コレクション・シリーズの星新一篇は、ひとまず終わりにして、次からは赤江瀑です。妖艶な雰囲気を醸し出す作家として表舞台でよく目にしたお名前でしたが、最近は文芸誌、中間小説誌の広告でお名前を見ることもほとんどありません。寂しいですね。
この作家をご存知の方は、ほとんどいらっしゃらないのではないかと思いますので、受賞歴を並べてみます。
1970年「ニジンスキーの手」で小説現代新人賞、1974年に「オイディプスの刃」で角川小説賞で映画化、1983年に「海峡」「八雲が殺した」で泉鏡花文学賞を受賞しています。
以下は、「病膏肓」に属する、かなりマニアックな内容になります。
『獣林寺妖変』(1971年)は、強烈な印象が残る作品でした。
講談社から昭和46年に刊行されました。これは初版本。
本は売れ行き良好だと、重版します。その2刷本。
帯の色が黄色に変わりました。それとともに変わった部分があります。
製本方法が、角背から丸背になっています。
下が初版本、上が2刷本。
小口側から見ると…。
右が初版本、左が2刷本。 初版本にホコリが溜まっていますね(^_^;)
この違いを指摘する方はこれまでもいましたが、3刷本を比べると、さらに相違点が出てきます。
3刷本。
帯に相違点があります。
左が2刷本、右が3刷本。
2刷では白ヌキで「赤江瀑 処女作品集」としてあった部分がスミ刷りに変わり、使用されている書体が変更になっています。気合を入れて?新たに作り直しています。
ただ、3刷本に付ける帯をその時から変えたわけではなく、2刷用に作った帯の在庫があったためか、3刷本でも2刷用の帯が掛けられているものがあります。
2作目の『罪喰い』(1973年)で直木賞候補となりましたが、この時の受賞作は長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」と藤沢周平「暗殺の年輪」の2作でした。選考委員は9人、司馬遼太郎、柴田錬三郎、石坂洋二、水上勉、川口松太郎、源氏鶏太、村上元三、今日出海、松本清張というそうそうたる面々で、高評価したのは源氏鶏太ひとりだけでした。
2年後の1975年にも「金環食の影飾り」で、ふたたび直木賞候補になりましたが、この回は「受賞作なし」で、選評は良くありませんでした。
『獣林寺妖変』の2刷は1976年8月、3刷が同年の10月で、3刷で重版中止になりました。(4刷本を目にしていないので、そう思っています) 初版から5年の時を経て2刷を出し、その2か月後に帯を作り直して3刷を出したのは何故だったのでしょうか。時を空けての再刊の場合、「読者からの要望が高まって」とよく言いますが、再刊を希望する手紙が山ほど編集部に届くなんていうことはごく稀なことですから、出版社側の事情、著者側の事情など、なんらかの事情があったんでしょう。それをあれこれ考える(妄想する)のも、面白いですね。
この作品が文庫化されたのは、1982年。単行本の初版から実に11年後のことでした。それも出版各社の文庫本戦略と絡んでいたのでしょうから、そういった面からとらえてみるのも面白いかも。
この作家、マニアックなファンが多く、凝った造りの限定本が多いのが特徴です。それらの本については、おいおい紹介していこうと思っています。