今日(1月18日)の朝刊で、読売と朝日は緊急全国世論調査の結果を発表した。
読売の世論調査の結果は「小沢幹事長辞任を」70%、内閣支持率45%(前回調査8~10日、56%)だった。
朝日の世論調査の結果は「小沢幹事長辞任を」67%、内閣支持率42%(前回調査12月19,20日、48%)だった。
が、両紙とも今日の社説で世論調査の結果に基づいた主張をしなかった。それどころか、小沢問題に触れもしなかった。
読売と朝日は、なぜ「小沢幹事長辞任を」という世論調査をしたのか。そもそも両紙は社説で「小沢は説明責任を果たせ」と主張してきた。しかし私はすでに「説明責任」のレベルを超えていると考えている。元小沢秘書の石川知裕衆議院議員が逮捕された時点で小沢は連座責任を取るべきであった。つまり政治家としての資格を小沢は失ったと考えている。
小沢はかつて『日本改造』なる題名の政権構想を述べた単行本を上梓し大ベストセラーになった。その本で小沢が主張したことはアメリカをモデルにして「政権交代可能な2大政党政治」を日本に定着させるという趣旨だった。その主張自体には私も共鳴できる要素がかなりあった。そして一応日本にも「政権交代可能な2大政党政治」が形の上では実現した。しかし私が「形の上では」と書いたのは、アメリカとは「似て非なる」2大政党政治になったからである。
根本的にアメリカと日本の政治風土が異なるのはアメリカでは上院も下院も議員に対して党議拘束がかけられないということである。だからしばしば与党の政策が与党議員の「裏切り」によって議会で否決される。しかし裏切った与党議員を除名処分にすることができない。なぜか。アメリカは個人主義の国であり(それが行き過ぎて問題化するケースも多々あるが)、政治家を目指す人は、ほぼ民主党か共和党に属し、政党の公認を取るためその地域の党員からの支持を受けるための競争をしなければならない。
端的にその実例を紹介しておこう。現アメリカ大統領のオバマがどうして人種差別がまだ根強く残っているアメリカで初の黒人大統領になれたのかというケースをご理解いただければ、日本の2大政党政治が小沢が目指したはずのアメリカ型2大政党政治と「似て非なる」ものでしかないことが分かる。
オバマの父はケニア出身のアフリカ人、母はカンザス州出身の白人であり、純粋な黒人ではない。タイガー・ウッズがオーガスタ(黒人はプレーできないゴルフ場)で開催されるメジャー競技のマスターズに出場できたのは母親がタイ人だったため純血の黒人ではないという解釈がされたためである。ちなみに1996年アメリカ・アトランタで開催されたオリンピックでゴルフを競技種目に加えることになり、ゴルフ場は全米きっての名門・オーガスタにすることをオリンピック委員会が決め、オーガスタに例外として黒人選手のプレーを認めてほしいと要請したが、「オーガスタに例外はない」と拒絶されゴルフをオリンピック種目に加えることを断念したといういきさつがある。
そうした人種差別がいまだ根強く残っているアメリカでオバマはなぜ大統領になれたのか。彼は日本でいえば東京大学に等しい難関校のハーバード大学のロー・スクールを修了した後弁護士として活躍し、イリノイ州議会議員(日本でいえば県会議員)になって政治家を志し、民主党からアメリカ合衆国上院議員選挙に立候補することを表明した。
ここからが日本と決定的に違う制度があるのだが、その時イリノイ州で民主党から上院議員に立候補したいと希望したライバルが6人もいた。日本では同一選挙区から公認候補が複数いた場合、党が公認候補を決める。しかしアメリカでは予備選挙を行い、選挙区の民主党員が投票して公認候補を選ぶ(共和党も同じ)。オバマはこの予備選挙で53%の票を獲得して民主党から立候補し、共和党の候補者がスキャンダルを起こしたこともあって勝利し上院議員になった。
その後、ニューヨーク知事だったヒラリー・クリントンと共和党の大統領候補の座を争い、知名度、資金力ともに圧倒的に不利だったオバマが、5ドル・10ドルという草の根カンパを集めて、民主党の全代議員数の過半数2118人をわずかに上回る2151人の支持を得てヒラリーに大逆転勝利し大統領候補の座を勝ち取ったことは私のブログを読んでくださっている皆さんも御承知のとおりである(アメリカの大統領候補を選ぶ代議員制度の説明を始めると、かなり横道にそれてしまうので省略する。また民主党と共和党では代議員制度が異なるのでお知りになりたい方はウィキペディアで「民主党」「共和党」を別々に検索してお調べください)。このヒラリーとの争いは連日マスコミが報道したため、当初ほとんど無名に近かったオバマの知名度が一気に全国的になり、民主党の大統領候補になった瞬間、オバマの大統領当選は確実になったと言える。
