放浪うどん人 ☆これから うどんに 会いに 行きます。☆

うどん食べ歩きブログ
全国各地のうどんを紹介。
更新日は毎週日曜日です。
※気まぐれに更新する場合あり

富山にて ー 長い道と少年時代 ー

2016年05月05日 | ロケ地巡り

ー プロローグ ー

ここに2冊の本があります。

1冊は芥川賞作家 柏原兵三氏の「長い道」。

もう1冊は藤子不二雄A、この記事では安孫子素雄氏と言わせて頂きます。

その安孫子素雄氏の漫画「少年時代」です。

私はこの二つの作品が好きで、何度も読み返しています。

柏原兵三氏の「長い道」は、第二次世界大戦の最中、

東京から富山県下新川郡入善町に疎開してきたひとりの少年が、

子供社会の独裁的権力により、精神的にも、肉体的にも苦痛を強いられた悲惨な時期を、

作者自身の実体験に基いて描かれた作品です。

「長い道」という作品名は、疎開先で作者が住んでいた場所から学校まで続く2キロの長い一本道を表しています。

柏原氏は、学校へ向かうその長い道で耐え難い屈辱を受けていたのです。

時を同じくして安孫子素雄氏も、富山県高岡市から下新川郡朝日町へ疎開されていました。

柏原氏と安孫子氏は偶然にも近い場所で疎開されていたのですが、当時のお二人に接点はなく、

お互いを知らないまま人生を歩んできたのです。

安孫子氏が、初めて読んだ柏原氏の作品は「ベルリン漂泊」です。

その「ベルリン漂泊」を読んで柏原氏の魅力に取り憑かれたそうです。

そして「長い道」に出会います。

「長い道」を読んだ安孫子氏は、柏原氏と同じように疎開をし、同じような体験をした事から、

「長い道」に運命的な出会いを感じたそうです。

また、子供社会における権力闘争なども見事に描かれている事にも感銘し、この「長い道」という作品を、

漫画化することで、多くの人に感動してもらいたいと思われたそうです。

ただ、すぐには(漫画化への)行動に移せないまま時が経ち、その間に柏原氏は38歳の若さでこの世を去りました。

結局、安孫子氏は、柏原氏と生涯一度も会うことがなかったのです。

柏原氏が亡くなった後、安孫子氏は漫画化する事が使命だと感じ、柏原氏の奥様に漫画化の申し出をします。

柏原氏の奥様は快く承諾されたそうです。

そして、安孫子氏自身の実体験を織り交ぜた「少年時代」という作品が生まれました。

「少年時代」は1973年の夏から一年間、「週刊少年マガジン」で連載されました。

コミック本としては全5巻が出版され、上の画像の「愛蔵版 少年時代」は映画が公開される直前に販売されました。

「少年時代」は1990年 篠田正浩監督がメガホンを持ち映画化されています。

井上陽水氏の「少年時代」がこの作品の主題曲でした。

映画公開当時は大ヒットにはならなかったものの、その後、日本アカデミー賞作品賞に輝いたり、

その他にも数々の賞を獲得しています。

実際、私も幾度となく観賞していますが、本当に素晴らしい作品です。

柏原兵三氏の「長い道」、安孫子素雄氏の「少年時代」、篠田正浩監督の「少年時代」、井上陽水氏の「少年時代」、

どれも素晴らしい作品ですので、読者の皆様にも是非、読んで、観て、聴いてほしいと思います。

プロローグはここまでにして、これから私の旅の話をさせて頂きます。

今回の旅は、漫画「少年時代」と、「長い道」の原風景を探しに行く旅です。


 

富山県の魚津で宿泊した私は、朝、目覚めた時、何気に窓の方を見ると、

窓の向こうに立山連峰が・・・。

手前の大きな建物が目障りだけど、立山連峰を見ることが出来て感動しました。

私は6時40分発の電車に乗るため、朝食を取らずにホテルを後にしました。

あいの風とやま鉄道線 魚津駅では、朝が早いせいか人がまばらでした。

ひんやりとした空気の冷たさが、なんとなく心地よかったです。

6時40分、電車は魚津をはなれ泊駅を目指します。

漫画「少年時代」を読んだ時から、一度は訪ねてみたいと思っていた場所へついに行ける・・・。

私の胸の鼓動が高まります・・・。

7時13分、泊駅に到着。

ようやくこの駅にたどり着く事が出来た・・・。

37年前、漫画「少年時代」を読んでから、ずーっと思い憧れていた場所へ・・・。

しばらくの間、駅のホームに立ち、この駅の空気と音を感じていました。

風の流れる音、鳥の鳴声、人のざわめき・・・心地よいBGMです。

 

