さくら・ことのは~川柳の部屋

言の葉はこだまことだまものおもひ…五七五の部屋へようこそ。

変容していくこと

2016-02-05 | つれづれに

  半音のずれで和音がとけあわぬ



ずっと以前、こんな句をつくった。
趣味で合唱をはじめてからもう長いが、
ほんの少しの音のずれで、ハーモニーがとけあわないむずかしさを
痛感している。その実感。
人間関係にも通じるところがあると思う。

ところが、その反面、
合唱やデュエットのハーモニーでは、
ぶつかる隣りどうしの音の和音が
作曲の中であえて使われていることがあり、
慣れないうちはこれが気持ちわるくて落ちつかないのだが、
きちんとはまった時には、
なんともいえないいい味を出してくれるのだ。

歌を長く続けているうちに、
そういう和音の不思議なここちよさも
感じられるようになってくる。
そして、
そのむずかしさ、奥深さ、楽しさをますます感じるようになる。
人間関係においてもまた、同様に。

そして最近、ふと気がついた。

今ならば、自分が書くなら

  半音のずれた和音も深い味


こんな句になりそうだなと。
 
同じ題材で句をつくろうとした時の自分の感覚が、
こんなふうに変化したりするのだな。

としをとっていくこと、
その中で経験するいろいろなことから
自分が感じとっていくこと、
そんなものたちが、自分のつくる句に影響を与えてゆく。
歌もまた、おなじなのだろう。

自分のなかにあるものからしか、
句も歌も、よい仕事もうまれない。

よりよく生きようとするところから、
すべてはうまれるのだなと思う。

うまくいかないことも、つまずくことも多いけれど、
毎日をいとおしみながら、
自分なりの歩みで、ていねいに生きていきたい。

としをとって衰えてゆく面はたしかに多いけれど、
精神は成長してゆくものでありたいなと思う。

  生きるのとおなじ歩みでうたう歌





   
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加藤 鰹さんに寄せて

2016-02-02 | つれづれに
またひとつのお別れがあった。
加藤 鰹さんの訃報。

年明けから体調が思わしくない中、
代表をつとめておられた静岡たかね川柳会の
新年句会をぶじに終えられ、
その後まもなく入院されたときいて
心配していた。

膵臓がんで余命3ヶ月と言われていた鰹さんが
体調をくずして入院されたとなれば、
その病状のきびしさは、想像に難くないから…

それでも、回復を祈っていた。

鰹さんとは、ブログを通じて知り合って、まだ3ヶ月ほど。
それでも、すぐにそのお人柄にひかれ、
句を読んでますますファンになった。
手紙を書いたら、
ていねいなお返事をいただいた。

2月の豊橋番傘大会に行こうと思います、
と書いたわたしに、

  そうですか、
  思いきっていらっしゃいますか。
  僕も必ず行きますので…

と。

添えてあった句は、

  すきま風入らぬように抱き合おう


たかねの新年句会に、欠席投句で参加させていただけたら、
とお願いすると、
どうぞどうぞと歓迎して下さり、
たかね誌最新号とともに、投句の要領をていねいに書いて
送って下さった。

豊橋の大会でおあいできるのを、楽しみにしていた。
けれど、もしその日がだめでも、
鰹さんがお元気になって下されば
また機会はあるのだから。
どうか回復されますように…

と、こころから祈った。


けれど、鰹さんは入院後まもなく旅立ってしまわれた。
1月25日。

ほんとうのであいがかなわないままに訪れた、お別れ。

あえるはずだった2月14日は、もう永遠に来ない。


余命3ヶ月と言われてからの半年、
抗がん剤の効果もあったようだが
ご本人の精神力、望み、覚悟、
そして周囲のかたの支えによるところが大きかったのであろう、
お元気に精力的に、いつも明るく笑っておられたそうだ。

