最近、精神的に「疲れたなぁ」と思うときに聴く音楽がある。
高橋 優 『素晴らしき日常』 (タイトルをクリックするとYoutubeでPVが見られます)
初めて聴いたとき、なぜが涙が溢れてきた。
あまりに痛々しい歌詞は、心が癒されるというよりも、古傷に爪を立てられているような…。
そういう感覚に陥るほどの、鈍い痛みが伴うものだった。
麗しき国に生まれ育ってしまったために
どれもこれもあって当たり前の日々を生きて
完璧なものだけを欲しがっていった始末に
完璧じゃない人間を遠ざける人々
育児と家事と法話や寺報やコラムの作成に追われ、精神的にも肉体的にもボロボロのとき。
それでも完璧にこなさなければならないと、自分を追い詰め、更に心を荒ませる。
そんなときにこの曲に出逢う。
そして、張り詰めていた心の糸が切れたのだろう。
ただ泣けた。
完璧であろうとしても完璧になりえない自分がいて。
その自分が、完璧であれと、相手へ強要する。
相手の不完全さを許せない潔癖さと、完璧であろうとする向上心を持たない者への冷ややかな軽視。
それらを併せ持つ不完全な自分が、「我が子」という1人の人間を育てていることへの不信感が急に襲ってきたのも事実。
「こういう人間になってほしい」
息子に願うことなら、たくさんある。
でも、私の願う理想の人間像になるためには、身も心もボロボロになるほどの経験と痛みを伴う過程を経てしか、なりえないということに気づけたから。
一つ一つの経験と痛みを、時間をかけて自分の糧にしていってもらえたらいい…それくらいの願いだけにしようかと思ってみる。
きっと息子も、私と同じように、完璧からは程遠い人間になるだろう。
不完全であろうとも、不完全であることを開き直るのではないのなら。
それでいい…それがいいんだ。
そこから覗いている景色は天国にも地獄にも変えられるよ
まだ笑うことができるかい?
まだ歩くことはできるかい?
その通じ合っているような気がする人を連れて
愛し合う人の間から生まれてきた
僕らの明日が待ってる
きっと 世界は素晴らしい
まだ笑うことも、まだ歩くこともできるはず。
だからきっと、世界は素晴らしい。