今日の「いのちのパンと祈り」

毎日の生活の中で、いのちのパンを食べて神様と共に歩きましょう。デボーション(祈り・黙想)のブログです。

大声で叫びたいことは

2024-12-24 00:02:33 | 黙示録

 

ヨハネの黙示録7:9-10

その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

 

天の御国はどんな所で、そこにいる人々は何をしているのかと知りたい人はたくさんいると思います。

 

‌日本では死んで天国に入り、先に死んだ人と再会してお酒を飲みながら楽しくおしゃべりするとよく言われます。

 

‌天国でも地上と同じ生活をすると思っているのでそう言うと思います。

 

‌天国は地上と同じく肉の欲に従って生きる場所ではなく、完全な神の臨在がある所で、その偉大さと素晴らしさに心奪われ、神様しか目に入らないところです。

 

‌天国は神の愛を知り、神からの救いを喜んで受け入れた人たちが入る所です。

‌決して死んだ人が全員行くところではないです。

 

 

‌救い主に救われた人たちが一番会いたい方は、自分の救い主であるイエス・キリストです。

 

‌その方に会うとみんなは喜びに満たされて大声で救い主をほめたたえ、主の御名に栄光をささげます。

 

‌もし私が天国に入るならば、同じく大声で主に叫ぶと思います。

 

‌その御前にひれ伏して礼拝をささげ、感謝と賛美をささげます。

 

‌天国に入った誰かに会う前に、救い主にまず会いたいですね。

 

祈り

主よ。‌主の御顔を一日でも早く拝見したいと心から願っています。

 

 

3分バイブルボイス 

【恵み】恵みとまことはキリストによって実現:ヨハネの福音書1章

 


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神様の救いの計画

2024-12-22 00:01:11 | テサロニケ

 

第1テサロニケ5:9

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

 

最初の人間が神の命令に逆らって堕落した時に、神様は色々な選択が出来たと思います。

 

‌一番簡単な選択は、彼らから命を取って新しい人間を造れば悩むこともなかったと思います。

 

‌なぜなら最初の人間も神様が造ったので、彼らから命をとっても誰も何も言うことがないです。

 

 

‌しかし神様はその選択をせず、とんでもない救いの計画を立てました。

 

‌その計画は神様がとんでもない犠牲を払わないと成立しない計画でした。

 

‌人間が堕落した後に神様が打ち出した人間を救う計画が創世記にあります。

 

創世記3:15

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

 

「女の子孫」とはイエス・キリストのことで、‌「おまえ」はサタンのことです。

 

‌イエス・キリストの十字架は、かかとにかみつくということばで表現されてあります。

 

 

‌キリストは神のひとり子で神なのに、人間を罪から救うために人間として生まれ、人間の罪を背負って十字架にかかりました。

 

‌しかし三日目によみがえったことで死の力を持つサタンに勝利しました。

 

‌キリストの十字架には人間に対する神の深い愛と犠牲、そして救いがあります。

 

ヨハネの福音書3:16

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

 

祈り

罪を犯した人間に対する神の深い悲しみと怒りがそのまま人間に下らず、イエス・キリストを通して救いの道を開いて下さった神様には感謝だけです。

 

 

3分バイブルボイス 

【ディボーション】神のみこころを行うため:ヨハネの福音書6章38節

 


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主は義人を助ける

2024-12-20 00:02:23 | ペテロ

 

第1ペテロ3:12

主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

 

この世には矛盾しているように見えるものがたくさんあります。

 

‌それが人々に混乱と戸惑いを与えます。

 

‌悪人が何の苦しみもなく、栄えたり、義人が苦しみを受けたりするのを見ると、つまずきそうになります。

 

‌実際神様を信じる人の中でもつまずいて離れてしまう人もいます。

‌神様に対する信仰と理解が足りないとそう思ってしまいます。

 

‌私たちが期待するように神様の裁きがすぐに起こるならば、皆さんも私もこの世に存在しないと思います。

 

