世の中には大皿コレクターという人もいるようですが、ウチには尺サイズの伊万里は2枚しかありません
というのは、昔は大皿は値段が高かったという点、そして収納場所に困る、この二点をクリアできなかったというのが現実です。
今回紹介するのは、そんな2枚のうちの1枚で、「色絵花文尺皿」です
一見すると江戸期の伊万里とは思えない絵柄ですが、間違いなく中期末~後期の古伊万里のようです
器面全体にに朝顔(?)と思われる花、そして何かは特定できない花文と葉を描き、余白の部分は中間色の緑で塗りつぶしています
まるで青手古九谷を簡素化したような技法で絵付けされていますが、実は白い花の部分に時代を特定する鍵があります。
画像では伝わりませんが、この白い花の白の部分は塗り残しではなく、白の絵の具で絵付けされています
白絵の具による絵付けはもう少し早い時代からあるようですが、この色絵を盛り上げて絵付けする技法は
天明~寛政期に導入されたもののようで、清朝磁器の粉彩の影響を受けたものだといわれています。
何かの本で読んだところによると、こういった絵付けの品は天保以降は登場しないようで、そういった点からも
寛政~文化・文政あたりの品というのが妥当なところであるように感じます。
裏面は表に比べると、至って後期の古伊万里の姿をしており、落款も後期を代表すると言っていい「乾」です
倉石梓氏の「古伊万里染付図譜」によると、この銘の左側の「山」の下の部分が「日」になっているものは数が少なく
主として十八世紀の製品に見られ、十九世紀の品ではこの部分が「口」になっているのがほとんどだと書かれています。
この品を購入したから10年近くなりますが、その後は類品を見たことがありません
中期末の個性的な色絵大皿といったところでしょうか。
というのは、昔は大皿は値段が高かったという点、そして収納場所に困る、この二点をクリアできなかったというのが現実です。
今回紹介するのは、そんな2枚のうちの1枚で、「色絵花文尺皿」です
一見すると江戸期の伊万里とは思えない絵柄ですが、間違いなく中期末~後期の古伊万里のようです
器面全体にに朝顔(?)と思われる花、そして何かは特定できない花文と葉を描き、余白の部分は中間色の緑で塗りつぶしています
まるで青手古九谷を簡素化したような技法で絵付けされていますが、実は白い花の部分に時代を特定する鍵があります。
画像では伝わりませんが、この白い花の白の部分は塗り残しではなく、白の絵の具で絵付けされています
白絵の具による絵付けはもう少し早い時代からあるようですが、この色絵を盛り上げて絵付けする技法は
天明~寛政期に導入されたもののようで、清朝磁器の粉彩の影響を受けたものだといわれています。
何かの本で読んだところによると、こういった絵付けの品は天保以降は登場しないようで、そういった点からも
寛政~文化・文政あたりの品というのが妥当なところであるように感じます。
裏面は表に比べると、至って後期の古伊万里の姿をしており、落款も後期を代表すると言っていい「乾」です
倉石梓氏の「古伊万里染付図譜」によると、この銘の左側の「山」の下の部分が「日」になっているものは数が少なく
主として十八世紀の製品に見られ、十九世紀の品ではこの部分が「口」になっているのがほとんどだと書かれています。
この品を購入したから10年近くなりますが、その後は類品を見たことがありません
中期末の個性的な色絵大皿といったところでしょうか。
堂々と、「青手古伊万里」宣言をしてもいいのではないでしょうか。
珍しいですよね。
一見すると、「はて何処のやきもの?」と思いますよね。
でも、裏を見ると、間違いなく江戸後期の古伊万里ですものね。
この「乾」銘の左側の「山」の下の部分が「日」になっているものは数が少ないんですか。ほとんどは「口」になっているんですね。
これから、気を付けて見てみます。
裏面だけ見たら、恐らく染付の典型的な古伊万里が想像されますが
表は妙に洋風という、実に変った品です。
「青手古伊万里」、いいですね~、この時代には全体を緑に塗り潰して色絵付けしたタイプの品もありますが
意外に出会えないタイプの品です。
この世界の大先輩であるドクターさんも見たことがないということは
やはり珍品伊万里なのかも知れません。
「乾」の落款については、後期の品では最も多く見られるものなので、特に気にして見ることはないんですが
後期伊万里の研究書が極めて少ないこともあって、ちょっと気になる点ではあります。
朝顔はなんとなくわかりました。
洋皿のような形で古伊万里の清朝様式
でしょうか。
珍しい色絵ですね。
天明~寛政期に見られる清朝磁器の影響下にある品なのは間違いありませんが
尺皿であるが故にちょっと個性的な仕上がりになっているのかも知れません。