歌の本番に向けて、集中していくべき時期なのに
エネルギー不足を感じている。
人間、いつも万全の状態でことに臨めるわけではないし、
日々、雑事がたくさん。
身近な人の心配ごとが生じたりもする。
それでなくても、
ひとと比較して心身タフでもなく、
要領がよいわけでもないわたしは、
これまででも本番を前にして、こんなことはしょっちゅうあった。
6月早々と7月後半に、同じ曲目で出演するコンサートがある。
ドイツリート、メンデルスゾーンのソロとデュエット1曲ずつ。
ふたつのコンサートで、
ちがう歌を選曲するエネルギーは、とてもなかった。
中途半端な仕上がりでは歌いたくないし、
練習に練習を重ねても、ステージに立った瞬間からあがってしまい、
思うように歌えたためしもないのだし…。
仕事がオフの今日、
定期的に受けている歌の個人レッスンがあった。
ソロの1曲を通して歌って、
あ~やっぱりエネルギー不足…
だめだめだなあ
と、がっくりしていたら、先生は
「いい感じにちからがぬけていて、よかったんじゃない?
ひとつの完成形としていいと思うけど」
とおっしゃる。
体調も気力も最低レベルで、自分のなかではありえなかった。
でも、もし先生の言われるように聴こえるのならば、
ふだんいかに力が入りすぎているか、ということなのだろう。
いつも、どの先生にも言われることなのだが、
むりに息を入れよう、吸おうとしなくても、
歌いきってしまえば、からだに息は入る。
りきんで吸おうとすればするほど、思うように息は入らず、
歌も流れない。
いつも基本に立ち返りつつ、
それがどんなにむずかしいことかと知らされる。
お風呂で鼻歌をうたうように、
キッチンで思わず歌がこぼれるように、
ステージでもちからを抜いて笑顔で歌えたらどんなにいいだろう。
それに近づけるべく、
今日も練習ではむずかしいカオをして、
ややこしいことを考えながら歌っていたのだった。
練習は本番のように、本番は練習のように。
語りは歌うように、歌は語るように。
高い音ほど、どっしり重心を下に、
低い音ほど、高いイメージで。
まずちからを抜かなければ、ちからは入らない。
本当に、むずかしい。
考えすぎても、できない。
けれど、
あれこれ考えて悩んで、積み重ねた練習のあとにしか歌えない
自然でちからの抜けた歌 というものがあるのだろう。
なかなかたどり着けないけれど。
吐ききれば自然に入る次の息
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エネルギー不足を感じている。
人間、いつも万全の状態でことに臨めるわけではないし、
日々、雑事がたくさん。
身近な人の心配ごとが生じたりもする。
それでなくても、
ひとと比較して心身タフでもなく、
要領がよいわけでもないわたしは、
これまででも本番を前にして、こんなことはしょっちゅうあった。
6月早々と7月後半に、同じ曲目で出演するコンサートがある。
ドイツリート、メンデルスゾーンのソロとデュエット1曲ずつ。
ふたつのコンサートで、
ちがう歌を選曲するエネルギーは、とてもなかった。
中途半端な仕上がりでは歌いたくないし、
練習に練習を重ねても、ステージに立った瞬間からあがってしまい、
思うように歌えたためしもないのだし…。
仕事がオフの今日、
定期的に受けている歌の個人レッスンがあった。
ソロの1曲を通して歌って、
あ~やっぱりエネルギー不足…
だめだめだなあ
と、がっくりしていたら、先生は
「いい感じにちからがぬけていて、よかったんじゃない?
