週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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未熟者

2011-03-04 01:38:28 | ひとりごと

先日、龍くんの発達相談に行ってきました。

のんびり屋さんの龍くんは、なかなか語彙が増えません。
そのことを深刻に心配しているわけではないのですが、臨床発達心理士の方に診ていただけるということで出かけてきました。

生活環境や日頃の行動を始め、言葉で言い表さない龍くんが態度で示す感情などを、私が受け止めて思ったことをお話しました。
その間、隣に座っていた龍くんは、お話の邪魔をすることなく、持ってきたペンとノートで熱心に遊んでいたのですが…。

心理士の方が、このときの私たち親子のやりとりを見て、こんなことをおっしゃいました。

「お母さん、お子さんが自分で意思表示をするまで待ってあげてくださいね」

私は、龍くんがペンを持ったとき、何も考えることなくキャップを取ってあげていました。
そうしなければ、当然書くことはできないから。
でも、そこで本人に、「取ってほしい」という意思表示を自分から発しなければいけないんだということを気づかせなければ、言語面の発達は鈍くなる一方だとのことです。

そう言われれば、思い当たる節は日常のいたる所にありました。
それを最初、私は「無意識のうちの甘やかし」と思ったのですが…、実際はただ単に「面倒臭い」だけなのではないかと思い直しました。

ゆっくりな子供のペースに合わせられない、せっかちな母親。
だから、子供の気持ちを勝手に察しては先回りして、子供に考える隙も発する言葉も与えられなくなっていたのでは…。

例えて言うなら、転んだ我が子に手を差し延べるのではなく、転んでもないのに手を差し延べ抱き上げてしまうようなもの。

それはもう「甘やかし」ではなく、子供を優先させている「つもり」になっているだけ。
実際に優先しているのは、子供の気持ちを無視した自分の思いや都合のほう。

人を育てるのは本当に難しい。
そして、人として育ちきっていない私が人を育てている現実を目の当たりにしました。

けれど考えてみれば、人は育ち切るということはないのかもしれません。
関わり合い、支え合い、笑い合い、時にはぶつかり合い、傷つけ合い…、それでも分かり合おうと歩み寄る。

そうした中で、人は育つ。
そうした中でなければ、人は育たない。

「育つ」とは自力ではありません。
正解は「育てられる」、あらゆる人やものの力のよって育てられていくのです。

私は今、龍くんを通して、母親として、何より人として育てられています。
一生未熟な親でしょうが、未熟であるからこそ多くの支えに育てられていることへの感謝を忘れずにいられると信じたい…そう思いました。

何はともあれ、先回りをせず、意思表示を待つかぁ。
我の強い龍くんの意思表示は、結構凶悪なんですよ。
…すでに心が折れそうだけど、頑張れっ、私!