9月11日が朝日新聞社・木村社長にとって痛恨の日になってしまったのは、なんといっても引責辞任の理由をいろいろ並べ立ててしまったことである。そのためメディアから、朝日新聞の慰安婦報道が日本の国際社会からの孤立を招いたかのような、集中砲火まで浴びるようになってしまった。はっきり言って朝日新聞の慰安婦報道が、日本に対する国際社会からの非難の原因を作ったという指摘は、こじつけ以外の何物でもない。朝日新聞に、国際社会の世論を動かすような力があると考える方が、朝日新聞に対する買い被りもいいところだ。
ただ朝日新聞自身の木村発言後の報道スタンスもおかしくなった。河野談話には吉田清治のねつ造「ノンフィクション」が影響しなかったことを検証して記事にした。朝日新聞は何を考えているのか。
仮に、河野談話に吉田清治のねつ造「ノンフィクション」が影響していたとしても、それは朝日新聞の記事が関与してのことではないだろう。朝日新聞は、河野談話の作成にまで影響力を持てるほどの絶大な権力を持っている、とでも主張したかったのか。あの検証記事は、私にはそういう傲慢さの表れとしか読み取れない。朝日の日ごろの傲慢さが、そういう推測を生む。そこまで考えての居直り記事のつもりで書いたのだろうか。
木村氏は「吉田調書(※吉田清治の小説ではなく、福島第1原発の吉田昌郎所長の調書)を読み解く過程で評価を誤り」としたが、吉田調書のどの部分をどう読み誤ったのかをうやむやにしたままでは読者だけでなく、朝日の社員だって消化不良を起こしたままだろう。
そのうえバカバカしいことに、朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響について老いぼれの評論家や学者たちに検証させるという。老いぼれたちが「国際社会に与えた影響は大きかった。国連人権委員会や米下院議員の決議も、朝日新聞の慰安婦報道が大きな影響を与えた」という週刊誌並みの検証結果を発表したら、朝日新聞はどうするつもりなのだ。「分かりました。朝日新聞は解散してゼロから出直します」とでもいう覚悟があってのことだったのか。それとも、そんな結論なんか出しっこないと固く信じるに足るだけの根拠があって老いぼれたちに検証作業を依頼したのだろうか。だとしたら「やらせ検証」以外の何物でもないことを意味する。
言っておくが、慰安婦報道より、吉田調書の読み誤りより、まして池上某とかいう単なる時事解説者(人間ウィキペディアのような存在)ののぼせ上がった原稿をボツにしたことより、あらかじめ検証結果を想定できる第三者委員会なるものをでっち上げたことのほうが、メディアとしての在り方が問われる。
さらに言えば、本来GHQは先の大戦において最大の「戦犯」である活字メディアの責任を問おうとしなかったのはなぜか、という視点で新聞は自ら検証したことが一度でもあったか(※朝日新聞は2日間発禁処分を受けたようだが)。
そう書いてから、改めてウィキペディアで「公職追放」について調べてみた。20万人の公職追放者の全員が列挙されているわけではないが、びっくりしたこともいくつかある。ウィキペディアによれば、マスコミ界から追放された代表的人物は正力松太郎氏(読売新聞社長)、前田久吉氏(大阪新聞社長、産経新聞創刊者)、伊豆富人(九州日日新聞社長)などの名前が挙がっているが、朝日新聞社の責任者の名前はない。
が、驚いたのは政界から追放された中に、朝日新聞の出身者が5人も名前を連ねているのだ。いまでも名前がよく知られている人たちばかりだ。石井光次郎、緒方竹虎、羽田武嗣郎(羽田孜元首相の父)、河野一郎の各氏が含まれている。あとの一人は戦争協力者ではない。
公職追放者は言うまでもなくGHQが、その地位を利用して戦争に協力したと見なした人物である。例外は、戦時中も一貫して軍部を批判していた石橋湛山氏で、石橋氏の追放理由はGHQの占領政策に反対したからとも、同じ軍部批判者であってもGHQに協力しながら戦後日本のかじ取りを担った吉田茂氏が石橋氏との政争のためGHQを動かしたとも、諸説があるようだ。
こうして改めてマスコミ界からの(政界への転出者も含めて)公職追放者の名前を眺めてみると、朝日新聞の連載ルポルタージュ(と、言えるのかな?)『新聞と戦争』が今さらながらしらじらしく思えてくる。
こうした事実から浮かび上がってくるのは、先の大戦時に成立した「大政翼賛会」政権にとって、朝日新聞はマスコミ界における最大の協力者だったのだろうな、ということだ。「読み解く」とは、それなりに合理的な根拠があっての推測のことである。朝日新聞が吉田調書を読み誤ったとしたならば、朝日新聞が主張したいことを裏付ける吉田調書の一部を意図的に切り取って、それを根拠に東電福島第1原発の所員の9割が自分の身の安全の身を考えて第2原発に逃げ出したと記事にしたことについて、吉田調書のどの部分を根拠にしたかということを、朝日新聞はまず明らかにしたうえで、なぜ読み誤ったのかを自ら分析すべきだろう。もし社外の第三者委員会に検証を求めるなら、慰安婦報道が国際社会にどのような影響を与えたかなどというばかばかしい検証ではなく、原発事故報道のねつ造がなぜ生じたのかの検証を依頼すべきだろう。
