さいふうさいブログ

けんちくのこと、日々のこと、いろんなこと。長野県の建築設計事務所 栖風采プランニングのブログです。

原点

2012年10月21日 | ◆おいしいもの

P1250111

今の私の仕事や暮らしの原点は何か。

思い返せば、それは

自分の育った環境から

自分の感性を信じて繋げてきたもの。

 

その中でも、

現在のこの仕事と暮らしに直結する原点は

私にとっては大学時代。

 

その大学時代の恩師 日向進先生が

先日、海野宿を訪ねて来て下さいました。

 

先生曰く 「飲み続け研修」だそうで

(さすがっ)

飲み仲間の皆さんと一緒にお越し下さいました。

  

(私も密かに?飲み続けを一人実行中?)

  

僅かな時間でしたけれども、

海野宿を一緒に歩きまして

まだまだ荒れている我が家も見て頂きました。

 

先生とは

大学を卒業して以来、

16年程もご無沙汰しておりまして、

半年程前に大学を退官されたと知らせを受け

退官記念パーティーに出席した際に

長年の音沙汰無しというご無礼をお詫びしつつ

お許しも受けまして(涙)

今回、海野宿まで来て下さったのだと思います。

 

先生との一時で

大した会話も出来ませんでしたけれども

それでも

さり気なく仰るお言葉に

ふと原点を思い返すきっかけとなりました。

  

設計者の目線、生活者の目線が主になってしまっている自分に改めて気づき、

もっと純粋に日本建築史(建築“士”ではなく)が

仕事に活かされているのだろうか

つい考えてしまいました。

 

20代は、ともかく設計実務を覚えることで必死

  

30代は独立したのでその基盤を作ること、

そして家庭を持ったこと、

屋敷を持ったことで人生設計に必死

  

そして今は40代になり、

まだ子育てもありますが

今度は復習しながら研鑽していく段階かな

と自分の40代の目標が見えてきました。

  

   

この海野宿の屋敷、、、

元からあまりにも荒れていて、

資金の目途も立たず、

どうしようと

未だに途方に暮れていますが、

 

崩れかかっている土蔵の

土壁が落ちて下地が見えている部分を発見した先生は

「おっ 土蔵の下地が見えているぞ☆」

なんて写真を撮っている姿に

実は、ハッとさせられました。

 

自分の屋敷

荒れていることに嘆いている自分が

恥ずかしい。

 

崩れている建物を

客観的に研究心で捉える

 

あー

しかし、それがやはり我が家のこととなると

どうしても客観的、冷静でいられない自分・・・。

  

 

先生が我が家をご覧になっている間、

お仲間の方の中には

荒れた屋敷の足場の悪さゆえに

(本当は既に 千鳥足状態 のようでしたが

何度か転倒事件が

(笑えるような、笑えないような・・・)

  

飲み続け研修の御一行の皆さんには

一通り、海野宿と我が家を見学して頂きまして、

先生から

京都北部の舞鶴市の特産品「舞鶴かまぼこ」を

お土産に頂きました

 

私からは、飲み続け研修のために

地酒をプレゼントしたのですが、

 

逆に

先生が大事そうに抱えて持ってきていた金沢のお酒を

頂くことになってしまいまして、恐縮

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うふふ。

お酒のお伴にいけそうな舞鶴かまぼこ☆

(有難うございました

 

さて、また仕事に戻りまして

地道に頑張って参りたいと思います

 

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4 コメント

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「設計者の目線、生活者の目線が主になってしまっ... (s/s)
2012-10-21 17:49:33
「設計者の目線、生活者の目線が主になってしまっている自分に改めて気づき、
純粋に日本建築史が仕事に活かされているのだろうか」と思われたとのこと。

私は、「『日本建築史』は、生活者の目線で設計されてきたことの結果の集積である」と思っています。
私が「建築史」に学ぶのは、往年の人びとが、どのようにして生活者の目線を建物づくりに反映させてきたかを知りたいからだ、と言えるかもしれません。長年にわたる人びとの営為を知りたいのです。

貴方の事務所のなさっていることは、「これからの建築史」に載ってよい成果になっているのではありませんか。

そんな感想を持ちました。

返信する
s/sさん、とても有り難いコメントに大変嬉しく思い... (kaori)
2012-10-21 22:38:24
s/sさん、とても有り難いコメントに大変嬉しく思います。

本当に久しぶりに研究室の空気を感じて、当たり前かもしれませんが、大学時代の時とは随分変化している自分に気が付きまして、その変化は、明らかに目線の変化でした。

そんな自分に、少しだけ戸惑いも感じまして、今回のような記事になりました。

s/sさんのおっしゃる「生活者の目線で設計されてきたことの結果の集積」としての日本建築史がまだ私の中では身についていない感じがしていて、(想いだけはいつもあるのですが)復習したい衝動と、もっと色々勉強したい気持ちばかりで焦っているのです。
 
焦らずにと思いつつも、研究と設計とで違うことは、いつも仕事では判断・決断を次々と迫られますから、目の前の建造物に対して、この判断で良かったのかと、(お施主さんに対してはもちろん今の段階で出来ることを精一杯やっていますが)いつも考えてしまうのです。
   
s/sさんに、「これからの建築史に載ってよい成果となっている」というお言葉に、素直に嬉しく思いました。
有難うございました!
お言葉を励みにして、これからも頑張っていこうと思います。
 
返信する
蛇足を書きます。 (s/s)
2012-10-22 18:17:45
蛇足を書きます。

・・・・研究と設計とで違うことは、いつも仕事では判断・決断を次々と迫られますから、目の前の建造物に対して、この判断で良かったのかと・・・・

こういう「想い」、昔を思い出します。これでいいのか・・・、と思い悩む・・・。
しかし、これまでの経験から、
人というのは、判断を短時間にせまられたときに、正当で正確なな判断をするものだ、というのが私の実感です。
ああだこうだと考えあぐねた「答」というのは、えてしておかしい。
多分、決断・判断を迫られたとき、余計なものが脳裏から消えている、本当に重要なことだけが際立って見えている、のだと思います。
いろいろとスケッチを繰り返し、結局は最初の案に戻る、という経験はありませんか。
「最初」は、やはり、重要なことを直観でつかまえているのです、きっと。

車を運転していて、今、どう行動をとったらいいか、ああでもないこうでもない、などと迷っていたら、事故になります。
そんなことはしていない。そのときの直観的判断に任せています。
多分、それと同じなのではないか、と居直っています。
返信する
s/sさん 重ねて有難うございます。 (kaori)
2012-10-22 20:32:44
s/sさん 重ねて有難うございます。

直感を信じる、まさしく、私のこれまでの殆どは直感で生きてきたようなもので、ご指摘の通りだと思います。

なので、いつもs/sさんのブログにも私はとても勇気づけられるのです。

こうした意見をおっしゃって頂ける方がいて、私、本当に嬉しいです。

最終的に決断する時は、やはり直感だったり、あれこれ考えても落ち着くところに落ち着くものだと、これは私の経験でも感じているところです。

ついでに不自然なものはやっぱり不自然だということも、嫌というほど感じています。
 


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