“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

厚木基地判決は司法責任の放棄

2014年05月24日 12時59分00秒 | 臼蔵の呟き

大飯原発の差し止めを求める司法判断での福井地裁判決との質的な違いを際立たせる判決です。司法の役割、三権分立に対する裁判官の姿勢、責務への自覚のなさはいかんともしがたいレベルです。

アメリカ、アメリカ軍であろうとなかろうと違法なものは違法と判断すべきものです。そもそも、司法とは社会的な常識を基礎として構成されるべきものであり、時代の変化に応じて、司法判断が変化することは当然のことです。最高裁判断も含めて、現行法規にない性格の訴訟に対して、裁判官が判断し、その判例が法律の隙間、弱点を補強する役割を果たしてきたことは歴史的に事実です。権力者は、自らの政治判断、政権にとって有利な判決、判断を求めることは自明のことです。しかし、このような基地被害、騒音被害は国家の安全保障に関する事項であり、司法判断にはなじまないかの判断を回避するかの態度は、司法の役割を自覚しない判断と談じられても仕方がない。

政権が、住民の生活圏、騒音公害を無くすためにあらゆる行動をとることこそが求められているのだと。そのことを行わない政権は、正当性を持った政権とはいえないのだ。

<東京新聞社説>厚木基地判決 米軍に白旗で良いのか

 自衛隊機の夜間飛行を差し止める-。神奈川県の厚木基地の騒音訴訟で、司法が初判断をした。だが、米軍機には“白旗”だった。住民の被害軽減のため、国は米国側と本腰で協議するときだ。

 滑走路を中心とした厚木基地の周辺には、びっしりと住宅街が広がっている。ここに海上自衛隊と米海軍の飛行機が日々、離着陸を繰り返している。

 基地から一キロ離れた住宅街でも、年間約二万三千回も騒音が響く。七〇デシベルの騒音が五秒継続する回数で、最高で一二〇デシベルの爆音だ。電車のガード下でほぼ一〇〇デシベルだから、騒音被害の大きさは理解されよう。睡眠は妨害されるし、会話も電話も、テレビを見るにも影響が出る。読書や子どもの学習にも…。あらゆる生活の妨げだ。健康被害も生むし、精神的にも苦痛を受ける。我慢する限度を超えている。

 だから、一九七〇年代から始まった訴訟では、騒音被害を認め、損害賠償を命じてきた。問題は騒音がいつまでたっても解消されないことだ。今回は民事訴訟と同時に、行政庁の処分に不服を言う行政訴訟で争った。

 横浜地裁はまず米軍機の差し止めは無理だとした。米国に対し、飛行をやめさせる根拠となる法令や仕組みがないためだ。だが、自衛隊機については、防衛相の権限がある。だから「午後十時から翌午前六時まで、航空機を運航させてはならない」などと断じた。

 行政訴訟で飛行差し止めをかち得た意義は大きい。他の基地での騒音訴訟に影響を与えよう。でも、この判決で厚木基地の騒音が軽減されるわけではない。

 関係自治体によると、米空母の艦載機が年間二百日程度、基地に離着陸する。戦闘攻撃機で最大一二〇デシベルの爆音を出す。海自はプロペラの哨戒機が中心で、最大九〇デシベルの騒音という。つまり、海自の飛行を差し止めても、もっとひどい米軍機の爆音はなくならない。もともと海自では騒音対策のため、夜間から早朝の飛行を自主規制している。判決は根本的な解決にならないわけだ。

 米軍機については、まともな審理さえしていないだろう。司法は日米安保条約について判断から逃げ回ってきたからだ。

 日米間の安全保障体制は重要だが、基地周辺に限らず、約二百万人が影響を受ける深刻な騒音問題である。政府は国民の健康と生活のために、真っ先に米国側と交渉すべきテーマである。


大飯原発再稼動差し止め訴訟判決への日経反応

2014年05月24日 10時58分34秒 | 臼蔵の呟き

日経新聞の社説を見ると、安倍、自民党政権、電力会社の思い伝わってくる内容となっています。立場が違えば、同じ判決であっても、このくらい違うのかと思えるような主張になっているので、その点では興味深い社説、主張と言うことができます。