ごく身近な、気をゆるせるお友だちの前でだけ、
「死にたくない」
と泣いておられたと、あとで知った。

そのようなかたが、鰹さんのそばにいて下さってよかった。
とても救われていたことと思う。

全国の川柳大会に出かけられ、旅行もし、
あいたい方々に会い、ひとの輪をつなぎ…
余命を言われてからの日々は、
きっと密度の高い、濃縮されたものであったのだろうと思う。
ご本人は、いのちつながる希望を持ちつつ笑っていながらも、
いつそのときが来てもいいように、
悔いのない生き方をされたのだろう。

あいたいひとに会い、
句集と句碑をかたちに残し、
かかわった人々の胸にあざやかな絵を描いて、
逝ってしまわれた。

わたしのなかにも、大きな存在として刻まれている。
忘れることはない。

いつか、鰹さんをよく知る身近な方々に、
鰹さんのお話をたくさんきかせてもらいたいと
願っている。

誰からも愛されていた鰹さん、
もう、痛みや不安や、つらいことからは解放されましたよね。
きっと笑っておられますよね。

ありがとうございました。



(加藤 鰹さんの句) 句集「かつぶし」&たかね誌 より

十八の僕がハチ公前にいる

すきま風入らぬように抱き合おう

ライバルの絵馬にも春が来ますよう

卑弥呼ならうちの茶の間にいますけど

目に見えぬものがいちばんおそろしい


ひまわりの振りがしんどい時もある

妻よ子よ俺は負け組だよゴメン

沢ガニも君もそーっと掴まえる

泣かないでくれよ桜は散る定め

めぐり遇おう今度生まれて来る時も





   
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花梨さんに寄せて

2016-01-21 | つれづれに
花梨さんが、亡くなった。

今は亡きひでおさんの掲示板で、
花梨さんと同じくご一緒させていただいていたお仲間さんが
メールを下さり、はじめて知る。

もう11年ほども前のこと。
ネットで、ふと目にした花梨さんの写真川柳が
わたしの川柳とのであい。
ひでおさんの川柳掲示板へとご縁をつないで下さったのが花梨さん。

直接おあいする機会には、ついに恵まれなかったが、
長らく、掲示板で親しくおつきあいいただいた。
何度か、お電話をいただいたこともある。
明るい声の、はつらつとしたかた。

理知的でありながら、女性らしい優雅さや気品を感じさせられる句。
憧れだった。

このところ、
投句されていた掲示板に書き込みがみられず、
どうしておられるかと、気にかかっていた。
おかげんがわるかったことも知らなくて。


お別れはいつも、突然に来る。

誰にいつ何があってもおかしくはないのだと、
いつも覚悟はしているはずなのに、
やはりそのたびにつらく、何かしらの悔いを残す。

感謝の思いも、
きちんと伝えられないままだった。

さいごは、痛みや苦しさはなかっただろうか。
さびしくはなかっただろうか。

この世から解放された花梨さんは、きっと明るく笑う花梨さんのはず。

ひでおさんと一緒に、笑ってみまもっていて下さいね。




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プロフィール写真にあわてる

2016-01-05 | つれづれに

プロフィール写真など
これまで必要になる機会がなかったので、
もとめられた時には、少々あわてた。

しめきりがある。
遅れたら迷惑がかかる。

けれど、
ふだん写真を撮ることはほとんどなく、
最近のものが見当たらない。

どうしよう…

自分の顔写真が載るなんて気後れがする。

ブログのように愛犬の写真…
じゃあダメなんだろうな、今回はやっぱり。


そこで、そうだと思い出す。

へたくそながらも、川柳以上に長く続けている歌…
混声合唱と声楽(おもにクラシック、ドイツリート、日本歌曲)。
年に何度か、発表会やコンサート、合唱祭などで歌う機会がある。

ひとりで写っている写真が、
あのあたりに何枚かあったんじゃないか。
ソロで歌っているときの…
いつもあがりまくりで、残念な思いで終わる本番。
もう、あれでいいや。

肩の出たドレスを着ているけれど、
あまり露出が大きくならないようお願いして、
うまく切りとってもらおう。

ぶじ、郵送をすませる。

雑誌に掲載される(音楽関係では、ありえない)。

まあ、こんなもんかな。
自分以上には写らないんだから、しかたないよね。
できれば、ふだん着の写真がよかったけど…。

などと思っていたら、
とあるかたから、こんなお言葉が!

