春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

鎌倉・瑞泉寺の春

2005年02月05日 | 日記
天気がよかったので午後から瑞泉寺まで散歩に出かけた。途中、荏柄天神社に立ち寄り、満開の梅や数百年の年輪を
刻んだ雄大な楠や銀杏の古木をながめた。

鎌倉の春は水仙に始まるといわれている。瑞泉寺の水仙はどうかなと思いつつ石段をのぼり、山門をくぐって境内に入ると、
やはり水仙が目に入る。しかし、花の数が少ない。むしろ黄金色の花を付け、ひっそりと地面から顔をのぞかせている
福寿草の方が目に留まる。水仙は盛りを過ぎ、梅の季節になっていた。

瑞泉寺は臨済宗円覚寺派の寺で夢窓疎石が開山。関東十刹(禅興寺、瑞泉寺、東勝寺、万寿寺、大慶寺、興聖寺、東漸寺、
万福寺、法泉寺、長楽寺)の第2の寺で、元禄2年には徳川光圀がここに閑居し、大日本史を編纂、また幕末には吉田松陰
が住持の叔父を訪ねて4回も訪問している。

いつ見ても面白いのは鐘楼の脇にある大宅壮一の碑文だ。そこには「男の顔は履歴書である」と書かれている。
「一億総白痴化」「駅弁大学」「恐妻」など様々な造語を生み出したマスコミ人だった。没後30数年、いまだ彼を超える
マスコミ人はいない。

帰路、西御門の「0467」という新しい店でコーヒーとサンドイッチ。その後、近代美術館に立ち寄り「佐藤哲三展」を観る。

立春とはいえ鎌倉の春はまだ浅い。