まず、日経新聞は、憲法に掲げられた基本的人権、人格権、生存権には全く触れていません。この点では、彼らの思想には生身の人間、原発周辺の自治体住民は想定されていないことがよく分かります。原発事故で故郷を追われた住民がどのような思いを抱き、悔しさと、悲しさの中で逃げ惑う姿は想像できないのだと考えられます。安倍でさえも福島県民、立地自治体住民に触れた演説をしますが、日経新聞は、そのレベルのことであっても触れることすらしない異常さが際立っています。

また、憲法が規定する基本的な人権、生存権を無視する一方で電力会社の経営、利益、電力の安定供給には触れています。彼らは企業が利益を上げるためにどうしたらよいかを考える組織であり、生活者である国民がそのことでどうなるかを想像することができないでいます。

安倍、自民党政権、規制委員会が事故を前提とした管理、設備の補強をしていることを肯定しています。その点でも、非常に違和感のある社説となっています。原発事故は放射能汚染を撒き散らし、長期的、広範囲に、何百年もの期間にわたり、その汚染による被害を継続させ、あってはならない事故であることとの認識がまたく欠如しています。この点では日経の幹部、論説委員の倫理観は驚くべき認識です。また、福島第一原発事故の教訓などは無視しているとしか、言いようのない認識であることを示しています。利益至上主義、企業利益第一主義がどのような意識、倫理観なのかを示す良い事例と言うことができます。このような認識、姿勢のマスコミは国民多数の支持、信頼を売ることができないでしょう。

 <日経新聞社説>

 関西電力大飯原子力発電所3、4号機について、福井地裁が運転再開の差し止めを命じた。東京電力福島第1原発の事故後、同様の差し止め訴訟が相次いでいるなかで初めての判決だ。

 裁判では、関電が想定する地震の揺れの強さが妥当か、事故時に原子炉を冷やす機能を維持できるのかなどが争点になった。判決は「(関電の対策は)確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに成り立つ脆弱なもの」と断じた。

 疑問の多い判決である。

 とくに想定すべき地震や冷却機能の維持などの科学的判断について、過去の判例から大きく踏み込み、独自の判断を示した点だ。

 判決は関電の想定を下回る揺れでも電源や給水が断たれ、重大事故が生じうるとした。地震国日本では、どんなに大きな地震を想定しても「それを超える地震が来ない根拠はない」とも指摘した。

 これは原発に100%の安全性を求め、絶対安全という根拠がなければ運転は認められないと主張しているのに等しい。

 国の原子力規制委員会が昨年定めた新たな規制基準は、事故が起こりうることを前提に、それを食い止めるため何段階もの対策を義務づけた。「多重防護」と呼ばれ、電源や水が断たれても別系統で補い、重大事故を防ぐとした。

 判決はこれらを十分考慮したのか。大飯原発は規制委が新基準に照らし、安全審査を進めている。その結論を待たずに差し止め判決を下したのには違和感がある。

 関電は判決を不服として控訴した。原発の安全性をめぐる科学的判断に司法はどこまで踏み込むのか、電力の安定供給についてどう考えるのか。上級審ではそれらを考慮した審理を求めたい。

 一方で、判決が住民の安全を最優先したことなど、国や電力会社が受け止めるべき点もある。安全審査が進むなか、住民の避難計画づくりが遅れている。安全な避難は多重防護の重要な柱だ。自治体の計画づくりを国が支援し、電力会社も説明を尽くすべきだ。


豊かさ、基本的人権、人格権

2014年05月24日 06時07分01秒 | 臼蔵の呟き

大飯地裁判決が示した倫理的、法的な影響力は、安倍、自民党政権、電力会社がどのよう弁明、策動しても、打ち消すことができない価値をもたらしました。安倍、自民党政権、原子力規制委員会、電力会社などが意識的に無視しようとしていることを見ても、その判断、判例の影響力の大きさは計り知れない価値を持っています。今後想定される原発再稼動に反対する世論、訴訟は、この福井地裁の判決を無視して、判決を出すことは出来なくなりました。必ず、今後出される判決は、福井地裁判決と比較検証されることになります。