 「キラキラセクシー写真」 

   ええっ??(大汗)

 「声楽をしておられると知り、
 (こういう格好に)納得しました」

という内容の。

明るく楽しいかたなので、
もちろん、冗談まじりに言われたのだと思うけれど、
セクシーって、
たぶんわたしからいちばん遠いイメージにある言葉なので、
かなりびっくりしてしまった。

でもまあ、発表会のドレス姿だし…
よろこんでおこうかな。

それともやっぱり、
あせってでもふだん着の写真を撮って送るんだったかな。


慣れないできごとがひとつ起こると、
何かとジタバタして、ひと騒動になる。
(自分のなかで)

一事が万事で、この調子。

そんな落ちつきのなさが、わたしなのでしょう。

どっしりとかまえていたいものですが…。



   撮り直ししても変わらぬ顔写真


   まあいいかこんなものさとプロフィール




   
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多読、多詠の誓い(?)と同想句

2015-12-27 | つれづれに
これまで定期的に読んでいる川柳誌は
豊橋番傘だけだった。

川柳をつくりはじめて10年ほどと言いながら、
はずかしいことに、
唯一の川柳専門雑誌である「川柳マガジン」を
目にし、手にしたのはつい最近のこと。

ひらくとそこには、
日本全国の、川柳を愛好する方々の
たくさんの句が。
読んでいて、とても楽しい。
解説や合評、意見の場など、
読み物もたくさんあり、勉強にもなる。

たくさんの句にふれて、楽しんでいるうちに、
あっと思い、ドキッとした場面があった。

自分がつくって、投句しようとしたものと
そっくりな句があったから。

川柳は五七五の十七音でつくる短詩型の表現。
そして、人間であれば、
誰しもおなじような経験や思いをすることがあり、
だからこそ共感もできる、ともいえる。
それだけに、同想の句ができても不思議はないし、
表現が斬新ならば、それもありなのだろうと思う。

けれど、ほとんど同じと思われる句ならば、
目にしてしまった以上、もう出せない。

そこで、
これまでの自分をふりかえって心配になったのが、
多くのかたが知っておられるような、
目にしたことのあるような句とそっくりなものを
自分がどこかに投句してしまったことはないだろうか
ということだった。

豊橋番傘に毎月投句する以外の大会、誌上大会には、
全部思い出せるほど、
数えるほどしか投句したことがないので、
まず大丈夫かとは思うが、
川柳誌をこれまでほとんど読んでこなかった自分は
無知ゆえの失敗をおかしているかも知れない。

これからは、
できるだけたくさんの人の作品を読むようにしよう。

そして、遅いペースではある自分だが、
できるだけたくさんの句を考えてつくろう。

そう感じたできごとだった。

ちなみに、目にしたのはこんな句だった。


  可愛いね誉められたのは犬でした


突然の難病で失明されたという、
丸山 あずささんというかたの句で、
パートナーである盲導犬・ニコを詠んだものだそうだ。

ショッキングな体験をされて、立ち直られたかたの句だと思うと
なおほほえましく、明るくほがらかなお人柄を感じる。


わたしがあやうく投句しそうになったのは、

  可愛いねなあんだいぬのことですか



わがやにこいぬを迎え、
いぬと一緒のお散歩にもまだ慣れない頃。
わたしも今よりずっと若かった??

