぶでしょうか。北条政子。はい、確かに重要な人物ですね。源頼朝。このかたも、重要人物で彼なしには鎌倉は語れませんね。そして、他にもまだまだいます。有名どころ。源義経、義家、義仲。後白河法皇。他には、非常に不安定だったこの時代に生まれた鎌倉新仏教、とそれを説いた法然。日蓮、親鸞、、て!すごい、超豪華な顔ぶれやん!(゚д゚)!、さらにはあの、後世まで残る、あまりに有名な随筆家、吉田兼好。後醍醐天皇、足利尊氏、、これらの名前を見ただけでも鎌倉時代、ワクワクしますね。まだまだいろいろ出てきます


もう二度と、、(:_;)

2023-11-04 21:52:02 | 小さな旅のおはなし
最後に東京及び横浜に行ったのはつい4ヶ月前。そんときゃ東京は赤坂、の日枝神社のそばにある出来たてのホテルにツイン一泊二万前後で泊まったんだ、うん。大浴場もあって、朝食付き。で翌日の横浜も、桜木町駅からさほど遠くないこれまた大浴場付きで朝食付きの高層ホテルに、これもツインで確か三万ちょいくらいの値段で泊まれたのでした。
それで、、今回、前回と同じパターンで、金曜の夜は東京泊、翌日鎌倉泊ってと。そんな感じでホテル探しを始めたのですが、、。旅行の予約サイト見てびっくり👀!!エーっ、、?!何だ何だ!見間違いじゃないよね⚡HOTEL、めっちゃ値上がりしてません?!ただならぬ事態。こうなると、ヒマ人の私は、過去に泊まったホテルがどんだけ値上がりしてるかを調べてみたくなり、色々と調べてしまいました。予約内容は、全てツインの朝食付きです。一番高かったのは、頑張ってお金貯めて一昨年泊まった千代田区にある憧れの高層ホテル、お値段は確か五万円代後半でした。今10万超え\(◎o◎)/!他、日本橋の大浴場付きのホテル3年前大体二万円台後半、今は六万越え。汐留の高層ホテル当時三万位。今は大体七万。うわあ〜。じゃ、過去に泊まったことなくて、いつかは泊まりたいと夢見てた、横浜の、あの海の目の前に建つ老舗のホテルは?と恐る恐る調べたら、朝食なしのツイン、一番安いプランでも六万近かった(@_@;)。何かマジもう一生泊まれそうにない、、😞。今度行く鎌倉も場所がらなのか、全体的にお高いのでございます。ビックリしました。(´;ω;`)せっかく行くのだから、ちょっといい宿を、と思っていたのですが、軌道修正し、鎌倉駅周辺は諦めた次第です。いつの間に、、こんなにホテルは高くになったんだい?ちょっと、もう浦島太郎状態です。亀は助けていませんが、、𓆉うわあ、、、懐かしい、、。多分もう二度と泊まることはないだろうなあ、、😂

ちなみに、冒頭に書いた赤坂のホテルも4万越えとなってました。