福井地裁の判決は、憲法が示す基本的人権、人格権を論じており、その点で時空を超えた価値を持つものと思います。経済性、効率性などを前面にした安倍、自民党政権、電力会社の主張は倫理観、基本的人権、生存権などの点において次元が違うくらいレベルの相違を際立たせたのだと思います。彼らが恥ずかしくなるくらいの差があります。この判決は、圧倒的多くの国民の感情、意識を正当であるとし、社会的な常識を容認している点でも重要な判決でした。

<信濃毎日新聞:斜面>

豊かさとは何か。そんな問いを投げかける福井地裁の判決だった。大飯原発の再稼働を認めなかった理由の中で独自の「国富論」を掲げた。「原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても」に続き、こう述べる

   ◆
豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ―。「再稼働しないと年間3兆円の国富が流出する」とする経済界への反論である。原発事故による被害への深い認識がうかがえる

   ◆
福島の被災地は土とその恵みを失った。土壌を汚染した放射性セシウムは、キノコなどの菌類が吸収し、樹木も汚染する。長きにわたり汚染の循環が続く。森の除染は手が付かない。キノコや山菜は食卓から消え、田植えが終わっているはずの水田には、外来植物が生い茂っている

   ◆
作家の住井すゑさん(1902~97年)は著書「いのちに始まる」に書いている。日本には金で売買する土地はあるが「土」を失っている。それに外国人記者の指摘で気付いた―と。お金に換算できない価値を捨て、目先の利益のみを追う社会への警鐘だ

   ◆
原発事故は見直しを私たちに迫った。だが現実は経済至上主義に巻き戻しが進みつつある。関電はきのう高裁に控訴した。土の喪失を嘆く住井さんが掛け軸や色紙に好んで書いた言葉をかみしめたい。〈土 もののいのち ここに創(はじ)まる〉

 <琉球新報社説>大飯原発差し止め 命を最重視した判決だ

関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを訴えた訴訟で、福井地裁は関西電力に再稼働を認めない判決を言い渡した。
 安全を軽視し再稼働を優先させた政府と関電の判断を厳しく批判し、原発の安全神話を否定した。原発は「人格権より劣位に置かれるべきだ」と踏み込んだ。生命を最重視する歴史的な判決といえるだろう。

最大の争点は、耐震設計の目安となる地震の揺れ(基準地震動)を超える地震が起きた際、重要施設に影響が出るかどうかだった。
 判決は原発の安全性について司法が独自に判断する姿勢を打ち出し、個人の生命や身体、精神などの人格権を重視する方向性を明確に示した。その上で、基準地震動を超える地震が来ないという関電の主張を、国民の安全を優先せず「確たる根拠のない楽観的な見通し」と断じている。

原発の電力供給の安定性、経済性を主張する関電に対し、「多数の人の生存にかかわる権利と電気代の高い低いという問題を並べることは法的に許されない」と批判した。原発停止で多額の貿易赤字が増え国富喪失につながるという主張は、「豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富」だとして退けている。

福島原発事故を「わが国最大の環境汚染」と認定し、原発はCO2(二酸化炭素)排出削減につながるとする関電の主張を「甚だしく筋違い」と一蹴した。

説得力のある論理構成で関電の主張を全面的に否定した。重く受け止めるべき関電は判決を欠席した。不誠実ではないか。今回の判決は「想定を超える地震が来ないとは限らない」と全国の原発に共通する危険性を指摘している。係争中の裁判に影響を与えるだろう。現在、電力9社の11原発18基が原子力規制委員会の審査中だ。判決に耳を傾け、原発にしがみつく経営と決別すべきだ。
 今回の判決は、原発再稼働と輸出に前のめりな安倍政権に対する警告である。安倍晋三首相は真摯(しんし)に向き合い、原子力政策を見直すべきだ。原子力規制委員会の第三者機関としての存在意義も問われている。
 原発事故から3年が過ぎても、約13万人が避難生活を余儀なくされている。判決で指針とされた人格権が侵害され続けていることを忘れてはならない。原発のない社会の実現こそ福島の教訓だ。