ちょっといい感じの若い男性が、
わたしの顔をみてニコニコとしながら

 「かわいいですね!」

 「えっ!?えっ?」

一瞬のあとで、いぬのことだとわかったが、
一瞬でもどぎまぎした自分がはずかしい。

つくったのはその頃のことになるが、
最近になってどこかに出そうとしていた句だった。
出してしまう前でよかったと、
冷や汗をかく思い。

でも、そのことを別にすれば、
盲導犬と、ペットである飼い犬で、
状況はちがうのだけれど、
おなじようなことを経験し、おなじような思いで
それを句にしたかたに親しみを感じて、うれしくなる。
思わずくすっとさせられる。

川柳はたのしい。



   
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年賀状と訃報

2015-12-26 | つれづれに

毎年毎年、わかっていることなのに
この時期になっていつもあわてて書いている、年賀状。
ひどい時は、大晦日になってもまだ書いている。
書けたぶんから家族に頼んでピストン投函したり。

毎年送る年賀状のなかには、
何年も会っていない、
もしかしたらもう一生会わないかも知れない人あての
ものもある。

年賀状をやめてしまえば、
つながりがなくなってしまいそうな人もいる。
だからこそ送るべきなのかな、と思う。
ふだん顔を合わせる人以上に。

昨年は父の喪中で年賀状は書かなかったが、
いつものようにあわてて書く年賀状が必要ないのも、
それはそれでさびしいものだった。

こちらから送ることもなく、
届く年賀状もごくわずか。

喪中はがきが数多く届く年は、
親しい友人・知人たちにとって身近な方たちとの
お別れが多かった年。
避けられないこととはいえ、こころが痛む。

今年の喪中はがきの中に、
遠方に住む、学生時代の親しい友人のご主人からのものがあった。
この12月に亡くなったのは、
もう何年も会っていない、その友人だった。

毎年の年賀状だけが、ここ何年もの彼女とのつながりだった。

病気だったとも何とも聞いていないので、
事情がまったくわからない。
共通の友人たちにたずねてみたが、誰も知らないという。
ご主人は、12月に入ったこの時期のことでもあり
遠方であることもあり、
葬儀のタイミングでの連絡を遠慮なさったのかも知れない。

2年前の、母の入院時にも、
わたしは学生時代の親しい友人をひとり亡くしている。
それも、彼女にはもっともふさわしくないと思える、
いまも信じたくない、自殺というかたちで。

