さいふうさいブログ

けんちくのこと、日々のこと、いろんなこと。長野県の建築設計事務所 栖風采プランニングのブログです。

たそがれ

2010年12月07日 | ◆建築に思うこと

P1130095

 

先週のことです。

6歳息子の通う海野保育園の年長さん達は、

埼玉県にある鴻巣ひかり幼稚園へ

マイクロバスに乗って

年長交流会に出掛けて行きました。

今回で5回目くらいになるでしょうか。

日帰りですので、夕方時分に帰ってきます。   

見慣れた風景や建設中の園舎を

写真に撮ったりしながら、

子供達の帰りを待っておりました。

P1130101

 

私達の暮らす

重要伝統的建造物群保存地区「海野宿」の

街道のすぐ裏手にある保育園。

建設中の園舎を見つめながら

想うこと

  

それは、

  

この地域に、

何故このような 造形 の建物なのかな?

思うのです。

 

前にも書きましたが、

さくら・さくらんぼ保育のために

8角形の遊戯室が設けられていることは

よくわかります。

P1080198

(模型写真)

8角形を取り巻くように繋がっている下屋は

高さが低めに抑えられて

実際、建設中の空間を見ても

良い感じです。 

  

それに対して、

三角形の屋根△△△部分や、

全く庇のない部分等が

私的にはちょっと気になります。

何故、その形なのかしら?

と。

遠くから見ると、

結構 目立つ 感じなのです。

(模型のように 園庭に

植樹されれば、目立たないかも)

  

まだ、建設途中ですので、

どんな感じの建物になるかは

よくわかりませんが、

素朴に

その「形」の意味を

問いたくなります。

  

私は決して

伝統的な造形を期待しているのではありません。

  

施設建築は住宅に比べ

規模も大きく目立ちます。

だからこそ、

地域においては

シンボリックな建物になります。

  

海野宿の街道とその周辺には

「歴史かおるまち海野宿景観形成住民協定」による

協定区域が 一応 定められています。

また海野宿に訪れる観光客は

裏の方まで足をのばす方もいます。

  

保育園の園舎の建設地は

協定区域を道路を境に外れているので、

住民協定は関係が無い、

ということになるかもしれませんが、

そこは、設計者の良心といいますか、

こと造形に関しては

空間と構造との関連によるものなので

設計者(建築家)の領域。

建築主(施主)が造形に対して

突っ込んだ意見を出すことは

そうはありません。

設計者にゆだねられている領域であるが故に

もう少しだけ

配慮があっても良いのでは?

と思ったのです。

  

なんて

私など、えらそーなことを

言える立場では全くありませんが

(スミマセン

素朴に想うまでです

  

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も同感です。 (s/s)
2010-12-07 10:03:06
私も同感です。
設計者が、製図版の上だけで考える傾向が強すぎる。
その上での「造形」になってしまうのです。
そしてさらに、模型をつくっても、俯瞰してしまう。
多分、それがこういう結果を生むのだと思います。
せめて、周辺の地図の上で設計してほしい。
模型も、周辺の建物を用意する。
そして、模型は目線で見る・・・・。
そうする習慣があれば、変ってくるはず、と思ってます。

返信する
s/sさん コメント有難うございます! (kaori)
2010-12-08 11:29:31
s/sさん コメント有難うございます!
  
ちょっと話が違うかもしれませんが、
うちの6歳息子などを観察していて想うことでもあるのですけれども、
男の子ってどうしてロボットのような合体ものとかブロックとか、いじくりまわすのが好きなのかなと、つくづく思うのですが、
実は建築学科の学生達が建物の模型を楽しそうに作っている光景と似ているのです。
  
何を言いたいかと言いますと、
学生の時の延長で、良く言えば、子供心を忘れていない建築家達が、現実離れしたところで遊び感覚といいますか、
模型感覚のまま、現実に建物を地面に建てて楽しんでいる、と見えてしまうこと。
その感覚のズレに、私は見ていられなくなることがあります。
 
s/sさんが指摘して下さったように、周辺の建物の模型も作って検討すれば
もう少し変わるだろうと、私も思いますが、
周辺の模型を用意しても、平気で異質で目立つものを提案する建築家も少なからずいます。

