父は子供のいない伯母の養子になり、
養子先のお墓は鹿沼にあり、
実の両親のお墓は足尾にあります。
でも詳しい事はわからないのですが、
私が生まれる前、父の長兄が退職して東京に引っ越した時に、
祖父と祖母のお骨を、
東京に持っていったような事を聞いた記憶が、、、定かではありません。
お墓だけがあり、父の長兄の先妻のお骨が残されているようです。
そのお墓は遠下と言うところにあり、
幼い頃、母に連れられて何度かお墓参りをした事がありました。
住んでいた所は通洞で、お墓までそうとう歩いたような記憶があります。
墓地にはたくさんの墓石が小高い山に沿って立っていました。
前を歩く母の後ろ姿を、
子供目線から見上げる母の後ろ姿が記憶にあります。
あと一つの思い出は、
七五三のお参りに、そこの妙見神社にお参りしました。
朝早くからの髪と着付け、写真屋に行って、
神社まで車がないので歩きでした。
神社での記念写真です。
左側の母は38歳でした。
クラスで七五三で休んだのは私一人で、
着物は桐生で買い揃えて、
子供の頃苦労した母は、
子供に着物を着せたい思いが強かったのだと思います。
10年前、足尾のお墓参りをした事があります。
もうすっかりお墓の場所も忘れてしまい、
兄がお墓は下の方にあると言った言葉を思い出して、
探したらありました。
何十年かぶりに手を合わせました。
誰が供えたのか、ペットボトルを花瓶にして、
枯れた花がありました。
墓石には桜の家紋が、傍に山桜の木が、幹の直径が10㎝くらいで、
若い木だと思います。
伯父の先妻が、どのような人だったのかは分かりませんが、
男の子が一人いて、私と歳が20歳くらい離れていて、
面倒見の良い人で、3回ほど従兄の東京の家に行った事があり
小学4年の時は豊島園に連れて行ってもらい、
中学2年も時は、箱根の芦ノ湖の遊覧船に乗って、
船の名前はパイオニア号だったかなぁ?、
成人してからも行った事があります。
従兄は27年前に亡くなり、東京のお墓に眠っています。
足尾も過疎化で、無縁仏のお墓が多くなっている事と思います。