今日はクリスマス・イブです。
ご門徒さんの中には今日の夜、我が子だけのサンタクロースになるお父さん・お母さんがいらっしゃることでしょう。
当然といえば当然なのですが、私はサンタクロースを信じたことがありません。
「サンタさんは、いないんだよ」と両親から言われたわけではなく、25日の朝に目が覚めても、枕元にプレゼントが置かれていたことがなかったので(笑)
その代わり、我が家には【年末プレゼント】という謎の慣例があったため、サンタクロースがいなくても、小さな私には特別大きなことではなかったようです。
さて先日、みなとみらいに行ってきました。
赤レンガ倉庫では、ドイツのクリスマスをモチーフにしたイベントが開催されていて、野外にドイツの食べ物やお菓子・お酒などのお店が並んでいました。
ライトアップされたツリーや、イルミネーションを見ると、お坊さんでありながらウキウキしてしまいます。
この感覚は、同じような光景を見ている多くの人が、イエス・キリストの聖誕祭としてクリスマスを待ち望んでいるわけではないということを、身をもって体感しているのかもしれません。
12月25日がキリストの誕生日だということは周知の事実。
では肝心のお釈迦さまの誕生日が何月何日なのか…答えられる人は限られているのも悲しい事実。
正解は4月8日。
この日を祝う法要を【降誕会(ごうたんえ)】とも【花まつり】とも言います。
【クリスマス】に比べると、あまりの認知度の違いに考えさせられることもありますが、その現実を私はそれほど悲観はしていません。
もちろん、4月8日は仏教徒にとってこの上なく大切な日ですから、誰もに知っていてもらいたい。
だからといって、認知度を上げるために、何かをプレゼントするなど、クリスマスやバレンタインなどに対抗するような企画性の必要なものは、しなくていいと思っています。
ただ、父の日や母の日など、両親に感謝する日があるように、4月8日があらゆる人や物に感謝するような「ありがとうの日」になればいいなぁとは思っています。
この私が、本当にいろんなものに支えられて今ここにいるということを、思い出す縁となる日。
ある日突然、目の前に降って湧いて出たようなものは何一つありません。
ボールペンの向こう側にも、チョコレートの向こう側にも、どんなものにも作る人がいて、その人の家族がいて、生活がある。
中には、その人たちの過剰な労働の末にあるものを、知らずに平然と使ったり食べたりしていることもあるでしょう。
それから原料も必要で、自然や地球の恩恵も必要。
そういう普段の生活で「あって当たり前」と思っている人や物の、その先にある、ありとあらゆる繋がりに思いを馳せて、一つ一つに「ありがとう」と思う日。
あえて、そういう日を決める必要はないかもしれない。
けれど何より私自身が、きっかけがないと忘れてしまうから。
「あって当然」のものは何もない。
すべてが有ることが難しい「有り難い」もの。
「縁起」という繋がりを悟ったお釈迦さまの誕生日が、そういう当たり前に感じている繋がりへの「ありがとう」の心を育てる日になったらいい…。
認知度が低いということは、まだまだいろんな可能性があるということです。
にぎやかに過ごすクリスマスもいいですが、心を込めて「ありがとう」と呟きながら、静かに穏やかに過ごす「花まつり」はいかがでしょうか?