‌救われることもなく、自分の罪のために死んだと思います。

 

‌神様はすべての人に対してさばきを延ばし、その者が立ち返ることを願っています。

‌愛が怒りよりも強く、忍耐しながら待ちます。

 

‌そして立ち返る時に主は喜んで迎えて下さいます。

 

‌その者を洗い清め、その者を優しく世話して下さり、祈りを聞いて下さいます。

 

‌しかしいつまでも主の忍耐を嘲笑う者、踏みつける者は主の怒りに更に火をつけるものなので、本人はいつか主の怒りを真に受ける者になります。

 

‌主に敵対しながら生きる人ほど恐ろしい人はいないです。

 

‌主の怒りに耐えられるでしょうか。

 

‌韓国語には『むちをかせぐ』ということばがあります。

‌それは悪いことをして罰を自ら招くという意味です。

 

‌主に敵対して生きる人もそういう人です。

 

祈り

主の目に義人としていつまでも生きる者になりたいです。

 

 

3分バイブルボイス 

【みことば】人の子が与える食べ物:ヨハネの福音書6章

 


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アブラハムへの約束を受ける

2024-12-18 00:03:33 | へブル

 

へブル6:14

こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」

 

人の人生は神によって変えられます。

 

‌自分で自分を変えることはとても難しいことです。

‌それは神様からも言われました。

 

エレミヤ書17:9

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

 

生きておられる神様がアブラハムに現れなかったならば、アブラハムは偶像崇拝をいつまでもしていたと思います。

 

‌自分の生まれ故郷を離れることも家族親族からも離れることはなかったと思います。

 

‌しかし神様が彼に現れ、彼にことばを語った時に、大胆にもアブラハムはその通りにしました。

 

神様からのことばを信じなかったならば、そのような決断は無理だったと思います。

 

‌信じることが行動の最大な原動力になります。

 

‌信じた瞬間から神様の霊がその人に下り、神様はその者を新しい者に変えていきます。

 

‌主にある者は誰でも新しい者、主からの祝福を受ける者になります。

 

‌アブラハムへの約束は、信じる者にも当てはまることばです。

‌その祝福を相続する者が自分だと自覚することです。

 

‌次の約束を主はアブラハムにしました。

 

創世記12:1-3

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

 

‌主は彼が従ったことで、名前までも変えました。

‌新しい者にふさわしい名前でした。

 

‌アブラムは『高貴なる父、高められた父』で、アブラハムは『多くの国民の父』の意です。

 

 

‌【祈り

アブラハムのように主のことばを信じて行動し、約束の祝福を受けたいです。

 

 

3分バイブルボイス 

【愛】わたしを愛していますか?

 


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主に喜ばれること

2024-12-16 00:01:06 | テモテ

 

第1テモテ2:3

そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。

 

世の中はどんどん人間であることをやめる人たちがいます。

 

‌お金のため、権力のため、名誉のため、快楽のため、妬みや怒りのために人間らしさを失って凶暴な獣のようになって人々を襲う者がとても増えました。

 

‌事件や事故など悪の陰謀を企てている者たちが増えている現実です。

 

‌自分たちは人間らしく生きるためにそうする、とんでもないことを言います。

‌神を離れて罪の中に生きている人間はそういう風に言います。

 

 

‌神様は人間を神の形に似る者として造りました。

‌人間らしさは神に似ていることです。

 

‌サタンは絶えずイエス様を信じる者を攻撃して人間らしく、聖徒らしく生きることをやめるように惑わします。

 

‌聖徒らしく生きることは、『私を創造し、私を救い出して下さった神を喜ばせる』ことです。

 

‌どのようにそれが可能でしょうか?

‌答えです。

ローマ12:1-2

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

 

祈り

人間らしく、聖徒らしく生きる者になります。

 

 

3分バイブルボイス 

【ディボーション】この世の神が思いをくらませる:第2コリント4章4節

 


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