タイ軍事クーデター

2014年05月23日 10時59分37秒 | 臼蔵の呟き

政治の混乱が続いた結果、タイは軍事クーデターが発生しました。戒厳令は国王と陸軍司令官に与えられていた権限です。非常大権を使って、治安の維持を布告し、あらゆる司法制度、政治制度を機能停止状態に置くことは民主主義の死滅を意味しています。このようなことを繰り返していれば、国際的な信用を得ることは出来ません。しかも、政治経済の国境が低くなり、ボーダレス化している時代には、致命的な欠陥と言えます。

タクシン派は、タクシン首相の復権が国民からは、批判の対象となりました。国民から見れば、当然のことです。親族の政治的な復権と、国の政治とを天秤にかけるような政権運営が破綻したのだと思います。また、彼らに反対する野党勢力も、タイ保守層、都市部の利益擁護を掲げている点で農村部の国民からの批判を受けているのでしょう。政治は、より多くの国民の利益、基本的人権、安心安全を確保実現することに最大課題があるのだと思います。

議会制民主主義が機能するためにも、議会が多くの国民の声、要求を取り上げて議論し、実現できるようにすることで政治の信用を取り戻して欲しいものです。軍部の強権的な支配により、治安の確保する状況を早急に改善して欲しいものです。

<報道記事>

【バンコクタイ全土に戒厳令を布告したタイのプラユット陸軍司令官(60)は22日午後5時(日本時間同7時)過ぎ、テレビ演説で「軍と警察が政権を掌握した」と発表し、クーデターを宣言した。軍は憲法を停止し、治安維持を理由に夜間外出禁止令を発令した。2011年の総選挙から続いたタクシン元首相派政権は崩壊し、今後はプラユット司令官をトップとする「国家平和秩序維持評議会」が国家運営にあたる。クーデターはタクシン氏が失脚した06年9月以来。プラユット司令官は軍事政権下で政治混乱の収拾を狙うが、タクシン派グループからの反発や国際社会からの批判は必至だ。

 クーデターに伴い軍はタクシン派と反タクシン派の協議に参加していたチャイカセム法相や最大野党・民主党のアピシット元首相、反政府デモ隊を率いるステープ元副首相ら両派を拘束し、軍施設に待機させた。

 クーデターの実行はテレビ演説直前の午後4時半で、プラユット司令官は「(タクシン派、反タクシン派の)デモが激化し、国民の生命や財産が脅かされている。我々は平和と安全を取り戻す必要がある」とクーデターの理由を説明。また「国民は普段通り生活し、パニックを起こさないでほしい。外交方針にも影響はない」と、国民や国際社会に冷静な対応を求めた。

 プラユット司令官は20日、戒厳令を布告し、治安権限を掌握。総選挙実施による政権立て直しを図るタクシン派と、選挙を経ない暫定政権樹立を求める反タクシン派の双方に対し「対話による解決」を促した。21日から両派の主要人物を集め軍施設で協議を続けていたが、意見の隔たりは大きく、議論は紛糾した。

 軍関係者らによると、司令官の意向は、反タクシン派が求める暫定政権樹立による混乱収拾を図る方向に傾いていたという。だが、22日の会合で、政権側が内閣退陣を拒否。司令官はこれ以上対話をしても、結論は得られないと判断したとみられる。

 プラユット軍政は今後、政治改革を主導するなどして、国内対立の解消を図るとみられる。しかし、農村住民や貧困層を中心としたタクシン派は、軍のことをエリート層が支える反タクシン派の「中核」と敵視し、今回もクーデターを強く警戒していた。地元メディアによると、クーデター後、バンコク郊外でデモ集会をするタクシン派グループと軍部隊との間で銃撃戦が発生、軍がデモ参加者数人を拘束した。