朝日新聞は「所員が吉田所長の命令に違反して第2原発に撤退した」としたことについては、吉田調書の「第1原発の近辺に退避して次の指示を待てと言ったつもりが、第2に行ってしまった」という証言を重視して、別の個所で「(第2原発へ避難した所員の行動は)よく考えれば、その方がはるかに正しいと思った」と証言していることなどから読み誤ったとしているが、それは吉田氏の事故発生時における認識と、事故調による事情聴取時の認識のずれがあっただけの話で、その認識のずれを紙面に反映しなかったことが「ねつ造」とまで言えるのか。
確かに正確ではなかったかもしれないが、所員の行動が、たとえ間違った判断だったとしても所長命令に違反したという事実は動かせず、せいぜい「正確さに欠いた」記事という判断が正しいのではないか。
と、するならば、あの記事で検証されていない重要な部分、「所員の9割に当たる約650人が撤退した」という逃げた人数である。この人数の根拠はどこにあるのか。しかも朝日新聞は逃げた手段(バスや通勤用の自家用車など)まで特定している。そういったことまで吉田調書に書かれていたのか。
この記事で、最も重要なのは、吉田所長のはっきりした指示が所員に伝わっていたのかいなかったのか、あるいは所員が所長の指示に従ったのか従わなか
ったのかではなく、本当に所員の9割(約650人)が第2原発に避難(撤退=職場放棄?)したのかどうかである。もし、そういう事実がなかったとしたら、それは「読み誤った」のではなく「ねつ造した」ことを意味する。
そのもっとも重要な記事の核心について、朝日新聞はいまだ明らかにしていない。なぜできないのか。なぜしようとしないのか。
今まで朝日新聞はそれらの記事について「誤った」としか書いていない。だが、「誤報」と「ねつ造」は本質的に違う。吉田調書報道を「誤報」で収めるために、慰安婦報道や池上原稿ボツ問題と同列に扱うことにしたのか。それで社内や他メディアの目はごまかせても、私の目はごまかせない。それとも私を急きょ、第三者委員会のメンバーに加える勇気があるか。予算がないというなら、ボランティアでいいよ。手弁当で根こそぎ検証作業のお手伝いをして差し上げるが…。
ただ朝日新聞自身の木村発言後の報道スタンスもおかしくなった。河野談話には吉田清治のねつ造「ノンフィクション」が影響しなかったことを検証して記事にした。朝日新聞は何を考えているのか。
仮に、河野談話に吉田清治のねつ造「ノンフィクション」が影響していたとしても、それは朝日新聞の記事が関与してのことではないだろう。朝日新聞は、河野談話の作成にまで影響力を持てるほどの絶大な権力を持っている、とでも主張したかったのか。あの検証記事は、私にはそういう傲慢さの表れとしか読み取れない。朝日の日ごろの傲慢さが、そういう推測を生む。そこまで考えての居直り記事のつもりで書いたのだろうか。
木村氏は「吉田調書(※吉田清治の小説ではなく、福島第1原発の吉田昌郎所長の調書)を読み解く過程で評価を誤り」としたが、吉田調書のどの部分をどう読み誤ったのかをうやむやにしたままでは読者だけでなく、朝日の社員だって消化不良を起こしたままだろう。
そのうえバカバカしいことに、朝日新聞の慰安婦報道が国際社会に与えた影響について老いぼれの評論家や学者たちに検証させるという。老いぼれたちが「国際社会に与えた影響は大きかった。国連人権委員会や米下院議員の決議も、朝日新聞の慰安婦報道が大きな影響を与えた」という週刊誌並みの検証結果を発表したら、朝日新聞はどうするつもりなのだ。「分かりました。朝日新聞は解散してゼロから出直します」とでもいう覚悟があってのことだったのか。それとも、そんな結論なんか出しっこないと固く信じるに足るだけの根拠があって老いぼれたちに検証作業を依頼したのだろうか。だとしたら「やらせ検証」以外の何物でもないことを意味する。
言っておくが、慰安婦報道より、吉田調書の読み誤りより、まして池上某とかいう単なる時事解説者(人間ウィキペディアのような存在)ののぼせ上がった原稿をボツにしたことより、あらかじめ検証結果を想定できる第三者委員会なるものをでっち上げたことのほうが、メディアとしての在り方が問われる。