駅舎から出ると、漫画「少年時代」に描かれていた風景にさっそく遭遇。

漫画の世界と現実が、融合した瞬間でした。

もちろんの事ですが、安孫子氏が「少年時代」を漫画化するに当たって、現地取材した頃からは、

40年近く経っているわけですから、多少なりとも風景は変化しています。

 

こちらの駅からはコミュニティーバスを利用して「朝日町役場やまざき紅悠館」を目指します。

空を見上げると、雲が多くて少しどんより・・・雨が降らなければ良いが・・・。

 

今回ばかりは雨が降らないでほしい・・・。

雨が降ると、山が見えなくなるからです。

「少年時代」の風景を楽しむには、山は不可欠だから・・・。

 

しばらくしてバスが来ました。

 

小さなマイクロバスです。

乗客は私ひとり・・・。

運転手さんから「どちらまで?」と訊かれ、

私は「やまざき紅悠館までお願いします」と応えました。

途中、大きな病院の停留所で止まりましたが乗客はなし。

その後は、何処にも止まらずに目的地へ到着しました。

ちなみに、こちらのコミュニティーバスは、路線上であれば停留場で無くても乗降車できます。

「朝日町役場やまざき紅悠館」に到着しました。

人影がまったくありません。

目の前に体育館のような建物があったので行ってみました。

人の気配は全くありませんが、入口の扉は施錠されておらず、開扉出来ました。

中に入ると、奥にもうひとつ扉がありましたが、そこは施錠されていました。

結局、エントランス部分だけを常時開放しているようです。

 

「やまざき紅悠館」となっているこの場所ですが、元々は小学校でした。

校名は山崎小学校です。

エントランスには小学校全景の写真が飾られていました。

 

山崎小学校は、安孫子素雄氏が疎開当時に通っていた学校で、

漫画「少年時代」でも度々描かれています。

漫画では「山崎小学校」ではなく、「泉山國民学校」となっています。

校門は無くなっていましたが、表札はエントランスに展示されていました。

背景はガラリと変わりましたが、漫画で描かれていた二宮金次郎像は健在でした。

 

小学校の裏には小高い山があり、山頂には綺麗な泉があると漫画に書かれていたので、

裏に回ってみました。

確かに山道はありますが、「入山禁止」の立札が掲げられていました。

 

おまけに↓↓このような立札まで・・・熊が出るらしい・・・。(^_^;)

 

山頂の泉を見たかったのですが、断念することにしました。

しばらく紅悠館をウロウロとしましたが、誰もおらず、小学校だった頃の話も聞けずでした。

 

紅悠館の案内図には「マンガ少年時代の原風景」と印がされていました。

さあ、これから漫画「少年時代」の“長い道“を歩こう。

 

私にはもう漫画の世界も現実の世界も、さほど大差がないように思えて来ました。

漫画の世界で、一喜一憂していた少年たちが、目の前のこの道を確かに歩いていた・・・。

確かに彼等がこの場所に存在していた・・・私にはそう思えるのです。

 

紅悠館を離れてすぐに吉祥院というお寺があります。

漫画では泉福寺のモデルになったと思われます。

階段を上がってすぐのところに、4mほどの高さがある板塔婆が印象的でした。

 

吉祥院から100mほど歩いたところに神社があります。

漫画では「泉山神社」とされていましたが、実際の名は「山崎神社」です。

漫画の中で、少年たちの溜り場となっていました。

この神社の境内に入ると、漫画の中の少年達が現れそうな気がして、

私の胸はなぜかドキドキしていました。

この神社の境内でのエピソードが、漫画では数多く描かれています。

 

漫画で描かれていたことを思い浮かべながら道を歩きます。

そういえば、バスを降りてから誰とも会っていません。

ここまで静かだと、人見知りの私でも人恋しくなります・・・(^_^;)

 

道はとても静かです、この世の中で自分ひとりになったような気がします。

時折、民家の窓に目をやるのですが、それですら人の気配がしません・・・。

 

周りに目をやると、雪化粧の風景に美しさと寂しさを感じます・・・。

この感じ、漫画を読んでいる時も心の中に存在していました。

 

風景が、冬の寒さにじっと耐えているような気がします。

こんな状況の中でいじめに遭ったら、心は氷りつき、割れてしまうだろうな・・・。

漫画の中の主人公の事を思い、すこし悲しくなりました。

主人公が悲しいとき、いつも勇気を与えていた山々が見えます。

でも、その勇気も、いじめの前では風前の灯でした。

主人公はいつも悲しみの中にいたのです。

 

いじめは、どんなに美しい風景でも、一瞬にして暗闇に変えてしまうのです。

それは、この世で一番悲しい事だと思うのです。

 

美しいものを美しいとは思えない・・・。

面白いことを面白いとは思えない・・・。

いじめられている子は感情を破壊されます。

漫画の中の主人公は、そういう悲しみに、たったひとりで耐え偲んでいました。

現実社会でも、そういう状況の中にいる子供達や大人達がいるのではないでしょうか?