タイでは昨年11月以降、政権与党が汚職罪で国外逃亡中のタクシン氏の帰国につながる恩赦法案の強行成立を図ったことをきっかけに、反政府デモが激化した。当時のインラック首相は12月、解散総選挙に打って出たが、今年2月の総選挙は反タクシン派に妨害され、無効となった。新政府は発足できず、政治空白が続くなか、インラック氏は今月7日、憲法裁判所の判決により失職。副首相が職務を代行していた。


核のごみ 最終処分の議論

2014年05月23日 09時15分04秒 | 臼蔵の呟き

原子力発電がコスト的に安い電力と言うことが、いかにまやかしであるかがわかる論議です。このような原子力発電所を稼動させることなく、廃炉にして、使用済み核燃料を一切出さないようにすることこそが真の対策であることを、この三者の主張を見ても非常によく分かります。この点をごまかした、稼動を前提とした議論、検討はどのようなものであったとしても論理的にはごまかしになり、最終処分場自治体、住民の理解は得られないことは当然のことです。

トイレがないマンション、住居がないように、使用済み核燃料の保管場所がなくて、再稼動、使用済み核燃料を出し続けるような政策、電力会社の無責任さにはあきれるほかありません。

<毎日新聞:論点>核のごみ 最終処分への提言

 原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分地選びが難航している。政府は公募方式を改め、自ら「核のごみ」の行き先探しに乗り出した。「トイレなきマンション」とされる原発のアキレスけんは解消できるのか。

 ◇市民の信頼得る努力必要−−鈴木達治郎・前原子力委員長代理

 今後原発を再稼働するか、ゼロにするかといった議論にかかわらず、私たちは「核のごみ」問題からは逃げられない。にもかかわらず、高レベル放射性廃棄物の最終処分地は10年以上かかっても決まらない。原因は、政府が地層処分についての説明責任を怠っていたことにある。早急に候補地を絞り込むため、国はもっと前面に立って地層処分の科学合理性を説明すべきだ。

 地層処分は、高レベル廃棄物をできるだけ私たちの生活環境から遠ざけ、将来的には人の管理が不要になるように地中深くの地層に委ねるのが狙いだ。よく、「危険な放射性廃棄物を地中に放置するのは無責任だ」「10万年も管理できるのか」との疑問が寄せられる。しかし、放射性物質はもともと地下にあっただけに、放射性廃棄物を地中に埋めるのは合理的だ。地上に置いたままにすることと、地中深くに埋めることのどちらが危険かをもっと議論してほしい。

 一方、こうした科学的説明と同時に、地層処分方式への社会的信用がなければ候補地選定作業は再び迷走するだろう。政府は昨年末、国自体が複数の候補地を絞り込む方針を示したが、信用を得るためには、こうした選定プロセスを監視する第三者機関の役割が必要不可欠だ。

 しかし、これまでのように政府の方針に追随するだけの形式的な第三者機関であってはならない。独立した意思決定ができる専門性を有しているだけでなく、財源や権限を法的に担保する必要もある。候補地選びに成功したスウェーデンでは、政府に助言・勧告する第三者機関「原子力廃棄物評議会」(KASAM)がある。一見遠回りかもしれないが、「真の第三者機関」の創設こそ、原子力政策全体の信頼回復につながる近道だ。

 一方、「捨て場所」だけでなく「捨て方」も見直す必要がある。政府はすべての使用済み核燃料を再処理し、残った高レベル廃棄物をガラスに固めて地層処分する方針だが、こうした「全量再処理」ではなく、再処理せずにそのまま埋める「直接処分」の検討も不可避だ。

 国内外に約44トンの余剰プルトニウムがあるが、青森県の使用済み核燃料再処理工場が稼働すればさらに増えるだろう。政府は3月の核安全保障サミットで、核兵器に転用可能な分離プルトニウム在庫量の「最小化」を国際公約したが、「全量再処理」を掲げる限り、公約が看板倒れになる恐れもある。

 再処理に適さない使用済み核燃料も今後増える可能性がある。政府はプルトニウム消費のため、通常の原発でウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)燃料を燃やす方針だが、使用済みMOX燃料は発熱量が高く、再処理の見通しは立っていない。「直接処分」も検討し、処分計画の柔軟性を確保すべきだ。

