出エジプト記32:31-32
『そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。
今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになった書物から、私の名を消し去って下さい。」』
モーセは自分の永遠のいのちを担保にして、とりなしをしました。
この事はモーセがその民をどれほど愛したかを見せました。
とりなすことは、ことばだけで言うのではなく、時には自分のいのちをかけた自己犠牲が必要です。
このようなとりなしの絶頂はイエス・キリストの十字架です。
イエス・キリストは人類の罪を贖うために十字架にかかり、体にあるすべての血を流しました。
神の公義の法則では、誰でも罪を犯すならば、神のいのちの書から名を消されるしかないです。
それにもかかわらず、罪人が贖いの恵みを受けるのは神の憐れみです。
主は十字架の上でも嘲る罪人たちのためにとりなしをしました。
「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは自分で何をしているのかわからないのです。」
【祈り】
主よ。誰かがいつも私のために祈っていることが本当に感謝です。祝福を与えて下さい。
【聖句をノートに書きましょう】
-とりなし-
- 出エジプト記32:32
- エステル記4:16
- ルカの福音書23:34
― お知らせ ―
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)
宜しければクリックをお願い致します♪
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※
◆ おすすめページ ◆
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※