例えばですが、隣家は普通の屋根の家でありながら、唐突に四角い白い箱のような家を建てる、というようなことが
今や普通に起こっています。
もちろん白い箱の家の格好の良さは、わかりますけども、
何故、その造形の建物をそこに建てるのか、と同じ疑問がわきます。

だから、S/Sさんのご指摘して下さるように地図の上で考えましょうと、同業者に警鐘を鳴らしても
肝心の当人達は、周辺も見えていない、見る気もない、見ても別にそれに対して配慮する気もない、
いつまでたっても、景観が良くならないのはそこじゃないかなと思うのです。
私が期待するのは、建築家の良心と、もしかすると建築の教育の段階の問題なのかも、と思うこともあります。

ちなみに、建築単体の造形としては、格好の良いものセンスの良いものを作れる建築家は非常に増えていると思っていますが、
動産ならまだしも、不動産でそこまでやっていいものかと、憤りみたいなものを私はどうしても感じてしまいます。

s/sさんのようなご意見を頂けると、勇気づけられます!
調子にのって、長文のお返事を なんとなく毒気ついて書いてしまいました私ですけれども、
今後もご意見下さると嬉しいです。
有難うございました。

追伸です。
こちらのコメントをご覧の皆様へ。
このコメントは私が日々感じている建築業界への雑感です。
決して保育園の建設に関しての意見ではありませんので、誤解のないよう、お願い致します。
返信する
まったく同意見です。 (s/s)
2010-12-08 15:17:35
まったく同意見です。
一つは建築の教育の問題であるのはたしかです。
「人文的な」面について考えない、考えなくなったのです。
その一方で、環境だ、自然保護だ、調和だ・・・と言う。

少しずつ、飽きず、そして皆に分るように、やってゆくしかない、と思ってます。
返信する
s/sさん 再度コメント有難うございます!!! (kaori)
2010-12-08 18:45:09
s/sさん 再度コメント有難うございます!!!
「人文的」な面、確かにそこなんだと私も思います。
私の場合、建築に関してモノを言う時の口癖は、
「技術や知識以前の問題!殆どが人間性の問題なのっ」
といつも事務所で所員に向かってぶつぶつ言ってます。。。
人間性って言い過ぎな感があったのですが、人文的という言葉があったかと気が付きました!
勇気をもって、今後もつぶやいていきたいと思っております。(大丈夫だろうかワタシ・・・)
返信する
こんにちは。 (spica)
2010-12-12 15:44:36
こんにちは。
kaoriさんの記事と、コメントのやり取りを読ませていただきながら、
全くだな・・・と、同感しています。
常日頃、そう感じながら、そして私が建築を目指したキッカケが
そこからだったのにも関わらず、日常業務ではなかなか思うようになっていないと、
自問自答しながら悶々としてしまいました。

実は手掛けていた某コンペの物件、設計解除したのです。
ちょっと記事の内容とも被るような理由での事だったので、余計に・・・
周囲の環境を考えながら設計していても、そうは思わない施主や行政もいます。
設計者として、どこまで貫けるか・・・そしてそれは、施主の為なのか。
建築家の社会的責務はどうなのか。
などなど考えていた所の記事、深く考えさせられました。
返信する
spicaさん コメント有難うございます! (kaori)
2010-12-12 16:45:23
spicaさん コメント有難うございます!
コンペ解除されたその勇気、すごいと思います!
信念を貫くというのは、痛みを伴う時もあり、それでも出来るかどうかが、最後には必ず 信用につながる と私は信じています。
お施主さんのためを思って設計するのも私達の責務ですし、お施主さんの視点を超えたところで社会に対しても考えていく必要があると、思っています。
うちの所員達には、まずお施主さんに納得してもらえる仕事をすることを第一条件とし、その上で設計者としての社会的責務をプロとして考えねばならないと、ぶつぶつ言ってます。そこまで出来れば一番なのですが、現実的には難しいですよね。
でも、思っていないより、思っている方が、必ずどこかで形となって現れるはずだと、これも信じてやってます。

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