<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=sakitablog-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4101312125&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000ff&bc1=000000&bg1=ffffff&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>いまさらですが、平成3年に発刊された宮脇檀さんのエッセイを読みました。あれからもう15年。内容もかなり古くなっていますし、宮脇さんも亡くなってしまいました。私は宮脇さんのお友達の渡辺武信先生に設計を教えていただいたこともあり、両先生の、暮らしを第一に考えての設計が大好きです。またおふたりもととても文章が上手で、読んで楽しいエッセイが得意です。なので、宮脇さんの本は「日曜日の住居学」「宮脇檀の住宅設計テキスト」、渡辺先生の本は「住まいの作り方」「住まい方の思想」「住まい方の演出」を読んでいます。どれも楽しくて、専門にしている方以外でも楽しく読める本です。(ここで「さん」と「先生」を使い分けているのは、どっちがえらいとかそういうのではなく、直接教えていただいた方を「先生」と呼んでいるだけです。よく建築士のことを「先生」と呼ぶ人がいますが、あれはちょっと恥ずかしいですよね?何も教えていないのに。建築士資格予備校で、生徒さんに先生と呼ばれるときは恥ずかしくもなんともないのですが。)
で、本題。この本は、これから家を新築しようとしている方が読まれると、ちょっと、というかかなり?がっくりして、夢崩れて、もう、家を建てるのはやめようかなぁ?という気分になってしまうと思います。
でも、逆に、先にこの本を読んで、それでも設計を依頼したいと覚悟して思っていただけると、建築士の方としては、大変楽だとも思います。
「システムキッチン作ったら料理がうまくなると思うな」「収納たくさん作ったら家の中がきれいになると思うな」「リビングルーム作ったら家族の団らん一気に盛り上がると思うな」「子供室作ったら子供が勉強すると思うな」
という主張には、笑いながらも、痛いような、そんなエピソードが満載です。
でもね、と、やはり反論したい。
一つは時代が15年経ってだいぶ変化したこと。施主の年代もいまや1970年~80年代生まれが主流です。
生まれたときから洋式トイレ、和室なし、なんて家に住んでいる訳です。子供の頃は当然子供室があった世代です。
だから「書斎なんていらない」という主張も、今は当てはまらない。実際、我が家のパパさんは、猫のトイレと衣装ダンスに挟まれた極悪の環境でも、自分の城をせっせと整え、休日ともなればそこに引きこもっています。だからもし我が家の新築に際して、稼ぎ頭のパパさんが「書斎が欲しい」と言えば、それは作るし、きっと活用されると思う。どんなに宮脇さんが無駄だ!と言ったとしても。笑。
二つ目は、やはり建築士として住宅の設計に携わる限り、自分の設計で施主の人生に影響を与えているという自覚と覚悟と責任は持たなくちゃならないと思う訳です。
どんなにいい設計したって、そんなに人の習慣はかわりませんよ、とおっしゃりたいように読めるのですが、そんなことないと思うのです。人の動きをデザインすることが設計なわけですから、家の中にいろいろな仕掛けを施して、家族がそこで暮らす日々に様々な影響を及ぼすことができると思うし、できる以上は責任も重大だと思う訳です。
確かに、子供室作って机を整えたら、子供が勉強するようになるか?と聞かれれば、それはノー、と答えざるをえません。
でももし、ファミリールームに、天井までの本棚があって、いつも家族がそこで本を読んでいるような家庭であれば、子供はなんとなくその部屋にやってきて、同じように本を取り出して読むようになるのではないでしょうか?もちろんこの場合、「大人がその部屋にいてよく本を読む」という前提が大事なのであって、器だけ整えて、誰もその部屋に行かない、というのであれば、(そもそもの大人が本が嫌いなら)、それは宮脇さんのおっしゃる通りの結末になることは、火を見るよりも明らかなのですが、、、。それでもその部屋が、南にあって、日が差し込み、空が見えてすがすがしい、居て気持ちのいい部屋であれば、なんとなくそこに家族が集まるのではないでしょうか?そういう、人を誘い込む仕掛けを作るのが設計なんじゃないのかなぁー、と思う訳です。
まあ、私のような若輩者と、何百棟?と設計しておられる大先生と、論争しても、勝ち目はないかもしれませんが、
若輩者は若輩者らしく、あくまでも情熱と信念を忘れずに取り組んでいきたい物です。。。
なーんてね。ちょっと格好つけすぎ?笑。
で、本題。この本は、これから家を新築しようとしている方が読まれると、ちょっと、というかかなり?がっくりして、夢崩れて、もう、家を建てるのはやめようかなぁ?という気分になってしまうと思います。
でも、逆に、先にこの本を読んで、それでも設計を依頼したいと覚悟して思っていただけると、建築士の方としては、大変楽だとも思います。
「システムキッチン作ったら料理がうまくなると思うな」「収納たくさん作ったら家の中がきれいになると思うな」「リビングルーム作ったら家族の団らん一気に盛り上がると思うな」「子供室作ったら子供が勉強すると思うな」
という主張には、笑いながらも、痛いような、そんなエピソードが満載です。
でもね、と、やはり反論したい。
一つは時代が15年経ってだいぶ変化したこと。施主の年代もいまや1970年~80年代生まれが主流です。
生まれたときから洋式トイレ、和室なし、なんて家に住んでいる訳です。子供の頃は当然子供室があった世代です。
だから「書斎なんていらない」という主張も、今は当てはまらない。実際、我が家のパパさんは、猫のトイレと衣装ダンスに挟まれた極悪の環境でも、自分の城をせっせと整え、休日ともなればそこに引きこもっています。だからもし我が家の新築に際して、稼ぎ頭のパパさんが「書斎が欲しい」と言えば、それは作るし、きっと活用されると思う。どんなに宮脇さんが無駄だ!と言ったとしても。笑。
二つ目は、やはり建築士として住宅の設計に携わる限り、自分の設計で施主の人生に影響を与えているという自覚と覚悟と責任は持たなくちゃならないと思う訳です。
どんなにいい設計したって、そんなに人の習慣はかわりませんよ、とおっしゃりたいように読めるのですが、そんなことないと思うのです。人の動きをデザインすることが設計なわけですから、家の中にいろいろな仕掛けを施して、家族がそこで暮らす日々に様々な影響を及ぼすことができると思うし、できる以上は責任も重大だと思う訳です。
確かに、子供室作って机を整えたら、子供が勉強するようになるか?と聞かれれば、それはノー、と答えざるをえません。
でももし、ファミリールームに、天井までの本棚があって、いつも家族がそこで本を読んでいるような家庭であれば、子供はなんとなくその部屋にやってきて、同じように本を取り出して読むようになるのではないでしょうか?もちろんこの場合、「大人がその部屋にいてよく本を読む」という前提が大事なのであって、器だけ整えて、誰もその部屋に行かない、というのであれば、(そもそもの大人が本が嫌いなら)、それは宮脇さんのおっしゃる通りの結末になることは、火を見るよりも明らかなのですが、、、。それでもその部屋が、南にあって、日が差し込み、空が見えてすがすがしい、居て気持ちのいい部屋であれば、なんとなくそこに家族が集まるのではないでしょうか?そういう、人を誘い込む仕掛けを作るのが設計なんじゃないのかなぁー、と思う訳です。
まあ、私のような若輩者と、何百棟?と設計しておられる大先生と、論争しても、勝ち目はないかもしれませんが、
若輩者は若輩者らしく、あくまでも情熱と信念を忘れずに取り組んでいきたい物です。。。
なーんてね。ちょっと格好つけすぎ?笑。
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