さて大統領に限らずアメリカの政治家は連邦法で企業からの献金は禁止されている。日本のような政党助成金もない。したがってケネディ家やブッシュ家、クリントン家といった大財閥出身の立候補者が有利なことは間違いない。しかも所属政党の援助もない。したがってオバマのような無名で財産もない人が立候補して勝利を収めるには、とにかくあらゆる手段(もちろん州法あるいは連邦法で許されている選挙活動の範囲だが)を駆使して5ドル、10ドルといった草の根カンパを集めて戦うしか方法がない。オバマの勝利はまさにその典型だったのである。
小沢は『日本改造」の冒頭部分で、ナイアガラの滝の展望台に防御柵が設けてないことを例にアメリカの自己責任主義を礼賛しているが、ナイアガラの滝の展望台は危険性がないということで作っていないだけのことだ。展望台が狭く、観光バスなどで大勢の人が訪れるような場所にはちゃんと防御柵が設けられている。
確かにアメリカは自己責任を重んじる国で、日本のような過保護とも言える体制はとっていない。例えば観光地のホテルには大体プールがあるが、日本のように監視人が常時見張っているといったことはない。海水浴場も波がそんなに大きくない、たとえばハワイ・オアフ島のワイキキ海岸などは監視人をつけていない。しかし大ヒットした映画『ジョーズ』の舞台になったような波が荒い海水浴場にはちゃんと監視人が見張っている。
小沢が日本人ももっと自己責任を持たせたいと主張するために持ち出した例とは思うが、アメリカは訴訟社会でもある。たとえば浴場で滑ってけがをしたら、滑った自分が不注意だったとは思わず、滑るような床にした浴場が悪いと主張し、裁判になったら滑った人が必ず勝つ。アメリカ人の「自己責任」感は自分のためでなく相手の「自己責任」を問うためのほうが大きいことを小沢は知らなかったということだ。
もうひとつ小沢はアメリカは金にかかわる不正には、おそらく世界一厳しい国だということも知らないようだ。まず企業から献金を受けた政治家は政界から永久追放される。公務員には「10ドル規制」というルールがすべての州で確立されている。このルールは業者だけでなく、ただの友人からも10ドルを超える接待を受けたり贈り物をもらったりしたら、即座に懲戒解雇される。このルールは厳しく、私の高校時代の友人が卒業後アメリカの大学に入り、卒業して公務員になった。久しぶりに日本に帰国したので飲食をともにした。「勘定は私が持つよ」と言ったところ「駄目だ。俺は首になる」と言い張り、私が「ここは日本だよ。私が君にご馳走したことなどアメリカのだれが知る」と言っても「駄目だ。これはモラルの問題だ」と首を縦に振らず、レジで店員に「1円単位まで折半で支払うから料金を2で割ってほしい」と頼んだ。
企業の不正に対してはもっと厳しい。インサイダー情報を入手して不正な利益を上げた中堅証券会社のドレクセル社はSEC(証券取引監視委)によって倒産に追い込まれた。またブッシュ大統領の時代には全米7位の売り上げを誇った総合エネルギ-取引の最大手だったエンロン社が粉飾決算をしていたことがわかり、その粉飾決算に加担した全米有数の監査法人アーサー・アンダーセンもともに破たんに追い込まれた。野村証券など、アメリカだったら間違いなくとっくに消滅している。
アメリカを模範に「日本改造」を提案した小沢は自ら潔く政界から永久に身を引くべきであった。それを石川議員を逮捕し、小沢の責任も追及する姿勢を見せ始めた検察を「権力」と断じ、あくまで闘うと主張している見苦しさに対し、読売や朝日は緊急世論調査でなぜ「小沢を政界から追放すべきと思うか」と問わず、「幹事長を辞任すべきと思うか」などという甘ったるいアンケートをしたのか。小沢がアメリカを模範とした「日本改造」を訴えたのではなく、イラクや北朝鮮のような国を模範にした「日本改造」論を主張したのだったら、私もこのような主張は控えたが、そうだったら小沢がどんな金持ちであろうと国会議員になれなかったことは間違いない。金をばらまいて投票を頼んでも、選挙民の1%も小沢に票を投じるようなことは考えられない。読売や朝日も私程度の知識や論理的思考力を持った記者がいないのだろうか。