その彼女とは、何人かの友人たちとともに
年に1、2回は会っていたのだが、
彼女が来られなかったある時の理由が

 「今はみんなに会いに行く余裕が、とてもないので」

という内容だったので、
気になりながら過ごしていたところだった。

術後のトラブルで入院の長びいた母の回復にも
光が見えはじめてほっとした、
その年の夏が終わろうとする頃。
そんな時に届いた、突然の訃報だった。

覚悟しながら日々を過ごすお別れもあれば、
予期もせぬ突然のお別れもある。

いつどんなかたちでその時が訪れるのかは、
誰にもわからない。

これがさいごになってもいいように、という思いを
いつもこころのどこかにとどめておかなければ。

あえない日々が続くのもしかたのないことがあるが、
だからこそあえる時には感謝して、
悔いのない会いかたを、別れかたをしたい。

笑顔でありがとうの気持ちを伝えたい。



  不精さを悔いる疎遠の友が逝く

  だしぬけの訃報が時を凍らせる

  友が逝くいつもとおなじはずの朝






   
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第九

2015-12-24 | つれづれに

年の暮れが近づくと、
あちこちで第九の演奏会がひらかれる。

この時期に第九の演奏会が目につくのは
日本だけで、ほかの国ではみられない傾向らしい。

合唱をはじめたきっかけは、
ベートーヴェンの第九。

当時の職場の先輩に、

 「こんなのがあるのよ。歌ってみない?」

と、手渡された1枚のチラシ。

阪神淡路大震災復興のための第九を歌おうという
合唱団員募集のチラシだった。

原語であるドイツ語で、
プロの指揮者のもと、
これまたプロのソリストさんやオーケストラの方々と
アマチュア合唱団が共演する第九。

きちんと指導を受けて、
一度くらいこんな経験をするのもよいなと
直感的に思い、合唱団員となった。

それから何度第九を歌い、聴いたことだろう。

合唱の世界に足をふみいれてから、
18年ほどになる。
こんなに長く続けることになるとは、
そのときは夢にも思わなかった。

合唱をきっかけに、たくさんの音楽に触れ、
声楽を始めてドイツリートや日本歌曲、ミュージカルなどを
ソロやデュエットでも歌うようになった。

ちっともじょうずにならないながらも、
自分なりの歩みで歌いつづけている。

あのときの第九が、はじまりだった。
わたしの生きる世界を広げてくれた。

第九は、大きなパワーを秘めた曲。
歌うにも聴くにも、それなりのエネルギーを必要とする。

その反面、
元気がない時に歌うことで、聴くことで、励まされることもある。

どんな音楽も一期一会で、第九に限らないのかも知れないが、
何度歌ってもむずかしい。
何度聴いても新鮮。

不思議な曲だ。

天使のソプラノは、永遠にめざしつづけるはるかな高み。



  エネルギー第九にもらう十二月

  
  つもりだけ天使ソプラノパートです




               


   
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父のセーター

2015-12-23 | つれづれに

昨年8月に亡くなった父が愛用していたセーター。
その中で、わたしがもらって着ているものがある。

赤のVネック、
明るい緑のVネック、
紺のタートル。
どれもきれいな色だ。

父は、背丈は165cmほどだったが、
筋肉質で、広い背中をしていた。
そんな父のセーターは、
小柄なわたしにはゆったりと着られる。

メンズのセーターを女性がたっぷりと着るのも、
それはそれでいいものだと自己満足しながら
組み合わせを楽しんで着ている。

 「おとうさんには、いいものを身につけてもらいたいの」

 「また、何を着てもさまになる人なのよねえ」

常々そう話していた母。

…仲良きことはうつくしきかな。

そんな母が、
きっと奮発して買ったであろうセーターなので、
品質もよく、かるくてあたたかい。

生きて元気でいてくれたころの父が
身につけていたセーターを着ると、
父のあたたかさに包まれているような気がする。


   愛用のセーターぬくい形見わけ




   
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耳ふたつ...意味ふたつ?

2015-06-10 | つれづれに

「さくら・たわわにたわごと」に書きました。

よろしければどうぞいらしてくださいね。



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父に寄せる句

2014-12-06 | つれづれに

(画像の写真は、「花の庵」さなえさん より おかりしております
 
 ”メタセコイア”)


父に思いを寄せてつくった句のあれこれ。



   元気かと父がさしだすぬくい杯

   父の日もそうでない日も父と呑む

   どこかしら父に似たひと好きになる

   男らしい人で拳は振りあげぬ

   家まもる父の背中の傷幾多


父とおいしいものを食べ、お酒をのみ、話す時間は
とてもこころ満たされるものだった。
一緒に過ごして楽しく、そして一本筋のとおったひとだった。
 


   淡々と告知する側される側

   泣いてなどおれぬほんとの一大事

   福音のように響いた転移なし

   気を逸らすこともひとつの生きる知恵

   ユーモアはこんなときでも笑うこと   

    
健康そのものだった父が、いのちをおびやかされる悪性の病に。
不安と希望に揺れうごく日々。
急ぎ手術を受け、病巣は取り除けた。
転移のない初期のものであったことにひと安心するが、
術後の痛みはなかなか癒えず、
そして 術後わずか4ヶ月たらずで再発が判明する。

