エズラ記5:12
『しかし、私たちの先祖が、天の神を怒らせたので、神は彼らをカルデヤ人であるバビロンの王ネブカデネザルの手に渡されました。そこで、彼はこの宮を破壊し、民を捕らえてバビロンに移したのです。』
祝福の中で神の愛を見ることはそんなに難しくありません。
しかし試練の中でも神の愛を見ることが出来る人は信仰ある人です。
神の選民であっても、神に対して罪を犯すならば、神はそれを見逃すことが出来ないです。
子どもたちが悪いことをしているのに、放任する親が良い親でしょうか。
悪い親です。
放任すればその子はますます悪い子になります。
むちをあげて子どもを悪い道から立ち返らせる親が良い親です。
神が選民たちに対してむちをあげたのは愛の懲らしめです。
信仰ある人は試練の中で、神のみこころが何かをまず伺います。
信仰のない人は神のみこころよりも現実の試練で右往左往しながら恐れ、心配、不信仰に陥ります。
神に対しても不満をぶつけます。
試練の中で神を見上げるならば神の愛とみこころが見えてきます。
【祈り】
主よ。霊の目が開かれて、主のなさることが見え、悔い改めますように。
【聖句をノートに書きましょう】
-神の愛の懲らしめ-
- へブル12:4-8
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