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不安な思いをウダウダ書き散らす日記

4年に一度

2006年02月13日 12時50分00秒 | 辛辣うだうだ放題

冬季オリンピックが始まった。 in トリノ
昔は単純に「参加することに意義がある」というスローガンだった。
メダルをとった人は生涯英雄扱いされ、生活に困らないという国もあれば
日本のように笑いでいじくられ、尊敬されないメダリストがいる国もある。
各国さまざまだ。

それにしても、今回のオリンピック……
すでにジャンプ、女子モーグル、男子ハーフパイプなどの競技をテレビで観た。
しかし、どこで何が悪くてこんな点数?? と全くさっぱりわからない。
カメラアングルが悪いのか? Mがド素人だからか?
「この日本人、もっといい点数が入ってもいいんじゃないのぉ?」と、
に向かって悪態をつく……。

…というか、最近のオリンピックはルールが厳しすぎないだろうか?
もちろん世界中のアスリートが集まってくる大会なので当然なのだろう。
だが最近、世界最速…とか、世界で一番…というものが輩出される前に、
四の五のゴタクを並べすぎやしないだろうか? 非常に違和感を覚える。

年齢の壁で出場できなかったフィギュアの選手がいたが、
オリンピック出場のための、規定というもの自体がナンセンスだ。
本物のアスリートならば相手の年齢がどうであれ、勝負したいだろう。
実際に世界の舞台で一位になっているのだから。
彼女がこの大会に出られないことをいいことに、
競わずにして金メダルを手にした選手は、心の底から嬉しいだろうか?
トップと競って自分が勝てば、それ以上に嬉しいことはないだろう。
万が一、他の優勝候補の選手達が、彼女が出られなくてホッとしているとしたら……
そんな意識でこの大会に出ているのなら、このオリンピック自体つまらないものになる。
せめてどこかに彼女の存在が引っかかっていて、彼女と競いたかったと言って欲しい。

時代にそぐわないナンセンスな規定ではないだろうか。
他の大会に出られてなぜオリンピックに出さない??
もっと臨機応変に対応しなければ、見るほうも白けてくるし、
選手の意識も低レベルになってしまう。
強い相手が居ないうちにメダルさえ取れればいい…という話になってくる。
そんなレベルの低いアスリートが出てるなら、オリンピックなど見なくてもいい。

規定を作るのは所詮人間なのだ。

今回、原田の予選失格は残念だった。
ジャンプの規定は特に近年厳しくなった。バカみたいに厳しい。
規定だけガチガチにして即アウト! 取り消し! というのも……なんだかなぁ…。
しかし、これだけコンピュータが発達しているのだから、失格などではなく
体重の200グラム足りなかった分を、飛距離から引くということは出来ないのだろうか。
今の技術ならそれくらい可能だろう。
…というか、体のサイズにあったスキーでもう一度…とか…。
そして原田の失格は、全身のチェックをやった上での失格だったのか?
その辺の疑問もわいてくる。

4年に一度しかないのだから……。
逆に4年に一度しかないのだから気をつけろというのだろうが。
遠くの国まで何時間もかけて移動するのだ。
体調が崩れたりもするし、体重だって減るだろう…。
そりゃ、甘いといわれれば甘いかもしれない。
健康管理を怠るスポーツ選手はもちろんアスリートとは呼べないってことくらい、
素人のMでも当たり前のことだと理解している。
でも、人間だ。機械ではない。
不測の事態に対処のできる、もう少し心の通ったオリンピックであって欲しい。
鬼の首でもとったみたいに失格! などと……。
優勝候補であるだけに、残念だった。
抜き打ちだったらしいので、この場面も日本潰し? 
……と、思ってしまうのは思い上がりだろうか?
もちろん、ドーピングなんかは論外だが。

ここでも繰り返すが、優勝候補が失格になったところで、
優勝した人は心の底から嬉しいか??
…そんな低レベルの考えだったらオリンピックなど面白くない。

皆、同じ条件下で試合をして優劣を決めるならば、
人間のつまらないミスまで対象にしないで欲しい。
ゴタクを並べて選手を排除していく方法が、本当にアスリートの戦いなのか?
やけに小賢しく感じる。

ならば、Mにも言わせて欲しい。
完璧に体調管理、器具調整、が出来てこそのオリンピックであるならば
ミスのない完璧な人間が完璧なタイムを出して勝利を手にするのだろう。
肝心のジャッジも勿論完璧でなくてはならない。
…もちろん…完璧なのだろう……。
そりゃぁ、当たり前。完璧なのだ。あれだけ選手に規則を押し付けて厳しいのだから
ジャッジがミスするなんて……。

…ということは、まずあり得ない。
過去のオリンピックにおいて、ジャッジミスは数多くあった。

Mから見れば、お粗末なジャッジで、選手にだけ完璧を求めるのがオリンピック。
芸術点、技術点など審判個人の美的センスに頼ったジャッジが完璧かどうか
Mは見ていて毎回疑問を感じる。
しかも、審判員によって視点が違うのか、点数差があるというのも信じられない。
結局は好みの問題ではないか。

公正を期するためには、
ジャッジする人間にだけ、選手の出身国も名前も伏せるべきではないか?
演技する時に顔やユニフォームを見せない…など何か手を打つことが必要に思える。
ぜったい身びいきしているし、ひいきの選手はいるはずだ。
裏にお金が動いていないにしても、自分の中に選手への拘りはあるはずだ。
このように、人間本来の感覚を採用してジャッジしているのだから
やはり、オリンピックの規定自体にも人間的な温かみが必要だと思う。

なんといっても、四年に一度ではないか。
怪我以外のたわいもないミスには、チャンスを与えるべきだ。
ここはひとつ性善説で…。
相手のミスで勝てた選手が世界一だと喜んでいても、
冷ややかに見てる人間は多いだろう。キミ、ラッキーだったな…と。
Mなどは「これで金メダルって、ちょっと恥ずかしいよなぁ…」とまで考えてしまう。
もちろん、ミスを誘発して勝つ競技はあるが、そういう競技はまた別。

運も実力のうちとは言うが、本来の力で勝負してこそのオリンピックではないだろうか。
…一度きりの勝負っていうのも、スリルがあって面白いのだが…。
国を背負って悲壮感を漂わせている選手が多いはずだから、
もう少しルールにも人間的なぬくもりが欲しいと思うMであった。
 
縛りがきつすぎて、本来の力の発揮できないような大会ではつまらない。
スポーツ本来のもつ、もっとスカッとした爽快感のある試合が観たい。
なんか…こう……素人が見ても「この人が金メダル!」と思えるような。
ただそれだけ世界中の力は拮抗しているということだ…。
ま、規定を複雑にして失格にしたほうがジャッジするほうは楽だわな…。

シンプルな形がスポーツだと思っているMが時代遅れなのかもしれない。

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