 私が原子力委員長代理を務めて得た最大の教訓は、政策にたとえ合理性があったとしても、「人間性」を欠いたままでは前に進まないということだ。特に原子力政策では、被災した福島県民の立場を忘れていないか、常に振り返ってほしい。これまでと同じような「推進ありき」の原子力政策では、候補地選定はおぼつかない。市民との真摯(しんし)な対話を積み重ねた「血の通った政策決定」でなければ、国民の信頼を得られないことを政府は肝に銘じるべきだ。

 ◇「暫定保管」取り入れ再考を−−今田高俊・東京工業大名誉教授

 そもそも、将来原発がどの程度の割合を占めるのかという国のエネルギー政策全体の方向性も示さずに、「ごみが出たから受け入れてくれ」と言っても国民の理解は得られない。従来の高レベル放射性廃棄物の処分方法について、「総量管理」と「暫定保管」という二つの考え方で抜本的に見直すことが必要だ。

 日本が火山・地震大国であることを考えると、今の科学技術のレベルでは深い地層に埋めてしまう処分はリスクが大きすぎる。2010年に原子力委員会の審議依頼を受けた日本学術会議の検討委員長として2年間、この問題を検討してきた。しかし、委員会のヒアリングで1万年先まで大丈夫だと保証できる専門家はいなかった。

 暫定保管という考え方は、これを受けて新たに作ったものだ。今後数十年から数百年間のモラトリアム(猶予)期間を設け、その間に科学的な研究や国民の合意を得られるような努力を進める。その間は、廃棄物は回収可能な状態で安全に保管する。いろいろな課題が残っている今、地層処分を決めてしまうことなく将来世代に意思決定の自由度を確保する方法だ。

 保管場所は国内に複数必要になる。電力会社が努力して立地すべきだ。政府は4月に決定したエネルギー基本計画で「回収可能性」という言葉を盛り込んだが、地層処分後にトラブルが発生すれば、廃棄物を回収するのは困難。技術的、制度的な担保がなければ無責任な言葉だ。

 一方、もう一つのキーワードである総量管理は、できるだけ廃棄物が出ないよう技術的な工夫をしつつ、廃棄物の発生量の上限を設定することだ。廃棄物は放っておけば無制限に増える。それでは国民は絶対に信頼しない。危険な廃棄物を処分せず保管し続けるのだから当然すべきことであり、暫定保管・回収可能性とセットで考えなければならないが、総量管理には政府はなぜか言及していない。

 難航する処分場の立地選定について、政府は「科学的有望地」を選んで国が自治体に申し入れる新たな方法を打ち出したが、こうした民主主義に反する「上意下達」では、だめだ。町長が勝手に誘致に名乗り出た揚げ句に辞職し、出直し町長選で敗れた07年の高知県東洋町と同じ。住民が議論して、下から積み上げるものでなければ住民は信用しない。

 「信頼」というものが、何より重要だということをよく認識すべきだ。現状では処分場でなく、処分のための研究施設でさえ強い反対がある。最初のウソで信頼を崩してしまうと、すべてが疑心暗鬼で見られ不信が増幅し、もう信頼を取り戻せない。合意形成には中立公平な第三者機関も必要だ。利害関係や個々の価値観を排除し、科学的根拠に基づいて判断できる専門家集団なら圧力に屈さず誠実な議論ができる。委員会もその方針で運営した。10月をめどに追加提言もまとめる予定だ。

 受益者負担の問題もこれを機に議論すべきだ。例えば東京に処分場を造るにはどんな条件が必要かを真剣に考えてみる。受益者側の真剣な取り組みが、地方にとっては信頼のもとになる。交付金などカネで解決する発想でなく、候補地に重要な政府機関を移して技術者や官僚が移住するなど時間をかけ対話を重ねてゆくことが必要だ。

