≪寺報【最乗寺だより】 2006年夏号 2面記事より≫
お盆の正式な名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といって、「仏説盂蘭盆経」というお経が、お盆の起源だといわれています。
この経典の内容を簡単に説明します。
あるとき、お釈迦さまのお弟子である目連は、「優しかった亡き母は今どうしているのだろう?」と思い、神通力でを使って死後の世界を覗いてみました。
すると、母親は餓鬼道という地獄にいたのです。
驚いた目連は母親を助けようとしますが、助けることができません。
そこでお釈迦さまに相談すると、こうお答え下さいました。
お前の母親は、お前には優しかったかもしれないが、お前を愛する余り、他には冷たかったのだ。
その報いで、お前の母は今、餓鬼道にいる。
孝行者のお前でも、一人の力では母親を助けることはできないだろう。
助けたいのならば、皆の修行があける7月15日(旧暦)に、大勢の修行者に食べ物などを振る舞いなさい。
目連はお釈迦さまに言われたとおりにすると、母親は餓鬼道から抜け出すことができました…というお話です。
さて、この話を聞いて、どう思われましたか?
実はこのお経の見解は、宗派によって異なり、二つの見方が存在します。
一つは、「地獄に落ちた先祖を助ける方法が書かれている」という見方です。
お盆になるとナスの牛やキュウリの馬を作ったり、迎え火や送り火を焚いている光景を見かけたり、実際になさっている方もいらっしゃるかもしれません。
その場合の視点がこれにあたります。
そして二つ目は、「もしかしたら私はこの目連ではないか? 自分のために家族がしてくれたことに気付きもせず、感謝を忘れていたのではないだろうか?」、「もしかしたら私はこの母親ではないか? 身内を愛する余りに、他を蔑ろにしてはいないだろうか?」、そして「母親だけを救うことにとらわれて、他の苦しみを素通りしていたのではないか?」…という見方です。
最初の見方の場合、お盆は先祖を供養する仏事になります。
二つ目の見方の場合、先祖だけでなく、自らを省みる仏事ともなり、仏縁への感謝の仏事ともなります。
浄土真宗のお盆は、この二つ目の見方の意味合いを持っています。
己のありように気付かせて下さったご先祖の仏さまと、決して餓鬼道に堕とすことなく、必ず浄土に往生させようという、阿弥陀さまの功徳と大悲に「南無阿弥陀仏」と手を合わせて、感謝の気持ちと共に、お盆を過ごしましょう。