雀の日記

ようこの人生散策

8月19日 実家のお墓

2020-08-19 10:50:10 | Weblog

父は子供のいない伯母の養子になり、

養子先のお墓は鹿沼にあり、

実の両親のお墓は足尾にあります。

でも詳しい事はわからないのですが、

私が生まれる前、父の長兄が退職して東京に引っ越した時に、

祖父と祖母のお骨を、

東京に持っていったような事を聞いた記憶が、、、定かではありません。

お墓だけがあり、父の長兄の先妻のお骨が残されているようです。

そのお墓は遠下と言うところにあり、

幼い頃、母に連れられて何度かお墓参りをした事がありました。

住んでいた所は通洞で、お墓までそうとう歩いたような記憶があります。

墓地にはたくさんの墓石が小高い山に沿って立っていました。

前を歩く母の後ろ姿を、

子供目線から見上げる母の後ろ姿が記憶にあります。

 

あと一つの思い出は、

七五三のお参りに、そこの妙見神社にお参りしました。

朝早くからの髪と着付け、写真屋に行って、

神社まで車がないので歩きでした。

神社での記念写真です。

左側の母は38歳でした。

クラスで七五三で休んだのは私一人で、

着物は桐生で買い揃えて、

子供の頃苦労した母は、

子供に着物を着せたい思いが強かったのだと思います。

 

10年前、足尾のお墓参りをした事があります。

もうすっかりお墓の場所も忘れてしまい、

兄がお墓は下の方にあると言った言葉を思い出して、

探したらありました。

何十年かぶりに手を合わせました。

誰が供えたのか、ペットボトルを花瓶にして、

枯れた花がありました。

墓石には桜の家紋が、傍に山桜の木が、幹の直径が10㎝くらいで、

若い木だと思います。

伯父の先妻が、どのような人だったのかは分かりませんが、

男の子が一人いて、私と歳が20歳くらい離れていて、

面倒見の良い人で、3回ほど従兄の東京の家に行った事があり

小学4年の時は豊島園に連れて行ってもらい、

中学2年も時は、箱根の芦ノ湖の遊覧船に乗って、

船の名前はパイオニア号だったかなぁ?、

成人してからも行った事があります。

従兄は27年前に亡くなり、東京のお墓に眠っています。

足尾も過疎化で、無縁仏のお墓が多くなっている事と思います。

 

 

 

コメント
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