父の肺がんは、多形がんという、
たぐい稀な悪性度の高い組織型だった。
早期に再発・転移を起こし、抗がん剤にも抵抗性。
めずらしいタイプの組織型なので、データも少ないが、
いろいろ調べても、完治した例を見出せない。
暗澹たる気持ちになった。
一方で、父が完治した最初のひとになればいいんだ、
希望を持とう。
とも思った。


   試練とはこうも続くか空に問う

   神さまにねだろう寿命もうすこし

   過去形にまだしたくない物語

   ないよりはいいと胸張る空元気

   日がすこし翳ったままの発病後

   いまは泣けいつか笑える日も来よう



当初は、急ぎ抗がん剤治療をと言われた。
が、その後まもなく、
まだじゅうぶん体力もあり元気に過ごせているので、
今のそのちからを保ちながら病と共存する道をと、
医師からすすめられた。
わたしは、効果の望みが少なくても、
医師からはきっと抗がん剤をつよくすすめられるだろうと思っていたので、
これは意外なことだった。

もとより、
抗がん剤におそらく効果はのぞめないだろう、
いま父にある体力を、免疫力をうばうだけにしかならないだろう、
と考えていたわたしに異存はなかった。
もちろん、やってみなければわからないかも知れない。
けれど、このまま父の生命力にゆだねるほうがのぞましいと
直感してうたがわなかった。
寿命の長さよりも、たいせつなのは質。
父も母も弟も、それを自然に受けいれてくれた。

けれどそれは、治癒をめざしての治療をやめるということ。
痛みや心身のさまざまな苦痛をとるための緩和ケアを受けながら、
いつ訪れるか知れぬ終末を、いやでも意識させられることになる。   
が、その日までの日々を悔いなくたいせつにともに過ごそうと決める。
毎日、気持ちは揺れた。
いつその日が来ても、父と母を支えよう。
その日が近いことも覚悟した。
けれどそれでも、ひとすじの希望を胸に抱きつづけた。
   

   逆境で真価をみせたああ男  

   わずらいを捨てて今日だけ見て生きる

   ケセラセラなにがあっても受けいれる

   第三の道はないかと思案する 


   病床の父と眺めるカレンダー

   いつか来る別れの日まで愛を積む

   けれどなお願ってやまぬ父の治癒

   いま生きて在るひと過去になる別れ


病のなかにあっても、
臥してからも、父はやはり父だった。
父らしさは、さいごまでうしなわれることはなかった。
いさぎよくて、美しくて、つよくて、やさしくて、みごとだった。



   
   この世でのさいごの息をふかく吸う

   潮どきを悟ったように花が散る

   来年はもうない父と見たさくら

   散る日まで椿は椿父は父

   いてくれるそれだけでいいひとが逝く



   正解はそれぞれにある看とりかた

   去ってより存在感が増してくる

   そこここにぬくもりのこし死出の旅

   尽くしてもたりぬと思う父看取る

   秋立ちぬ夏いっぱいを生きた父


8月8日の立秋の頃、父は旅立った。
8日に日付が変わってまもない真夜中、  
わたしの目の前で、この世でさいごの息をしてくれて、
しずかにその呼吸を止めた。




   存在の大きさを知るその不在

   白萩は咲いて散るまで白い萩

   風流れいるべきひとがいなくなる

   常夜灯消えてしるべをさがす指



   もういないひとのぬくもり消えぬ部屋

   日々拝む遺影の父はきょうも笑む

   祈ることばかりであった年も暮れ

   ゆっくりとこのさびしさに慣れてゆく



本当は、このさびしさに慣れることはない。
ただ、父のいなくなった世でも、
わたし自身の人生を淡々と、でも精いっぱい生きていくだけ。
喜んだり、悲しんだり、泣いたり笑ったりしながら。
のこされた、母や弟とともに。
わたしのまわりの、愛するひとたちとともに。

けれど、まだどこか、
喜怒哀楽の振幅の、レベルが一段低いなかで生きている自分を
感じている。

父にあいたい。



   こんなにも広かったのだ父の傘

   



   
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