大勢に無視されて、耐え難い屈辱に耐え、暴力で体を傷つけられ、それでも道を歩く人。

前を向いて歩けない、上を向いて歩けない、涙を落としながら下を向いて歩いて行く人・・・。

それでも道を歩いて行く人・・・その一步の重たさを、人生の重たさを、命の重たさを・・・、

それらすべてを背負いながら歩く人・・・本当は強い人なんだ。

冷たい風が体を通り過ぎていきました。

道は、前を向いて歩かなくてもいい、上を向いて歩かなくてもいい・・・。

ただ、歩いているだけでいい・・・死なないでほしい・・・。

多くの困難を乗り越えて来た強い人だから、誇りを持って生きてほしい・・・。

漫画の中の主人公が、いつしか私の心の中に入り込んでしまったようだ・・・。

山は薄っすらとした雪化粧、春がもうそこまで来て入る。

まだまだ道は続くけれど、季節は冬から春へ変わる・・・。

漫画「少年時代」の長い道、一歩々々を大切に歩いて来ました。

それでも、まだまだ感じ足りない事があります。

だから、いつかまた訪れたい、この長い道に・・・。

 

ー エピローグ ー

私は入善町の上原小学校跡地を訪れました。

「長い道」の著者、柏原兵三氏の母校があった場所です。

この場所には柏原兵三氏の文学碑があります。



そして、本当の「長い道」がここにあります。

柏原氏が屈辱に耐えながら歩いた長い道です。

同級生に無視されたり、侮辱されたり、暴力を振るわれたり・・・。

つらい思いをして歩いた長い道です。

こんな悲しい道が世界からなくなる事を私は祈りたい・・・。

悲しい道が楽しい道に変わる事を祈りたい・・・。 

 



6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
少年時代と長い道 (御坊哲)
2016-05-20 09:07:54
私は漫画の「少年時代」を読んで感動して、単行本が出たときはすかさずそれを買い求めて、自分も読み子供たちにも勧めました。最初は藤子不二雄A氏のオリジナルだと思っていたのですが、柏原の「長い道」が原作であることを知りそれも読みました。原作も素晴らしい作品だと思いました。
私もそのうち入善町を訪れたいと思っています。写真によるご紹介ありがとうございました。
返信する
Re:少年時代と長い道 (tati)
2016-05-20 17:03:16
御坊哲さんへ
はじめまして、管理人のtatiです。
コメントありがとうございます。

少年時代と長い道、とても素晴らしい作品ですよね。
何度も何度も読み返しています。

富山県下新川郡山崎町と入善町へ、是非訪ねてみて下さい。
さらなる感動がそこに待っていますので。(^ ^)
返信する
昨晩の『まんが道』再放送を承けて (チェンターテイナー元締)
2022-08-11 14:04:29
「安孫子素雄版長い道」で検索したらヒットした次第です!

8号線はよく通るので、機会が在れば「紅悠館」等、安孫子版「長い道」を体験したいと思います!
返信する
Unknown (管理人tati)
2022-08-11 22:01:19
チェンターティナー元締さん
はじめまして。
昨夜、ドラマ「まんが道」が再放送されていたんですね。
知りませんでした。
「まんが道」もいい話ですよねー。

是非是非、「少年時代」と「長い道」のロケ地を訪ねて下さい。
きっと得るものがあると思います。(^^)
返信する
懐かしい (プリン)
2024-08-18 20:27:13
二重人格のようなタケシが印象的だった少年時代
再び漫画が読みたくて検索してたどり着きました

小学生のころ読んだので
場所とかは気にしていなかったのですが
舞台は富山だったんですね

私が読んだのは30年前で
ちょうど映画上映前でしたが
こちらのブログでオリジナルは1973年だったと
初めて知りました

子供ながらに
正しいはずの優等生のケンスケが不気味で
間違っているはずのタケシがどこか憎めない
そんなモヤモヤと消化できない思いを
少年時代の自分が抱いていたのを
画像と文章で思い出しました
返信する
Unknown (管理人tati)
2024-08-19 15:19:56
プリン さんへ
コメントありがとうございます。
この作品が世に出て、もう半世紀ほど経っていますね。
いろいろと感慨深いです。
個性的なキャラに揉まれながら、学生時代を過ごす主人公。
友情を描いた作品ですが、結局今でも、私は、この作品における友情とは何なのか?その答えを見出だせていません。
答えがないのかもしれません。
それほど、奥の深い作品だと思います。
返信する

コメントを投稿