プラスアルファ

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不安な思いをウダウダ書き散らす日記

はじめての浜省ライブ

2006年02月25日 13時20分20秒 | 大好き

Mが「浜田省吾さんのファンです」というと、殆どの人が「誰ソレ?」と言う。
それは実際に今でもそう。
もう面倒なので、滅多に自分からは浜田省吾ファンだという事を言わなくなった。
でも、誰のファン? と聞かれて 誰ソレ? と、
問われたからには答えなくてはならない。
「悲しみは雪のようにを歌ってた…」と言うと、「あぁ、アレね…」と曖昧なリアクション。
「もうひとつの土曜日」や「片想い」は、カラオケを歌う人なら何となくわかるという。

メディアの影響ってすごいなぁ…と思うのが、
最近出てきたばかりのバンドでも、一度テレビに出るとCDがそこそこ売れるし、
知名度もかなりアップする。
そういう意味で、浜田省吾さんはテレビに出ないからイッパンの知名度は低い。
こんなにたくさんのファンがいるのに、信じられないことだが…。
歌は知ってても、どんな人が歌っているかまではわからないようだ。
何となくわかるという人でも、浜田省吾という人のイメージは、
サングラスかけてバンダナして…ブルージーンズと皮ブーツのイメージ?

お笑いでの「浜省だらけの野球大会」とか、
「浜省だらけの温泉」のイメージがそのまま。
しかし、あの浜省だらけの………は、絶対面白い! また見たい…。
かなり茶化してるんだけど、バカにしてるわけじゃない…というか、
浜省に扮する芸人さんたちは、省吾さんのファンなんだと思う。
「浜田省吾」に対する愛情が感じられるので、
Mはまた見たいなぁ…と思ったりする。

Mがはじめて浜田省吾のライブに行ったのは、札幌の道新ホールだった。
実はそのチケットはいただきもので…。
浜田省吾は好きだったが、
チケットを買ってまで行きたい! という思い入れは当時まだなかった。
ただ単に「ゥラッキー!」という程度のものだったが、
このライブをきっかけに、浜田省吾に目覚めていくMだったのだ。

チケットは全席自由。
映画館で映画を鑑賞するような気持ちで、真ん中の列の真ん中の席に座り、
前座の演奏が終わるのを待っていた。
記憶力のないMが、あの空間を覚えているのが不思議なのだが、
席はまばらだった……。前に行こうと思えばいくらでも行けたのだ…。

前座の演奏が(やっと)終わり、待ちに待った浜田省吾登場!
何曲か演奏して(はい、曲名は全く覚えておりません…悪しからず。
昔、どなたかのHPで見た気がするので、今でもあれば見られるかも…。)
その時のステージ衣装の詳細は覚えていないけど、
確か白いスラックスだったと思う。
今で言えば「都会のちょいワル…」という雰囲気だった。

そしてノリノリになったあたりで、汗をかく省吾さんに向って、
最前列にいた女性が青いタオルを投げ込んだ。
すると、省吾さんはそれで汗を拭いて、また彼女に返したのだ。
当時の熱狂的なファンは今どうしているのだろう…。 
Mよりお姉さんっぽかったので、省吾さんと同年代あたりの女性。
たくさんいたはずなのに、今は陰をひそめてる?

そして…あのタオル……どうなったのかな??
もし、今持ってたとしたら……カビてない??
などと夢のないことを考えて、とても失礼なMだ…。

道新ホールのライブは1979年だと思う?(誰に聞いてる?
確か、サインを貰ったのが、道新ホールライブから数ヵ月後だったような…。
記憶が曖昧だ…
チケットをくれた方におねだりしたのだ。
どうせおねだりするなら、直接あわせて欲しいといえばよかったのに、
まだそこまで頭がまわらず、素直で可愛いMちゃんだったようだ。
あの頃が一番楽しかったかもしれない。
青春だったなぁ…

そしてそのライブ以降、
Mは頭からどっっっぷりと、浜田省吾にのめり込んでいったのだった…。
1979年だなんて…先日金メダルをとった荒川選手は…まだ生まれてない

   ‘79.9.30 と書いてある
                       (隠しているのは○○にて…と、サインした場所です)

ちなみにこのサイン、
ラップをかけて保護していたので黄ばみを避けることが出来た。
引越しのたびに、もう捨てちゃえ…と何度ゴミ袋に入れたことか。
しかし、今でもまだ手元にある…。
しまいには、イスの上においてお尻の下敷きにもなっていた…。
そんな困難(?)を乗り越えながら、我が家の家宝となりつつある。
最近のサイン……直接ご本人から手渡しでいただきたいなぁ~
握手してハグして……
…と、ファンならみんな思うかな……。

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