“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

福井地裁の判決要旨

2014年05月22日 12時00分04秒 | 臼蔵の呟き

関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた21日の福井地裁の判決要旨は次の通り。

 【主文】

 大飯原発3、4号機を運転してはならない。

 【福島原発事故】
 原子力委員会委員長は福島第1原発から250キロ圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討し、チェルノブイリ事故でも同様の規模に及んだ。250キロは緊急時に想定された数字だが過大と判断できない。

 【求められる安全性】
 原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に想定しにくい。具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。

 【原発の特性】
 原子力発電技術で発生するエネルギーは極めて膨大で、運転停止後も電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならない。その間、何時間か電源が失われるだけで事故につながり、事故は時の経過に従って拡大する。これは原子力発電に内在する本質的な危険である。
 施設の損傷に結びつく地震が起きた場合、止める、冷やす、閉じ込めるという三つの要請がそろって初めて原発の安全性が保たれる。福島原発事故では冷やすことができず放射性物質が外部に放出された。

 【大飯原発の欠陥】
 地震の際の冷やす機能と閉じ込める構造に欠陥がある。1260ガルを超える地震では冷却システムが崩壊し、メルトダウンに結びつくことは被告も認めている。わが国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。頼るべき過去のデータは限られ、大飯原発に1260ガルを超える地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ。
 被告は、700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震への対応策があり、大事故に至らないと主張する。しかし事態が深刻であるほど、混乱と焦燥の中で従業員に適切、迅速な措置を取ることは求めることができない。地震は従業員が少なくなる夜も昼と同じ確率で起き、人員の数や指揮命令系統の中心の所長がいるかいないかが大きな意味を持つことは明白だ。
 また対応策を取るには、どんな事態が起きているか把握することが前提だが、その把握は困難だ。福島原発事故でも地震がどんな損傷をもたらしたかの確定には至っていない。現場に立ち入ることができず、原因は確定できない可能性が高い。
 仮にいかなる事態が起きているか把握できたとしても、全交流電源喪失から炉心損傷開始までは5時間余りで、そこからメルトダウン開始まで2時間もないなど残された時間は限られている。
 地震で複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり、故障したりすることも当然考えられ、防御設備が複数あることは安全性を大きく高めるものではない。

 原発に通ずる道路は限られ、施設外部からの支援も期待できない。

 【冷却機能の維持】
 被告は周辺の活断層の状況から、700ガルを超える地震が到来することは考えられないと主張するが、2005年以降、全国の四つの原発で5回にわたり想定の地震動を超える地震が到来している事実を重視すべきだ。
 過去に原発が基準地震動を超える地震に耐えられたとの事実があっても、今後大飯原発の施設が損傷しないことを根拠づけるものではない。基準地震動の700ガルを下回る地震でも外部電源が断たれたり、ポンプ破損で主給水が断たれたりする恐れがある。その場合、実際には取るのが難しい手段が功を奏さない限り大事故になる。
 地震大国日本で、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しだ。それに満たない地震でも冷却機能喪失による重大な事故が生じうるなら、危険性は現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設の在り方は、原発が有する本質的な危険性についてあまりに楽観的だ。

 【使用済み核燃料】
 使用済み核燃料は原子炉格納容器の外の建屋内にある使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれている。本数は千本を超えるが、プールから放射性物質が漏れた時、敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。
 福島原発事故で、4号機のプールに納められた使用済み核燃料が危機的状態に陥り、この危険性ゆえ避難計画が検討された。原子力委員会委員長の被害想定で、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのはプールからの放射能汚染だ。使用済み核燃料は外部からの不測の事態に対し、堅固に防御を固めて初めて万全の措置といえる。
 大飯原発では、全交流電源喪失から3日たたずしてプールの冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。国民の安全が優先されるべきであるとの見識に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しで対応が成り立っている。
 人格権を放射性物質の危険から守るとの観点からみると、安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない。

 【国富の損失】
 被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、議論の当否を判断すること自体、法的には許されない。原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ。
 被告は、原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが、福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり、原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ。


大飯原発差し止め判決は歴史的価値ある判断

2014年05月22日 09時38分55秒 | 臼蔵の呟き

司法が政権の判断、原子力エネルギー政策を批判し、差し止める司法判断を下しました。11年福島第一原発事故を受けての司法判断として重要な意味を持つ判断です。

この司法判断は、脱原発、原子力発電所の稼動反対の運動を見ての判断となっている点で、重要な判断です。司法は憲法、関連法案に沿った司法判断を行うことが当然です。しかし、時代の変化、流れというーー国情の変化、国民感情、社会的常識を意識して判断を行うことは妥当性を持った司法判断ということが出来ると思います。