読売の世論調査の結果は「小沢幹事長辞任を」70%、内閣支持率45%(前回調査8~10日、56%)だった。
朝日の世論調査の結果は「小沢幹事長辞任を」67%、内閣支持率42%(前回調査12月19,20日、48%)だった。
が、両紙とも今日の社説で世論調査の結果に基づいた主張をしなかった。それどころか、小沢問題に触れもしなかった。
読売と朝日は、なぜ「小沢幹事長辞任を」という世論調査をしたのか。そもそも両紙は社説で「小沢は説明責任を果たせ」と主張してきた。しかし私はすでに「説明責任」のレベルを超えていると考えている。元小沢秘書の石川知裕衆議院議員が逮捕された時点で小沢は連座責任を取るべきであった。つまり政治家としての資格を小沢は失ったと考えている。
小沢はかつて『日本改造』なる題名の政権構想を述べた単行本を上梓し大ベストセラーになった。その本で小沢が主張したことはアメリカをモデルにして「政権交代可能な2大政党政治」を日本に定着させるという趣旨だった。その主張自体には私も共鳴できる要素がかなりあった。そして一応日本にも「政権交代可能な2大政党政治」が形の上では実現した。しかし私が「形の上では」と書いたのは、アメリカとは「似て非なる」2大政党政治になったからである。
根本的にアメリカと日本の政治風土が異なるのはアメリカでは上院も下院も議員に対して党議拘束がかけられないということである。だからしばしば与党の政策が与党議員の「裏切り」によって議会で否決される。しかし裏切った与党議員を除名処分にすることができない。なぜか。アメリカは個人主義の国であり(それが行き過ぎて問題化するケースも多々あるが)、政治家を目指す人は、ほぼ民主党か共和党に属し、政党の公認を取るためその地域の党員からの支持を受けるための競争をしなければならない。
端的にその実例を紹介しておこう。現アメリカ大統領のオバマがどうして人種差別がまだ根強く残っているアメリカで初の黒人大統領になれたのかというケースをご理解いただければ、日本の2大政党政治が小沢が目指したはずのアメリカ型2大政党政治と「似て非なる」ものでしかないことが分かる。
オバマの父はケニア出身のアフリカ人、母はカンザス州出身の白人であり、純粋な黒人ではない。タイガー・ウッズがオーガスタ(黒人はプレーできないゴルフ場)で開催されるメジャー競技のマスターズに出場できたのは母親がタイ人だったため純血の黒人ではないという解釈がされたためである。ちなみに1996年アメリカ・アトランタで開催されたオリンピックでゴルフを競技種目に加えることになり、ゴルフ場は全米きっての名門・オーガスタにすることをオリンピック委員会が決め、オーガスタに例外として黒人選手のプレーを認めてほしいと要請したが、「オーガスタに例外はない」と拒絶されゴルフをオリンピック種目に加えることを断念したといういきさつがある。
そうした人種差別がいまだ根強く残っているアメリカでオバマはなぜ大統領になれたのか。彼は日本でいえば東京大学に等しい難関校のハーバード大学のロー・スクールを修了した後弁護士として活躍し、イリノイ州議会議員(日本でいえば県会議員)になって政治家を志し、民主党からアメリカ合衆国上院議員選挙に立候補することを表明した。
ここからが日本と決定的に違う制度があるのだが、その時イリノイ州で民主党から上院議員に立候補したいと希望したライバルが6人もいた。日本では同一選挙区から公認候補が複数いた場合、党が公認候補を決める。しかしアメリカでは予備選挙を行い、選挙区の民主党員が投票して公認候補を選ぶ(共和党も同じ)。オバマはこの予備選挙で53%の票を獲得して民主党から立候補し、共和党の候補者がスキャンダルを起こしたこともあって勝利し上院議員になった。
その後、ニューヨーク知事だったヒラリー・クリントンと共和党の大統領候補の座を争い、知名度、資金力ともに圧倒的に不利だったオバマが、5ドル・10ドルという草の根カンパを集めて、民主党の全代議員数の過半数2118人をわずかに上回る2151人の支持を得てヒラリーに大逆転勝利し大統領候補の座を勝ち取ったことは私のブログを読んでくださっている皆さんも御承知のとおりである(アメリカの大統領候補を選ぶ代議員制度の説明を始めると、かなり横道にそれてしまうので省略する。また民主党と共和党では代議員制度が異なるのでお知りになりたい方はウィキペディアで「民主党」「共和党」を別々に検索してお調べください)。このヒラリーとの争いは連日マスコミが報道したため、当初ほとんど無名に近かったオバマの知名度が一気に全国的になり、民主党の大統領候補になった瞬間、オバマの大統領当選は確実になったと言える。