ひとつの完成形としていいと思うけど」
とおっしゃる。
体調も気力も最低レベルで、自分のなかではありえなかった。
でも、もし先生の言われるように聴こえるのならば、
ふだんいかに力が入りすぎているか、ということなのだろう。
いつも、どの先生にも言われることなのだが、
むりに息を入れよう、吸おうとしなくても、
歌いきってしまえば、からだに息は入る。
りきんで吸おうとすればするほど、思うように息は入らず、
歌も流れない。
いつも基本に立ち返りつつ、
それがどんなにむずかしいことかと知らされる。
お風呂で鼻歌をうたうように、
キッチンで思わず歌がこぼれるように、
ステージでもちからを抜いて笑顔で歌えたらどんなにいいだろう。
それに近づけるべく、
今日も練習ではむずかしいカオをして、
ややこしいことを考えながら歌っていたのだった。
練習は本番のように、本番は練習のように。
語りは歌うように、歌は語るように。
高い音ほど、どっしり重心を下に、
低い音ほど、高いイメージで。
まずちからを抜かなければ、ちからは入らない。
本当に、むずかしい。
考えすぎても、できない。
けれど、
あれこれ考えて悩んで、積み重ねた練習のあとにしか歌えない
自然でちからの抜けた歌 というものがあるのだろう。
なかなかたどり着けないけれど。
吐ききれば自然に入る次の息
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ちょっと気になる体調の変化があり、
精密検査の予約を入れました。
実はわたしは14年前に良性ではない病気で手術を受け、
以来その病院で定期受診しています。
が、さすがに14年も経てば、
受診も年に1~2回ペースで、
何も異常のないことが前提となっており、
病気であったこともふだんは忘れているくらい。
もとの病気は完治していると言っていいと思います。
したがって、今回の変化というのも、
もともとの病気からの関連ではなく、
あらたなものといえるでしょうが、
今後治療が必要なものであれば、この病院がのぞましいので
検査もこちらで受けることにしました。
みてみぬふりをしても不安はつきまとうし、
よきにつけ、悪しきにつけ、
早くはっきりさせたほうがいい。
さいわい、今のところは
仕事や日常の生活をふつうにこなせる状態です。
今月中にははっきりするでしょう。
あとで笑いばなしになることを願いつつ。
いいことを数え不安をふりはらう
ひざしのあたたかさに、今年の桜も咲きはじめた。
もっと若い頃には、
春が来て桜が咲くだけでうきうきと心が躍ったものだが、
いまは、この季節が来るたびに、
もうこの世の桜をともに見ることができない人たちのことを
思わずにはいられない。
一昨年には父が、
その前の年と昨年には身近な友人がふたり、
そして今年は、であう前にお別れがきてしまった鰹さんが…
この世から旅立ってしまった。
ほんとうの憂いというものを、
これまで自分は知らずにいたのだなと感じる。
うまることのない喪失感。
それを抱えたまま、それでも前を向いて生きていく。
笑ったり泣いたり、季節の移り変わりを感じながら
おいしいものを食べて、うたを歌って、きれいな景色をみつけて。
昨日3月20日は、亡くなった父の誕生日だった。
生きていれば、75さいを迎えていた。
春分にうまれた父が旅立ったのは、
一昨年の立秋の日。
日付が変わってまもない頃の時間だった。
その年の、暑い夏いっぱいを生きてくれた父は
わたしの目の前で、この世でのさいごの呼吸をしてくれた。
ほんのわずかのふたりきりの時間、
父に感謝とお別れを告げて、それから、
かたわらで眠りについていた母を起こし、
2階にいた弟を呼んだ。
父にいつもしっかり守られていたわたしたち家族。
その父は、住み慣れた自宅で、家族の見守りのうちに生涯を終えた。
愛し愛され、しあわせな夫婦、親子、家族であったと思う。
おとうさん、ことしも桜が咲いたよ。
わたしたちも元気に生きているよ。
空からも咲いた桜がみえますか
ともにみることのできない桜咲く
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大阪市内でうまれ、そこで幼少の頃を過ごしたわたし。
小学5年の中途で、
いまも住んでいる兵庫県尼崎市に引越し転校してくるまで
田んぼや畑も、ふだんほとんど見ることがなかった。
土に親しむ暮らしを、いまだ経験したことがない。
お米の育つ過程も、きちんと知ってはいない。
手間ひまと愛情をかけて育ててもらった作物の
恩恵を受けるばかり。
せめて、食べ物は残さずきれいに食べて、感謝したいと思う。
小学1年の夏休み、
母のふるさとである沖縄・宮古島を初めて訪れた。
そのときわたしは畑の野菜を見ても、
なんの野菜なのかまったくわからなかった。
そして、うまれてはじめて牛を見たわたしはそのとき、
「馬にツノが生えている」
と言ったらしい。
何年も経ったあとに、年上の従兄が教えてくれた。
知らないって、こういうことなんだなあと思った。
でも、馬を知っていたのはなぜだろう。
自分がうま年だから??