第二は、三権分立が理念的にあっても有名無実化している中で、政治権力の行動を議会、司法が別の角度から機能することは民主主義国家にとっては非常に重要性をもつことを改めて示したのだと考えます。立地自治体の首長が許可すれば、再稼動できるとする現在の行政手続きがもつ制約と限界もしてきているのだと思います。

第三に、原発の経済性についても重要な判断を行ったことは安倍、自民党政権、電力会社にとって痛烈な批判となりました。原子力発電、電力が安い、経済的だとの宣伝に対しての司法判断は、国民の思い、常識とも合致する点で妥当性のある判断と思います。さらに、原発が環境対策に有効なエネルギー政策であるとの主張も退けている点も、重要な判断です。原子力発電所の存在こそが、環境破壊であると認定した点でも重要です。

<毎日新聞社説>大飯原発差し止め なし崩し再稼動への警告

 福井県にある大飯原発3、4号機の運転差し止めを住民が求めた訴訟で、福井地裁は、関西電力に対し再稼働を認めない判決を出した。判決の考え方に沿えば、国内の大半の原発再稼働は困難になる。判決は、再稼働に前のめりな安倍政権の方針への重い警告である。

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、差し止め訴訟で初めての判決だ。住民の生命や生活を守る人格権が憲法上最高の価値を持つと述べ「大災害や戦争以外で人格権を広範に奪う可能性は原発事故のほか想定しがたい。原発の存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然」結論付けた。

 住民の安全を最優先した司法判断として画期的だ。福島第1原発事故で、250キロ圏内の住民に対する避難勧告が検討されたことから、大飯原発でもその圏内の住民に人格権侵害の恐れがあり、原告になれるという判断も示した。

 関電側は控訴する方針で、上級審が改めて判断する。この地裁判決が確定しない限り、原子力規制委員会の安全審査に適合すれば運転再開は可能だ。だが、司法判断を無視し、政府が再稼働を認めれば世論の反発を招くだろう。

 東日本大震災は、地震大国・日本に想定外の地震はないという現実を突きつけた。判決はそれを踏まえて、大飯原発3、4号機について、地震の際の冷却機能と放射性物質を閉じ込める構造に欠陥があると認めた。原発の持つ本質的な危険性に楽観的すぎ、安全技術や設備は脆弱(ぜいじゃく)だという判断だ。

 訴訟で関電側は、再稼働が電力供給を安定させ、コスト低減につながると主張した。これに対し判決は「運転停止で多額の貿易赤字が出たとしても国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに根を下ろした国民の生活を取り戻せなくなることが国富の喪失だ」と退けた。

 いったん原発事故が起これば、多数の住民の生命を脅かす。判決が「万が一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置を取らなければならない」と電力事業者側に強く求めたことも納得できる。

 判決は「福島第1原発事故は最大の公害、環境汚染。環境問題を運転継続の根拠とすることは筋違いだ」とも断じ、原発の稼働を温暖化対策に結びつける主張を一蹴した。共感する被災者も多いのではないか。

 安倍政権は、安全審査に適合した原発の再稼働を進める方針を示している。だが、震災を忘れたかのように、なし崩し的に運転再開しないよう慎重な判断をすべきだ。

<東京新聞社説>  大飯原発・差し止め訴訟 国民の命を守る判決だ

 大飯原発の運転再開は認めません。昨日の福井地裁判決は、言い換えるなら、国民の命を守る判決ということだ。原発に頼らない国への歩みにしたい。

 判決はまず、津波対策に比べて軽視されがちな地震の揺れの強さに着目し、「想定外」は許されないと言っている。

 世界有数の地震国日本では、どんな大地震に大飯原発が襲われるか分からない。原発を冷やすシステムが破壊されない保証もない。一方、想定より弱い地震でも重大事故は起こり得るものだという。

 要するに、「想定外」を恐れている。

◆いくつもの神話の否定

 使用済み核燃料に関しても、放射性物質が漏れ出さないように閉じ込めることが可能な保管設備は存在しない、とも考える。さらに、大飯原発の安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものだと断じている。

 裁判官の前では関西電力の方に説得力がなかったわけである。

 安全神話の完全な否定である。

 原発の稼働が発電コストの低減になるという関電側の主張も退ける。極めて多数の人々の生存そのものにかかわる権利と、電気代が高い低いの問題とを並べて論じること自体、許されないと、怒りさえにじませているようだ。

