2年に一度の同窓会になっている指導員研修会。
いつもの中野ZEROの大ホールで理論研修。
資格取得当時よりも、地に足のついた指導方法についての話に少しはなっていると思う。
あまりに遅きに失しているんだけど。
指導のうまさに、実演で示せる事は必要条件だけど、十分条件じゃないんだよね。。。
また、教程の理論の不完全さや混乱(ある意味では論理破綻)は、純粋に物理的側面と実技者の感覚のフィードバック面(+運動生理学というか.....)がごちゃ混ぜになりすぎているところにある。ずっと。
すべてのスポーツにありがちな事なんだけど。
実技者の感覚としては、伸ばす運動をしているが、客観的にみると屈曲させている(屈曲している)ように見える。物理的には、外力(遠心力、雪面抵抗、落下エネルギーその他)に適切な方向と量で対応する力を加えればよいだけだが、連続する運動の中では運動生理学的に伸ばしていく動作となる。しかし、一定量以上の外力が加わると結果としてわずかに曲がる。。。とかね。
ここに個人の特性(筋力、柔軟性 等々)を加え、さらにその時々の環境の変化を加えると、その人が運動するにあたってのベストの感覚は.....結局「指導」はそれを本人が見つける手助けにしかならない.....
年に1回か2回、こういう事を考えたり、旧交をあたためたりするにはとても良い機会なので意味はある。
いつもの中野ZEROの大ホールで理論研修。
資格取得当時よりも、地に足のついた指導方法についての話に少しはなっていると思う。
あまりに遅きに失しているんだけど。
指導のうまさに、実演で示せる事は必要条件だけど、十分条件じゃないんだよね。。。
また、教程の理論の不完全さや混乱(ある意味では論理破綻)は、純粋に物理的側面と実技者の感覚のフィードバック面(+運動生理学というか.....)がごちゃ混ぜになりすぎているところにある。ずっと。
すべてのスポーツにありがちな事なんだけど。
実技者の感覚としては、伸ばす運動をしているが、客観的にみると屈曲させている(屈曲している)ように見える。物理的には、外力(遠心力、雪面抵抗、落下エネルギーその他)に適切な方向と量で対応する力を加えればよいだけだが、連続する運動の中では運動生理学的に伸ばしていく動作となる。しかし、一定量以上の外力が加わると結果としてわずかに曲がる。。。とかね。
ここに個人の特性(筋力、柔軟性 等々)を加え、さらにその時々の環境の変化を加えると、その人が運動するにあたってのベストの感覚は.....結局「指導」はそれを本人が見つける手助けにしかならない.....
年に1回か2回、こういう事を考えたり、旧交をあたためたりするにはとても良い機会なので意味はある。
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