さらに言えば、本来GHQは先の大戦において最大の「戦犯」である活字メディアの責任を問おうとしなかったのはなぜか、という視点で新聞は自ら検証したことが一度でもあったか(※朝日新聞は2日間発禁処分を受けたようだが)。
そう書いてから、改めてウィキペディアで「公職追放」について調べてみた。20万人の公職追放者の全員が列挙されているわけではないが、びっくりしたこともいくつかある。ウィキペディアによれば、マスコミ界から追放された代表的人物は正力松太郎氏(読売新聞社長)、前田久吉氏(大阪新聞社長、産経新聞創刊者)、伊豆富人(九州日日新聞社長)などの名前が挙がっているが、朝日新聞社の責任者の名前はない。
が、驚いたのは政界から追放された中に、朝日新聞の出身者が5人も名前を連ねているのだ。いまでも名前がよく知られている人たちばかりだ。石井光次郎、緒方竹虎、羽田武嗣郎(羽田孜元首相の父)、河野一郎の各氏が含まれている。あとの一人は戦争協力者ではない。
公職追放者は言うまでもなくGHQが、その地位を利用して戦争に協力したと見なした人物である。例外は、戦時中も一貫して軍部を批判していた石橋湛山氏で、石橋氏の追放理由はGHQの占領政策に反対したからとも、同じ軍部批判者であってもGHQに協力しながら戦後日本のかじ取りを担った吉田茂氏が石橋氏との政争のためGHQを動かしたとも、諸説があるようだ。
こうして改めてマスコミ界からの(政界への転出者も含めて)公職追放者の名前を眺めてみると、朝日新聞の連載ルポルタージュ(と、言えるのかな?)『新聞と戦争』が今さらながらしらじらしく思えてくる。
こうした事実から浮かび上がってくるのは、先の大戦時に成立した「大政翼賛会」政権にとって、朝日新聞はマスコミ界における最大の協力者だったのだろうな、ということだ。「読み解く」とは、それなりに合理的な根拠があっての推測のことである。朝日新聞が吉田調書を読み誤ったとしたならば、朝日新聞が主張したいことを裏付ける吉田調書の一部を意図的に切り取って、それを根拠に東電福島第1原発の所員の9割が自分の身の安全の身を考えて第2原発に逃げ出したと記事にしたことについて、吉田調書のどの部分を根拠にしたかということを、朝日新聞はまず明らかにしたうえで、なぜ読み誤ったのかを自ら分析すべきだろう。もし社外の第三者委員会に検証を求めるなら、慰安婦報道が国際社会にどのような影響を与えたかなどというばかばかしい検証ではなく、原発事故報道のねつ造がなぜ生じたのかの検証を依頼すべきだろう。
朝日新聞は「所員が吉田所長の命令に違反して第2原発に撤退した」としたことについては、吉田調書の「第1原発の近辺に退避して次の指示を待てと言ったつもりが、第2に行ってしまった」という証言を重視して、別の個所で「(第2原発へ避難した所員の行動は)よく考えれば、その方がはるかに正しいと思った」と証言していることなどから読み誤ったとしているが、それは吉田氏の事故発生時における認識と、事故調による事情聴取時の認識のずれがあっただけの話で、その認識のずれを紙面に反映しなかったことが「ねつ造」とまで言えるのか。
確かに正確ではなかったかもしれないが、所員の行動が、たとえ間違った判断だったとしても所長命令に違反したという事実は動かせず、せいぜい「正確さに欠いた」記事という判断が正しいのではないか。
と、するならば、あの記事で検証されていない重要な部分、「所員の9割に当たる約650人が撤退した」という逃げた人数である。この人数の根拠はどこにあるのか。しかも朝日新聞は逃げた手段(バスや通勤用の自家用車など)まで特定している。そういったことまで吉田調書に書かれていたのか。
この記事で、最も重要なのは、吉田所長のはっきりした指示が所員に伝わっていたのかいなかったのか、あるいは所員が所長の指示に従ったのか従わなか
ったのかではなく、本当に所員の9割(約650人)が第2原発に避難(撤退=職場放棄?)したのかどうかである。もし、そういう事実がなかったとしたら、それは「読み誤った」のではなく「ねつ造した」ことを意味する。
そのもっとも重要な記事の核心について、朝日新聞はいまだ明らかにしていない。なぜできないのか。なぜしようとしないのか。
今まで朝日新聞はそれらの記事について「誤った」としか書いていない。だが、「誤報」と「ねつ造」は本質的に違う。吉田調書報道を「誤報」で収めるために、慰安婦報道や池上原稿ボツ問題と同列に扱うことにしたのか。それで社内や他メディアの目はごまかせても、私の目はごまかせない。それとも私を急きょ、第三者委員会のメンバーに加える勇気があるか。予算がないというなら、ボランティアでいいよ。手弁当で根こそぎ検証作業のお手伝いをして差し上げるが…。
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