 経済神話の否定である。

 そして、原発の稼働が地球温暖化の原因になる温室効果ガスの削減に寄与するという被告側の主張に対しては、福島原発事故はわが国始まって以来の環境汚染、甚だしい筋違とまで言い切って、

環境神話も否定した。

 3・11後もまだ残る原発神話を払いのけ、その素顔を国民の前にさらして見せたとすら、言えるだろう。

 原発再稼働に走る政府はどう受け止めるのか。

 国内の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした二〇〇三年の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた〇六年の金沢地裁判決だけだった。

 福井、岐阜両県と近畿の住民が同じ3、4号機の差し止めを求めた仮処分裁判の抗告審で、大阪高裁は今月九日、「現時点では判断できない」と、訴えを退けた。

 今回の判決は、福島の事故直後に当時の近藤駿介・原子力委員長が示した見解を踏まえ、原発から二百五十キロ圏内の住民は事故の被害を受ける恐れが強く、差し止めを求める権利があると、かなり広く認めている。

◆国民が普通に思うこと

 3・11後、原発の停止や建設中止を求める訴訟が各地で起こされているが、司法の流れは本当に変わるのか。

 関電はきっと控訴するだろう。差し止めの結論はもちろん、判決内容にも多々不服があるだろう。国は、これでは日本の経済が成り立たない、というかもしれない。

 しかしよく考えてみてほしい。今回の地裁の判決理由は、普通の国民が普通に考えて思い至ることばかりではないか。

 その考えの基底には、あの東日本大震災・大津波で引き起こされた福島原発の惨状、放射能汚染の怖さ、また安全神話と今は称される、事故の蓋然(がいぜん)性に固く目を閉ざしていたこと、などへの痛切な悔悟と反省とがある。

 事故のあと、日本の原発行政は揺れに揺れた。当時の民主党政権下では、原発ゼロへの計画をいったんは決めながら、自民党への政権交代によって揺り返した。

 先月、政府は原発をできるだけ減らすと言いながら、その実、原発をベースロード電源と位置づけ、事実上、原発頼みへとかじを切り直した。

 原発に頼らないという道筋は、立地自治体などには経済活動の停滞や雇用の不安を生じさせる。それはもちろん理解せねばならない。そして、日本全体で考えるべきことだ。そういった不安を除きつつ、同時に原発政策を見直し、国民の生命・安全を守りぬこうとすることこそが、政治なのではないか。

◆福島の反省に立って

 判決は、あらためて、福島の反省に立て、と言っているかのようである。

 司法は、行政が行うことについて、もし基本的人権を危うくするようなら異議を唱えるものだ。その意味で、今回の判決は、当然というべきであり、画期的などと評されてはならないのだ。

 経済性より国民の安全が優先されるというのは、これまで私たちが何度も唱えてきたことであり、未来への願いでもある。

 それは大方の国民の思いと同じはずである。


慶大名誉教授・小林節氏「解釈改憲は憲法ハイジャック」

2014年05月21日 12時59分58秒 | 臼蔵の呟き

平和憲法改正に執念を燃やす安倍政権が昨年、憲法改正手続きを定めた96条を先行改正しようとした時に「裏口入学はダメだ」と叩き潰したのが、この人だ。学会の重鎮の怒りに、さしもの安倍首相も方向転換せざるを得なくなったのだが、そこで持ち出してきたのが閣議決定による解釈改憲で、限定的に集団的自衛権を認めてしまおうという“禁じ手”だ。度重なる安倍のデタラメに重鎮の怒りが再び、爆発!

――96条改正を引っ込めたと思ったら、今度は解釈改憲で9条を骨抜きにしようとしていますね。いろいろな限定、条件を付けて、集団的自衛権を行使できるようにしようとしている。

