先週の晴れた日、横浜八景島シーパラダイスに行ってきました。
報恩講法要が終わって、一日お休みをいただいてのお出かけです。

平日なので閑散としているのかなと思っていましたが、遠足に来ていた幼稚園生や小学生で園内はいっぱい。
お昼ごはんに入ったビュッフェレストランにも、小学生の団体が…。
最近はお弁当じゃないんですねぇ…おばちゃんビックリです。
初めての水族館に、龍くんは大はしゃぎ。
大きな水槽を前に、口をぽかーっと開けて見上げる龍くん。
目線の先にいる魚の大群を良く見ると、鯵と鰯でした。

「おおっ、新鮮」
思わずそんな言葉が、口から出ていました。
そして、これが命を差別(しゃべつ)してることなんだと、漠然と考えました。
誰もが「大事な命」を生きている。
人間だけじゃなく、動物も植物も、あらゆるものが、互いに互いの命を生かし合い、生かされ合うことで、私たちは生きている。
その一つでも欠けていたら私は今ここにはいない…だから「命は大事」なのだ。
言い方は悪いでしょうが、僧侶の常套句のようなセリフ。
確かにその通りで、これは条理であり道理であり真理です。
けれど、それを自分の物差しに当てはめれば、そのように命を見ることができないことに気づきます。
泳ぐ鯵や鰯を見て新鮮と思うが、イルカに対してはそんなことは感じない。
調理された牛肉や豚肉を見れば美味しそうと思うが、調理される寸前の牛や豚を見れば可哀想だと目を背ける。
そこには無意識のうちに、「大事な命」に当てはまる命の選別をしている自分がいます。
生かし生かされ合う命の繋がりの中で、ようやく生かされている自分の命の尊さだけは忘れないけれど。
自分の命を支えてくれる他の命も同じように生かされているという尊さを、実感のない理解だけで飲み込んでしまうから、平気で差別してしまえるのかもしれません。
自分の命が大したものではないと差別されたら悲しい。
そう思ったとき、「あなたが大事」という阿弥陀さまの呼び声が本当に温かく聞こえてきます。
命を平気で差別する私を、決して差別することなく、母のように見守り続けてくださることが、どんなに有り難いことなのか…。
そういうことを鯵や鰯の泳ぐ姿を通して思ったのですが、ちょっと長い考え事紹介になってしまいましたね。
では、続きはまた次回ということで。
報恩講法要が終わって、一日お休みをいただいてのお出かけです。

平日なので閑散としているのかなと思っていましたが、遠足に来ていた幼稚園生や小学生で園内はいっぱい。
お昼ごはんに入ったビュッフェレストランにも、小学生の団体が…。
最近はお弁当じゃないんですねぇ…おばちゃんビックリです。
初めての水族館に、龍くんは大はしゃぎ。
大きな水槽を前に、口をぽかーっと開けて見上げる龍くん。
目線の先にいる魚の大群を良く見ると、鯵と鰯でした。

「おおっ、新鮮」
思わずそんな言葉が、口から出ていました。
そして、これが命を差別(しゃべつ)してることなんだと、漠然と考えました。
誰もが「大事な命」を生きている。
人間だけじゃなく、動物も植物も、あらゆるものが、互いに互いの命を生かし合い、生かされ合うことで、私たちは生きている。
その一つでも欠けていたら私は今ここにはいない…だから「命は大事」なのだ。
言い方は悪いでしょうが、僧侶の常套句のようなセリフ。
確かにその通りで、これは条理であり道理であり真理です。
けれど、それを自分の物差しに当てはめれば、そのように命を見ることができないことに気づきます。
泳ぐ鯵や鰯を見て新鮮と思うが、イルカに対してはそんなことは感じない。
調理された牛肉や豚肉を見れば美味しそうと思うが、調理される寸前の牛や豚を見れば可哀想だと目を背ける。
そこには無意識のうちに、「大事な命」に当てはまる命の選別をしている自分がいます。
生かし生かされ合う命の繋がりの中で、ようやく生かされている自分の命の尊さだけは忘れないけれど。
自分の命を支えてくれる他の命も同じように生かされているという尊さを、実感のない理解だけで飲み込んでしまうから、平気で差別してしまえるのかもしれません。
自分の命が大したものではないと差別されたら悲しい。
そう思ったとき、「あなたが大事」という阿弥陀さまの呼び声が本当に温かく聞こえてきます。
命を平気で差別する私を、決して差別することなく、母のように見守り続けてくださることが、どんなに有り難いことなのか…。
そういうことを鯵や鰯の泳ぐ姿を通して思ったのですが、ちょっと長い考え事紹介になってしまいましたね。
では、続きはまた次回ということで。