 ◇埋めるよりよい方法ない−−杤山修・経済産業省地層処分技術ワーキンググループ委員長

 地層処分の基本的な考え方は「隔離」と「閉じ込め」。生活環境から遠ざけ、たとえ漏れたとしても時間がかかってその間に放射性物質が崩壊してしまうよう閉じ込めておくということだ。1980年代にこの概念が固まり、99年には日本でもできると結論づけられた。火山や地震があるからだめと思いがちだが、地中の揺れは安全性にあまり影響しない。火山や活断層、土地の隆起が大きな場所などを避ければ良く、処分場の適地は国内に広く存在する。(官僚の傲慢さが良く出た表現)今月、経済産業省の地層処分技術ワーキンググループ(WG)で、それを再確認した。

 暫定保管のような考え方が出てくるのは、人の手を離れ制御できなくなるとの不安が強いからだろう。しかし、隔離せずに生活環境の中に置いておく方がはるかに危険だ。人は永久に管理できない。処分という言葉は放り出すような印象を与えるが、人が管理の手を離しても大丈夫な状態にするものだ。管理を考えれば、おのずと地層処分に似た方法に行き着くだろう。

 高レベル放射性廃棄物を閉じ込めるガラス固化体が当初に持つ放射能のうち、99%近くはセシウムとストロンチウム。これらは水に非常に溶けやすいが、約30年で半減し、1000年でほぼなくなる。この期間なら地上に置いても何とか見張れるだろうが、その間の災害や事故、テロなどを考えると、地下水に接触しないように厚い金属容器に入れて埋める方が安全だ。

 残り1%の放射能は、数万年後に1万分の1にまで減るが、それでもウラン鉱石数千トン分が固化体1本の中にある計算だ。ネプツニウムなど残っている放射性物質は長寿命で、ほぼ永久に残る。10万年で安全になるわけではなく、永遠の隔離が必要だ。だが水に溶けにくく、深い地下に埋めれば地表近くに漏れ出てくることはほぼあり得ない。

 政府はこうした長寿命物質を減らす「減容化」の研究を高速増殖原型炉もんじゅ(福井県)で進める方針だ。夢のある研究だが、材料やコストなど課題は多く、完全に消滅させることはできないため隔離の重要性は変わらない。放射能の大部分を占め、発熱に大きく寄与するセシウムとストロンチウムは関係なく、処分場が小さくなることはない。

 再処理は使用済み核燃料の中に残ったウランやプルトニウムに取り出す価値があるから行うのであり、処分のためではない。使う価値がないなら再処理せずにそのまま埋める「直接処分」の方がいい。核燃料を溶かして一度危険な状態にする上、捨てにくく技術的課題が多い超ウラン元素(TRU)廃棄物が出るなど、再処理は不利なものだ。

 既に大量の放射性物質がある今、総量管理を考えても、処分の必要性や方法は変わらない。廃棄物をアキレスけん のように扱って原子力推進、反対の議論をしていると、当の廃棄物問題は放置されてしまう。立地が難航してきたのは公募制では誘致する自治体の首長が科学的なことも含めてすべて説明しなければならないからであり、モラトリアム(猶予)のような言葉で問題を先送りしてはならない。

 地層処分より良い画期的な方法は簡単に見つからない。処分は100年かかる事業。すべての課題を解決してから始めるのでなく、技術開発をしながら一歩ずつ前へ進むものだ。

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 ◇高レベル放射性廃棄物と地層処分

 原発の使用済み核燃料の再処理で、ウランとプルトニウムを分離する際に残る廃液が高レベル放射性廃棄物。ガラスで固めた直後は表面温度200度以上、放射線量は浴びると20秒で死ぬ毎時1500シーベルトで、天然ウランと同程度の線量に下がるまで数万年かかる。政府はこれらを地下300メートルより深い地層に埋める方針だ。原子力発電環境整備機構が2002年以降、処分場受け入れ自治体を公募したが、見つからなかった。世界ではフィンランド、スウェーデンが候補地を決めたものの、地層処分を始めた国はない。経済産業省の部会は今月、「長期安定した場所を国内で選定できる見通しがついた」と結論付けたが、具体的な選定プロセスは決まっていない。

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 ■人物略歴

 ◇すずき・たつじろう

 1951年大阪市生まれ。東京大工学部卒。2010年1月〜今年3月、原子力委員長代理。4月から長崎大核兵器廃絶研究センター副センター長・教授。