 安倍政権は錯乱しているとしか思えません。まず、大前提として、憲法は国家権力を縛るものなのです。縛られる国家権力の中で一番強いのが内閣ですよ。その内閣が閣議決定で憲法解釈を変えて、憲法の精神をひとひねりしようとするなんて、あり得ないことです。この行為自体が憲法違反、「憲法ハイジャック」だと思います。――まず、解釈改憲という手法がおかしいと。しかも、変えようとしている中身が現行憲法の根幹、平和憲法の破壊です。慎重な公明党を納得させるためにさまざまな限定を付けようとしていますが、条件を付ければいいってもんじゃありません。
 他国には許可なしに行かないとか、必要最低限とか、いろいろ条件を付けようとしていますが、その場しのぎの詭弁(きべん)です。いくら内閣が言葉で約束したって、後の内閣が「事情が変わった」「条件を変える」と言えば、それまででしょう。政治家は「信じてください」って言いますが、信じられません。権力者は信じられないから憲法があるんですよ。歴史を振り返ってごらんなさい。権力者を信じてロクなことはなかったでしょう。我々国民が唯一、安心出来るのは憲法なんです。だから、どうしても集団的自衛権を行使したいのであれば、国会で熟議し、3分の2以上の賛成を得て、国民にも資料を配り、議論を促し、国民投票に問うて、憲法を変えればいいのです

■    想定されている事態は個別的自衛権で対応できる

――限定の中身を見てみると、個別的自衛権で対応できるようなことばかりに見えますが、専門的にはどうでしょうか?

 北朝鮮と韓国が戦争を始めれば、米国も当事者になる。当然、在日米軍基地が狙われるので、これはすなわち、日本の個別的自衛権の話になります。太平洋で米軍と自衛隊が一緒に訓練をしている時に米軍が攻撃されれば、これも日本が攻撃されたのと同じです。訓練をしている先生と生徒がいて、先生がやられれば生徒も攻撃されたことになる。物流を支える海の廊下、シーレーンが攻撃されても、日本の自衛で対応できます。グアムに向けてミサイルを撃たれた場合はどうか。我々の領空に危険物を投げ込まれたのですから、警察権を行使し、除去すればいい。害虫駆除と一緒です。つまり、今、議論されていることはいずれも個別的自衛権を拡大して対応できるのです。そのように対応すれば、個別的自衛権以外に自衛隊は使えないのですからおのずと歯止めになる。しかし、集団的自衛権という大風呂敷を広げたら、原理的にはどこへでも出ていけますよ、ということになってしまう。

■    ――集団的自衛権を限定するよりも、個別的自衛権を拡大する方が安全、安心ということですね。

 集団的自衛権というのは国際慣習法上の概念で、同盟関係の国がどこかで戦火に巻き込まれたら、無条件に助けに入るというのが本質です。つまり、本当に集団的自衛権を認めるというのであれば、片務契約である日米安保条約も双務契約に変えて、日本も米国を助けに行く義務を負わなければいけない。そんな覚悟がありますか? 私はそんな覚悟を持ちたくない。日本の同盟国は世界中、敵だらけじゃないですか? キリスト教とイスラム教は歴史的な戦争をやっている。武器の質量で劣るイスラム側はゲリラ作戦を展開し、それを米国はテロ犯罪だと批判する。その米国と一緒に戦うようになれば、東京で9・11が起こり得るのです。

――自民党の高村副総裁は最高裁の砂川判決を持ち出して、集団的自衛権は認められているのだと言っていましたね。今、行われている議論はあまりにもとっぴで驚かされます。高村議員は弁護士ですが、裁判の大原則を忘れています。裁判所の判決というのは、当該事件について、個別的に判断を下すものです。

■    砂川裁判は在日米軍基地内に立ち入ったデモ隊を裁いたもので、その際に在日米軍の合憲性が問われたのです。米国が集団的自衛権を行使するために在日米軍を置いていることが、日本国憲法9条で禁じている戦力に相当するかどうかが問われたもので、日本の集団的自衛権の有無とは関係ない。さらにこの判決で最高裁判所は統治行為論に立ち、「日米安全保障条約のように高度な政治性を持つ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を司法は下すことはできない」として判断から逃げたのです。最高裁が逃げた判例で、最高裁から集団的自衛権のお墨付きを得たという理屈はおかしい。集団的自衛権の議論を見ていると、いくつものデタラメが複雑に何重にも絡み合っているので、呆れています。

▽こばやし・せつ 1949年生まれ、65歳。都立新宿高を経て慶大法学部卒。法学博士、弁護士。慶大教授を経て現名誉教授。「朝まで生テレビ!」などに出演。憲法、英米法の論客として知られる。「白熱講義! 日本国憲法改正」など著書多数。

 


法人税率引き下げは必要か?すでに軽すぎる大企業の税負担

2014年05月21日 10時56分27秒 | 臼蔵の呟き

なかなか良い主張です。日刊ゲンダイは過激なことも報道しますが、現在の自民党型政治の問題点を隠さずにずばりと指摘する点で、良心的な精神を持ったマスコミと評価できると思います。安倍、自民党政権が念仏のように唱える法人税率が高い、消費税率が低い。その実体は下記の通りです。彼らがいう法人税率の実体が以下にひどいか知ったら仰天物です。