さて大統領に限らずアメリカの政治家は連邦法で企業からの献金は禁止されている。日本のような政党助成金もない。したがってケネディ家やブッシュ家、クリントン家といった大財閥出身の立候補者が有利なことは間違いない。しかも所属政党の援助もない。したがってオバマのような無名で財産もない人が立候補して勝利を収めるには、とにかくあらゆる手段(もちろん州法あるいは連邦法で許されている選挙活動の範囲だが)を駆使して5ドル、10ドルといった草の根カンパを集めて戦うしか方法がない。オバマの勝利はまさにその典型だったのである。
小沢は『日本改造」の冒頭部分で、ナイアガラの滝の展望台に防御柵が設けてないことを例にアメリカの自己責任主義を礼賛しているが、ナイアガラの滝の展望台は危険性がないということで作っていないだけのことだ。展望台が狭く、観光バスなどで大勢の人が訪れるような場所にはちゃんと防御柵が設けられている。
確かにアメリカは自己責任を重んじる国で、日本のような過保護とも言える体制はとっていない。例えば観光地のホテルには大体プールがあるが、日本のように監視人が常時見張っているといったことはない。海水浴場も波がそんなに大きくない、たとえばハワイ・オアフ島のワイキキ海岸などは監視人をつけていない。しかし大ヒットした映画『ジョーズ』の舞台になったような波が荒い海水浴場にはちゃんと監視人が見張っている。
小沢が日本人ももっと自己責任を持たせたいと主張するために持ち出した例とは思うが、アメリカは訴訟社会でもある。たとえば浴場で滑ってけがをしたら、滑った自分が不注意だったとは思わず、滑るような床にした浴場が悪いと主張し、裁判になったら滑った人が必ず勝つ。アメリカ人の「自己責任」感は自分のためでなく相手の「自己責任」を問うためのほうが大きいことを小沢は知らなかったということだ。
もうひとつ小沢はアメリカは金にかかわる不正には、おそらく世界一厳しい国だということも知らないようだ。まず企業から献金を受けた政治家は政界から永久追放される。公務員には「10ドル規制」というルールがすべての州で確立されている。このルールは業者だけでなく、ただの友人からも10ドルを超える接待を受けたり贈り物をもらったりしたら、即座に懲戒解雇される。このルールは厳しく、私の高校時代の友人が卒業後アメリカの大学に入り、卒業して公務員になった。久しぶりに日本に帰国したので飲食をともにした。「勘定は私が持つよ」と言ったところ「駄目だ。俺は首になる」と言い張り、私が「ここは日本だよ。私が君にご馳走したことなどアメリカのだれが知る」と言っても「駄目だ。これはモラルの問題だ」と首を縦に振らず、レジで店員に「1円単位まで折半で支払うから料金を2で割ってほしい」と頼んだ。
企業の不正に対してはもっと厳しい。インサイダー情報を入手して不正な利益を上げた中堅証券会社のドレクセル社はSEC(証券取引監視委)によって倒産に追い込まれた。またブッシュ大統領の時代には全米7位の売り上げを誇った総合エネルギ-取引の最大手だったエンロン社が粉飾決算をしていたことがわかり、その粉飾決算に加担した全米有数の監査法人アーサー・アンダーセンもともに破たんに追い込まれた。野村証券など、アメリカだったら間違いなくとっくに消滅している。
アメリカを模範に「日本改造」を提案した小沢は自ら潔く政界から永久に身を引くべきであった。それを石川議員を逮捕し、小沢の責任も追及する姿勢を見せ始めた検察を「権力」と断じ、あくまで闘うと主張している見苦しさに対し、読売や朝日は緊急世論調査でなぜ「小沢を政界から追放すべきと思うか」と問わず、「幹事長を辞任すべきと思うか」などという甘ったるいアンケートをしたのか。小沢がアメリカを模範とした「日本改造」を訴えたのではなく、イラクや北朝鮮のような国を模範にした「日本改造」論を主張したのだったら、私もこのような主張は控えたが、そうだったら小沢がどんな金持ちであろうと国会議員になれなかったことは間違いない。金をばらまいて投票を頼んでも、選挙民の1%も小沢に票を投じるようなことは考えられない。読売や朝日も私程度の知識や論理的思考力を持った記者がいないのだろうか。