どこかで見る機会があったのかな。
本で知ったのだろうか。
ちなみに、母はうし年。
そしてウン十年。
今は、畑に育つお野菜の名前もすこしはわかるようになった。
どうぶつの名前も、たくさん知った。
ところで、うちの母はというと、
沖縄でふつうに見るのは黒豚だったため、
豚といえばわたしがさきにイメージするような
ピンクのような白っぽい豚を、
絵だか写真だかで初めて見たときはびっくりしたらしい。
「ええっ、豚って、黒いものじゃなかったの??」
と。
知らないということ知らぬ無知でした
ひとつずつ知らないことを知ってゆく
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(画像の写真はいずれも「花の庵」さなえさんよりおかりしています)
昨日と今日では、自分の変化を自覚することはなかなかできない。
けれど、
自分の経てきた道を線でつないで長い目でみてみれば、
変化してきた自分を実感できることもある。
過去の句をみて、今ならこの句はつくれないな
と思うことがある。
純粋だったとか素直だったとかいう意味にしろ、
未熟だという意味にしろ、
過去の自分にしかつくれなかった句。
そして、未来の自分がつくるであろう句を、
いまのわたしはまだつくることができない。
そのかわり、今でしかつくれない句があるのだろう。
過去のわたしは、たしかにおなじわたしという人間だけれど、
何らかの変化をしたいまのわたしとは別人ともいえる。
そして、未来の自分に、いまのわたしはまだなれない。
今しかつくれない句を、今つくる。
二度とおなじ日はない今日という日をたいせつに生きることと、
意味はおなじなのかも知れない。
つくる句が自然に変化するように、
自分のこころに、より響く句が、
その時々でちがってくるのも自然なこと。
たとえば、そのひとの人生において、
病を経験する前と、そのあととでは。
子をなす前と、そのあととでは。
震災にみまわれる前と、そのあとのいまとでは。
たいせつなひとがこの世にいた頃と、去ってしまったあととでは…
たとえ大きな出来事がないと思える日々のあいだにも、
自分はどこか変容している。
ごく自然に、自分でも気づかぬうちに。
ひとつずつとしをとるということひとつをとっても。
つらいお別れもたくさんあるけれど、
そんなあたりまえのあれこれを、自然に受けとめ受け容れていければと思う。
過去すべていまのわたしの血肉骨
間をおいてみればすんなり出るこたえ
変容していくこと という記事を以前に書いたが、なんだかその続きのような内容になった。
考えていることが、あまり変わっていないなあ(笑)
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先日の金曜日、仕事帰りにみてきました。
展示期間が13日までということで、今日行かなくちゃ、とばかりに。
この週末も家事・雑事で終わってしまいそうだったので…
思いきっておでかけして、よかったです。
ひとつひとつの作品そのものはもちろんのこと、
個性あふれる筆文字、そして句にやさしく寄りそう水彩の絵…
どれをとっても味わいのふかいものでした。
館内にはほとんど人もおらず、
百人の一句ずつとゆっくり向き合い対話するという、
ゆたかな午後のひとときをいただきました。
味わいある筆文字や絵をお見せできないのが残念です。
どの句もすばらしくて、すべてご紹介したいくらいですが、その一部をどうぞ。
(敬称略です。失礼いたします)
名を捨てて一つの机ひとつの書 (去来川巨城)
花鋏花のいのちに触れた音 (石原伯峯)
蟹の目に二つの冬の海がある (大野風柳)
健康に自信過剰というやまい (岸田万彩郎)
どん底の仕合せ捨るものがない (木村喜見城)
したたかに酔う愚かさも見せておく (後藤柳悦)
鶴を折る心に今は遠き修羅 (佐藤正敏)
戦ってかちとる平和ならいらず (志水剣人)
雪国の育ちと知れる酒の量 (高橋放浪児)
母の振る鈴がこころの奥で鳴る (田中南桑)
今日も陽が落ちる流れは変えられず (玉野可川人)
天国も地獄も同じ独り旅 (長沢としお)
暑さなら凌ぐと冬のぐちを聞く (野口初枝)
木の家に住んでて四季に逆らわず (野村圭佑)
貌のない手ばかり挙がる多数決 (野谷竹路)
首塚やここに候ものは風 (尾藤三柳)
ため息の中に多彩な男棲む (森中恵美子)
隠し文字さがしあて得ず秋おわる (山崎鮮紅)
仏にも春を告げよう桜餅 (山崎凉史)
人を恋ふ人が集まる冬の酒 (渡辺蓮夫)
そしてもう一句。
展示されていた風呂敷?にあった句です。
いなないた馬のむかしのものがたり (大野風柳)
もしお近くで展示される機会があるようでしたら、ぜひどうぞ。
川柳をしていてよかったな。
こんなよい句にたくさんであえるから…
そんなよろこびをいただきました。
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仕事の忙しい時期でバタバタが続いているが、
元気に働けるということはありがたい。
生活のため、
必要にせまられて働くという面もたしかにあるものの、
けっしてそれだけではない。
仕事から得る目にみえないもの…
ひととしての学びや心身のめりはり。
通勤や仕事に関わる動きで、
知らず知らず健康を維持できている面もあるだろう。
働けて、
すこしでもひとのお役にたてているなら
それだけでありがたい。
ひとのためにうごくのが、
働く という字なんだなと、ふと気づく。
ところで、
忙中閑ありの閑を変換しようとすると、
「燗」がまっさきに出てくるのはなぜだろう。。。
まだまだ冷えるこのごろ、
忙中に閑、
燗(酒)もいただきつつ、
多忙な時期も元気にのりきりたいものです。
にんげんの喜怒哀楽を呑むお酒
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