引き下げられた法人税の穴埋めはすべて消費税、税率引き上げで補填される関係となっています。税と社会保障の一体改革なるものがいかにいい加減であるかを証明する話です。政権、政権党と大手企業の癒着の腐敗構造です。安倍、自民党はその大企業から政治資金を吸い上げています。許せる話ではありません。

<日刊ゲンダイ>

主要企業の納税額は、以下の通りです。

住商、ソニー、セブン&アイは納税額がゼロ、みずほ銀行6億円(0.2%)、三菱UFJグループ6億円(0.3%)、村田製作所6億円(1.9%)、三越伊勢丹1億円(2.9%)、東芝10億円(3.2%)、ソフトバンク29億円(3.7%)、旭硝子38億円(9.3%)、キリンHD93億円(9.7%)、以上が個人の最低所得税率10%よりも税率が低い企業です。巨額の利益を挙げても税金をもともには支払っていない企業です。(私のコメント)

トヨタ自動車1584億円(18.5%)、東レ33億円(20.2%)、コマツ172億円(20.6%)、ホンダ400億円(20.6%)、三井物産254億円(23.4%)、京セラ163億円(23.7%)、武田薬品483億円(23.7%)、花王281億円(27.4%)、キャノン650億円(27.6%)、HOYA136億円(28.7%)、日産自動車376億円(33.5%)、クボタ220億円(34.5%)。

政府は「数年内に20%台」と息巻くが
 先週は、集団的自衛権の行使容認に向けた解釈改憲ばかりに注目が集まったが、そのドサクサに紛れて、法人税率の引き下げの動きが着実に進行している。今でも法人税は大企業ほどさまざまな恩恵を受け負担が軽い。さらなる減税は本当に必要なのか。

 安倍は15日、自らが議長を務める経済財政諮問会議での議論を踏まえ、6月にまとめる「骨太の方針」に法人税の実効税率引き下げを反映するよう指示した。菅官房長官は「来年度からの法人税引き下げの方針を明確にすべき」と言い、茂木経産相も前向きな発言をしている。
 現行の実効税率は東京都だと約35%(法人税、住民税、事業税)。今後、段階的に25%まで引き下げるという。

「35%の法人税は国際的に見ても高い。中国や韓国、英国は25%程度なので、日本もその辺りまで下げないと海外企業を呼び込めない」(株式評論家の倉多慎之助氏)

政府は「数年内に20%台」と息巻くが

 もっともな見方だが、国内大手企業の納税額を知ると「引き下げ」は疑問だ。上場企業は決算書(12年度単独決算)で納税額を公表している。課税所得は、「税引き前当期純利益」にほぼ等しい。そこで、この数値と納めた法人税額を基に「負担率」を算出した。定められた38%(復興特別法人税=約3%含む)は少数派で、みずほFGや三菱UFJ、村田製作所、三越伊勢丹、東芝、ソフトバンクなど負担率1ケタも続出だった(別表参照)。

住商、ソニー、セブン&アイは払ってすらいない

 どんなカラクリがあるのか。

「さまざまな減税措置があるからです。欠損金(赤字)を次年度以降に繰り延べできる制度や、海外子会社の配当金が非課税になる制度、研究開発減税もあります。こうした減税策によって、実際の法人税負担は低く抑えられているのです」(東京商工リサーチ情報本部長の友田信男氏)たとえばトヨタ自動車の決算書には「試験研究費税額控除」「特定外国子会社等合算所得」などの項目があり、法定実効税率(37.3%)との差を説明している。
「冷静に現状を分析すれば、大手企業の法人税率は高くありません。だから、法人税を納めていない赤字企業を減らす政策に力を注ぐべきなんです。国内企業の約7割は赤字です。それを5割にするだけで税収はかなり増加するでしょう」(友田信男氏)

 税引き前純利益(12年度単独決算)が黒字なのに、法人税を払っていない大企業も多い。日立製作所やセブン&アイ、ソニー、住友商事などだ。
 三井住友FGは1479億円の純利益だが、法人税額はわずか300万円に過ぎない。

