広島平和記念公園を訪ねました。
30年振りの平和記念公園です・・・。
30年前、私はこの場所に立っていました・・・。
ある方の紹介で、MGユースホステルのイベントに参加させていただきました。
MGユースホステルは広島県内初の民営ユースホステルで、
ペアレント(施設管理者)の森岡まさ子さん(愛称:森岡ママ)は、
平和を愛し、人とのつながりを大切にされていた人格者で、著名な方なのです。
残念ながら2008年5月13日にお亡くなりになられました(享年98歳)。
私が森岡ママとお会い出来たのは、後にも先にもこの時が最後です・・・。
この時のイベントは「第20回MGっ子記念ラリー」というものでした。
全国各地から、MGユースホステルを愛して止まない方達が集結されました。
そんな集まりの中で、森岡ママが語られた原爆の話・・・今でも忘れられません。
森岡ママの夫、故森岡敏之さんは広島で被爆されています。
当時、被爆した敏之さんは、命からがら森岡ママの元へ帰って来たのですが、その時の状態は、
頭は割れて血まみれ、火傷をした体にはびっしりとガラスが突き刺さっていたそうです。
病院へ行っても、医者は広島市街地へ駆けつけていて不在。
クスリもない、周囲の人達からは冷たい目で見られる・・・。
そんな状況の中、ご夫妻は懸命に頑張ってこられたそうです・・・。
1959年に「自然の森MG(モダンガイド)ユースホステル」をご夫妻で開設。
「平和の大切さを若者に伝えたい」敏之さんのそんな願いから開設したそうです。
当時は四畳半一間だけの、おそらく世界最小のユースホステルだったとか。
「ホステラー(利用者)と川の字になって寝た。」と森岡ママは話してられました。
小さな四畳半一間の部屋は、人の心に多くの感動を与え、そこから多くのMGっ子が誕生したのです。
”人を集めるのは、人の心なんだ”と教えられました・・・。
1967年、原爆後遺症で苦しまれていた敏之さんが、
「このユースを守って欲しい」という言葉を遺しお亡くなりになられました。
夫の遺した言葉を胸に刻み、森岡ママは多くのMGっ子に支えられて、
MGユースを守って来られたのです。
森岡夫妻から多くの事を学ばれたMGっ子は、皆さん本当に親切でした。
MGっ子記念ラリーに初めて参加した私の事を、多くのMGっ子が話しかけて下さり、
寂しい思いをせずに、楽しく過ごせた事を、今も忘れる事が出来ません。
この時のイベントでは、MGユースの在る広島県府中市上下町から、
平和祈念公園までのおよそ100キロの道のりを、MGっ子の有志達が歩いて平和巡礼をされました。
実はこのおよそ100キロの道のり、森岡敏之さんが被爆された直後に、
歩いて帰宅された道のりなのです。
満身創痍の体で、森岡ママの元へ、ー生懸命歩いて帰られた道のりなのです・・・。
私達はMGユースから平和巡礼のゴールである平和記念公園へ移動し、
巡礼されているMGっ子を、森岡ママと一緒に待ちました。
やがて彼らの姿が見え、足を引きずりながら森岡ママの元へ真っ直ぐに歩み、
森岡ママを抱きしめて、涙を流されていたMGっ子の姿が、30年経った今でも思い出せます・・・。
30年前のあの時以降、私は広島から随分遠ざかりました・・・。
原爆投下という身近な歴史を、あの時、肌で感じたからです。
私はどうしても観光気分や、軽い気持ちで広島を訪ねる事が出来ませんでした。
でも・・・今回訪ねて良かった・・・今はそう思っています。
30年前の足跡を辿れて良かったと思っています・・・。
MGユースホステルは現在、森岡ママの意志を継いだ方がペアレントとなって、
今も多くのMGっ子に愛されています。
もちろん、現在は四畳半一間だけではなく、立派な施設になっています。
いつかまた、私も訪ねようと思います・・・。
〒729-3423 広島県府中市上下町矢野470-1
Tel & Fax 0847-62-3244
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