今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

なぜ恐れるのか

2019-09-30 00:01:38 | マルコの福音書


マルコの福音書4:40

イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

 

ガリラヤ湖に起きた激しい突風でイエス様と弟子たちが乗った舟は波をかぶって、水でいっぱいになりました。 

そんな状況なので、弟子たちは必死でした。

 

舟が沈むと自分たちの命にも危険が迫るので、漁師としての経験や知恵を全部使って何とかしようとしましたが、どうすることも出来なかった弟子たちの心は不安と死への恐れでいっぱいになりました。

 

冷静におられた人はイエス様だけでした。

 

寝ているイエス様を弟子たちは起こしました。 

起きたイエス様は風を叱りました。

 

すると風も波も止みました。 

それに弟子たちはさらに大きな恐怖に包まれました。

 

恐れている彼らに語った主の言葉にはどんな意味があるでしょうか。

 

「どうしてあなたたちはわたしを信じないで、自分たちの経験と知恵に頼ったのか」という意味です。

 

もし共におられるイエス様の力を信じ、主に頼っていたならば、そこまで恐れる必要はなかったと思います。

 

信仰の試練があります。

 

その試練は私たちに恐怖を与えるためではなく、私たちが自分に頼らず、主に頼る者になるように主が訓練しているのです。

 

兵士たちは過酷な状況をわざわざ作って訓練します。 

それは実践になった時に恐れないで冷静に戦うためです。

 

恐れを持つ兵士が戦争で勝つことは出来ないです。

 

【祈り】

主よ。主にいつでも頼り、平安でおられますように。


【聖句をノートに書きましょう】

-恐れ-

  • 創世記15:12
  • 出エジプト記15:16
  • 詩篇78:53

 

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神の招き

2019-09-29 00:02:42 | イザヤ書


イザヤ書1:18

「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

 

神の前に罪を犯した者は、当然神の前から姿を隠します。

 

アダムとエバが罪を犯すまでは神と仲が良かったのに、罪を犯した後は神から離れ姿を隠しました。 

その時、先に声をかけたのは誰でしたか?

 

神様でした。

 

「あなたはどこにいるのか」そこから再び神と人間の会話が始まりました。

 

カインが自分のささげものが神に受け入れないことを知って激しく怒っていた時に、声をかけたのは誰でしたか?

 

やはり神でした。

 

「なぜあなたは怒っているのか。」

 

カインが弟アベルを殺した後に彼に声をかけたのは誰でしたか?

 

この時も神様でした。

 

「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」

いつでも神のほうから話が始まりました。

 

罪人自ら神の前に来るのはほとんどないです。

 

神の方から罪人に近付き声を掛けます。

 

罪から救い出したいからです。 

その罪を赦したいからです。

 

逃げても主の目から隠れることは不可能です。 

ならば主の招きに応じて、主と話して下さい。

 

主は赦しの神です。

 

【祈り】

主よ。こんなに優しくてあわれみ深い神はおられません。主の招きに応じます。


【聖句をノートに書きましょう】

-主の招き-

  • ルカの福音書19:5
  • マタイの福音書4:19-20
  • マタイの福音書11:28

 

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あふれる祝福

2019-09-28 00:03:10 | ルカの福音書


ルカの福音書5:5-6

するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」

そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。

 

聖書でどのような人が祝福され、どのような人が奇跡を体験したのかを調べるのも良いです。

 

「私の経験では」とばかり言う人は、祝福も奇跡も体験出来ないです。 

自分に信頼し過ぎる人に進歩はありません。

 

その人たちは神のことばに対しても自分の経験を優先して従いません。 

 

しかし主のことばの前に自分の意見も経験も捨てて従う人は、恵みも奇跡も受けます。

 

イエス様が「子どものようになりなさい」と、なぜ言われたでしょうか。 

素直さです。

 

子どもが自分の経験を大人の前に話し、大人の言葉に従わない時に大人はどう思うでしょうか? 

呆れるでしょう。

 

私たちも神の前にそんな態度を取る時が多いです。

 

神を教えようとする人もいます。

 

シモン・ペテロは漁の経験豊かな者でしたが、主のことばに素直に従いました。 

その結果、網が破れそうになるほど魚をたくさん採りました。

 

奇跡は神のことばに従順した時に現れます。

 

従順もせずに奇跡を期待しても奇跡は起こりません。

 

【祈り】

主よ。主のことばに素直に従う者になりたいです。


【聖句をノートに書きましょう】

-奇跡-

  • 詩篇107:8
  • 出エジプト記14:21-22
  • マタイの福音書8:15

 

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豊かな主

2019-09-27 00:01:56 | 詩篇


詩篇23:1

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

 

韓国では「金のスプーンと土のスプーン」という言葉がよく使われています。 

私が住んでいた頃は、そのような言葉はありませんでした。

 

しかし、いつの間にか出来てありました。 

それは豊かな家で生まれた人は金のスプーン、貧しい家で生まれた人は土のスプーンと言われます。 

 

金のスプーンとして生まれた人は何の苦労もせずに豊かに暮らし、土のスプーンとして生まれた人は苦労ばかりしていると皆が思っています。

 

昔は貧しい環境の中でもよく頑張って成功した人が多かったです。

 

もちろん最初から不利な立場であることは分かりますが、豊かな者を羨み、最初から諦め、環境のせいにする人も良い未来はないと思います。

 

詩篇23編を書いたダビデは羊飼いでした。

 

その羊も親のもので、兄弟も多く、自分のものはない状態でした。 

 

しかし彼には他の兄弟や他の人にはない財産を持っていました。 

それはまことの主が彼の宝物でした。

 

そして自分の羊飼いでした。 

神だけに頼り、神だけに従いました。

 

主は彼に多くの祝福を与え、イスラエルの王になり、国は豊かに祝福され、彼自身も何一つ不足のない生活を送るようになりました。

 

何も出来ない偽りの神や、何もない親に頼るのではなく、天地の創造主である神をダビデのように自分の羊飼いにして頼ってみて下さい。

 

主が養って下さいます。

 

【祈り】

主よ。主は今も生きておられる主です。祝福を与えて下さる主に頼ります。


【聖句をノートに書きましょう】

-羊飼い-

  • 民数記27:17
  • 第1歴代誌11:2
  • 詩篇80:1

 

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粘土と陶器師

2019-09-26 00:01:36 | イザヤ書


イザヤ書64:8

しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。

 

陶器師が粘土で陶器を作る様子を何度か見たことがあります。

 

優しく集中して丁寧に作っていました。 

荒っぽく作る人を見たことがありません。

 

みんな心を込めて自分のイメージ通りの器を作っていました。

 

神様は陶器師で私たちは粘土です。

 

意味もなく造られた者は一人もいません。

 

粘土である私たちが陶器師に「こんな器にして下さい」と言える権利はないです。 

器は陶器師の思いのままに造られます。

 

器の立場としては陶器師の目的に沿って用いられることです。 

陶器師の思いに従って生きることが大切です。

 

粘土そのものは本当に価値のないものです。

 

しかしその粘土が神に用いられるならば尊い器になり、陶器師を喜ばせることが出来ます。

 

【祈り】

主よ。用いられる陶器になりたいです。


【聖句をノートに書きましょう】

-陶器師と粘土-

  • イザヤ書29:16
  • イザヤ書30:14
  • イザヤ書45:9

 

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