 サラリーマンは給与所得から“勝手”に税金(源泉徴収)持っていかれる。これ以上の大企業優遇策なんていらない。


集団的自衛権 反対の民意に耳傾けよ

2014年05月21日 06時00分43秒 | 臼蔵の呟き

安倍、自民党中枢、戦争できる国に改変したいと考える政治勢力にとって集団的自衛権行使容認はその突破口となる。それが彼らの戦術です。現時点で憲法を明文改正できる可能性、政治的な確信がもてないからこそ、解釈の変更による改憲を目指す。その解釈改憲を繰り返し、行うことで既成事実を積み重ね、国民の意識を麻痺させる。気がついたときには憲法が掲げる理念とは正反対の政治、軍事支配構造が出来上がっている。そのことを安倍、自民党中枢が狙っている。札幌市長である上田市長が言うように催眠商法とは先日の記者会見を的確に表現した指摘です。

民意を反映しない政治が、どのようなところに政治をもたらすかは歴史が示す通りです。また、国民が望みもしないことを衆議院議席の過半数を持っていることを根拠に議会でごり押しをすること。そのようなことに対して多くの国民が政権の運営がおかしいと感じていることも市長が指摘するとおりです。このような政権運営は、善良な国民の政治不信を助長し、いっそう、代議制民主主義を脆弱で、機能できないものとさせています。

このような政権運営を止めさせる、自民党政権を退陣させるしか解決方法がないことを示しています。あらゆる政治経済問題が壁にぶち当たり、その解決策が見出しえなくなっています。

<北海道新聞報道>札幌市長が安倍首相の手法は催眠商法に酷似

 札幌市の上田文雄市長は19日の記者会見で、安倍晋三首相が政府・与党に検討を指示した集団的自衛権の行使容認について「事例を出して危機感だけをあおる手法は、(購買意欲をあおって)冷静な判断をさせない『SF(催眠)商法』のやり方に酷似している」と厳しく批判した。

 上田市長は「憲法解釈の変更はやってはいけない。9条が存在しない(のと同じ)状態になってしまう」と指摘。国民は政府のやり方がおかしいというふうに変わってきている。憲法改正を訴える正面に立ってきた自民党が、解釈改憲という姑息(こそく)な方法に手を染めることはあってはならない」と慎重な議論を求めた。

<東京新聞社説>集団的自衛権 反対の民意に耳傾けよ

 安倍内閣が目指す「集団的自衛権の行使」容認に反対する意見は依然、賛成よりも多い。それを無視して、解釈改憲を強引に進めることがあってはならない。民意には真摯(しんし)に耳を傾けるべきだ。

 集団的自衛権の行使を容認する方向を示した安倍晋三首相の考えに反対48%、賛成39%。共同通信社が十七、十八両日に実施した全国電話世論調査の結果である。首相は全国中継された十五日夕方の記者会見で二枚のパネルを使い、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認める必要性を自ら説明した。反対48%は、首相の発言が新聞やテレビなどで散々報じられた後の数字である。同じ時期に毎日新聞が実施した世論調査でも、集団的自衛権の行使に反対が54%、賛成39%と、ほぼ同様の結果となった。

 世論調査には統計上、誤差がつきものだ。しかし、現時点の世論は、集団的自衛権の行使容認に賛成よりも、反対の方が多数と分析するのが妥当であろう。

 首相の記者会見に先立ち、「集団自衛権 71%容認」と報じたメディアもあるが、ほかの調査との乖離(かいり)は否めない。世論調査は質問の仕方によって結果が左右される。民意を調査結果に可能な限り正確に反映するためには、細心の注意を払い、質問の文言を工夫すべきである。

 自民、公明両党はきょうから、集団的自衛権の行使容認問題などをめぐる与党協議に入る。

 公明党は、政府の憲法解釈を見直し、集団的自衛権を行使できるようにすることに反対を崩していない。首相が会見で例に挙げた、邦人輸送中の米艦船防護も個別的自衛権で対応が可能との立場だ。

 公明党の支持母体である創価学会も「集団的自衛権を限定的にせよ行使する場合、本来、憲法改正手続きを経るべきだ」と異例のコメントを発表。自民党は「支持母体の言うままということはない」(石破茂幹事長)とけん制する。

 一政党の支持母体の意向が絶対というわけではないが、それを無視していい理屈も見当たらない。

 そもそも小渕内閣以降の自民党政権は、公明党の協力がなければ成り立たない。その支持母体を説得できないような政策に、正当性はない。

 集団的自衛権の行使容認は「専守防衛」という、先の大戦の反省に立った戦後日本の安全保障政策を根本から転換する。民意を顧みず、一内閣の意向で強行することがあってはならない。