小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

東京オリ・パラの選手村が「ダイヤモンド・プリンセス号」になる日

2021-06-29 08:22:45 | Weblog
東京オリ・パラまで1か月を切った。もうここまでくると核戦争でも勃発しない限り中止は不可能だろう。
だが、今回の東京オリ・パラほど不愉快に思った経緯はない。都民や国民にとって都合の悪いことはすべて伏せられたまま、東日本大震災の「復興オリンピック」の名のもとにどんどん進められていった。その状況は、先の大戦で敗色濃厚なのに大本営は「勝った、勝った、また勝った」と虚偽の戦果発表で戦意の高揚を図り、最後は米軍の上陸作戦に備え婦女子にまで「竹やりで戦え」と追いつめていった経緯にあまりにも似ているからだ。

●石原慎太郎・元都知事が始めた東京オリ・パラ招致運動
石原氏が東京オリ・パラの招致を計画したのは2007年。都知事部局に生活文化スポーツ局を新設して招致活動をスタートさせた。この時期、広島市もオリ・パラ招致活動を始めようとしていた。が、一つの国から2都市が立候補は出来ない。広島は断念して東京に一本化することになった。背後では森喜朗・元総理(のち組織委会長)が動いたと言われている。
石原氏は2016年の夏季大会招致を目指したが、2009年10月のIOC総会で、東京はリオネデジャネイロに敗れた。
2011年3月11日、東日本大震災が勃発した。
その翌年、都知事選で勝利した石原氏が4月に再挑戦を表明した。石原氏はすでに体調に支障をきたしていたが、森氏に招致活動のレールを引き直したら辞めてもいいからと説得され都知事選に立候補したと言われている。実際、石原氏は翌12年10月、都知事を辞任。12月の都知事選で、石原都政で副知事を務めてきた猪瀬直樹氏が当選した。
2013年9月、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で2020年夏季大会の開催都市に東京が選ばれた。この時点では開催時期についての情報は極秘とされ、国民が酷暑の7月後半から8月にかけてという時期を知らされたのは、東京開催が決まってからである。
「死人が出るぞ」と猛烈な批判が寄せられるようになったのは、その後である。今は使われなくなったが高温多湿状態を「不快指数」として気象庁が公表していた時期がある。その不快指数が最も高くなる時期が梅雨明け早々なのだ。よりによって、そんな時期に東京でオリンピックを開催するというのだ。
その後、マラソン会場は東京から札幌に移すことになる過程で、主催都市の東京には何の権限もなく、すべての権限をIOCが握っていることも次第にわかってくる。真夏の東京での開催も、立候補の条件だったことも判明してしまう。
またすべての権限を掌握しているIOCが、開催時期を7~8月としている理由も、巨額の放映料を払う米テレビ局NBCの意向であることも国民すべてが知ることとなった。スポーツ大国で、バスケット、アメフト、野球、アイスホッケー、ゴルフ、テニスとプロスポーツが盛んなアメリカだが、日本と同じ北半球に位置するアメリカでは真夏のプロスポーツの競技は少ない。米テレビ局としては真夏のスポーツ中継は絶好のカネ儲けイベントというわけだ。しかも今年はコロナ禍で巣ごもり生活をする人が多い。そういうこともあってNBCは「過去最高の利益を上げることができる」と早くも皮算用をはじいている。

●なぜ無観客か有観客かが問題になったのか?
前回のブログで読売新聞が行った実質2択の世論調査の結果として、読売が「開催派が中止派を上回った」としたことに、私は噛み付いた。読売は一応3択形式のアンケートを取ったのだが「人数制限で開催」「無観客で開催」「中止」として「再延期」の選択肢を意図的に外して事実上「開催」か「中止」かの2択で世論を振り分けた。そうなると「再延期派」は分断され、「中止派」も増えるが「開催派」も増える。なんという小汚い世論調査をやったものだ。
前回のブログでは書かなかったが、読売は消費税軽減税率のお礼を政府にしたかったのだろうと思っている。
それはともかく、前回のブログでかいたが、私は有観客にしてもソーシャル・ディスタンスさえ確保すれば、少なくとも競技場内でのクラスターは絶対に発生しないと書いた。ただし、競技が終了した後の観客の退出時に出口や帰路での3密状態を防ぐ方法として30分くらいかけて少しずつ観客を退出させれば、競技終了後のコロナ・リスクも回避できると書いた。
私がそのブログをアップしたのは5月8日。ちょうど3週間前だ。その後も有観客か無観客かで、とくに民放テレビで論客たちの議論が沸騰した。とくに分科会の尾身会長が有観客のコロナ・リスクを強く訴えて政府や組織委と対立したときは、実は尾身氏も含めて本当のコロナ・リスクから国民の目をそらすためにグルになっているのかと疑問を抱いたほどだった。その疑問は依然として残ってはいるが、有観客リスクが、私が前回のブログで提案した方法では解決不可能であることが、ごく最近になってようやく分かった。はっきり言って有観客リスクはどうやっても絶対に回避できないのだ。
というのは、これも政府や組織委の汚い後出し情報なのだが、競技終了時間がアメリカでの生中継の都合上、深夜の午後11時半以降になるということが判明したのだ。そうなると、1万人の観客を30分くらいかけて密にならないように退出させることなど、絵に描いた餅にもならない。
いま突然、競技とは別に観客の退出時間を9時にするという案がどこからか出てきた。相撲はオリンピック競技ではないが、大相撲の観客を「十両の取り組みが終わったら、お帰りください」というようなものだ。
有観客にしたところで、だれがそんな競技を見るために競技場に足を運ぶと思っているのか。そこまでアメリカのテレビ局の都合に合わせなければならないのなら、いっそオリンピックは今後アメリカ各州の持ち回りでやればいい。アメリカには50州あるから(ワシントンDCを除く)、4年に1回のオリンピックなら一回りするのに200年かかる。冬季オリンピックも同様にしても、一回りするのに100年かかる。
アメリカの、アメリカによる、アメリカテレビ局のためのオリンピック
それで「平和の祭典」とされるオリンピックがより盛んになるなら、それでいいではないか。
言っておくが、次期オリンピックはパリ大会だ。真夏の最高気温は40℃に達する。小池都知事はマラソン競技の問題が生じたとき、今後北半球でのオリンピック開催は不可能になる、と発言した。私もそう思う。が南半球にオリンピックを開催できるような近代都市がどのくらいあるか。そう考えたら、アメリカ各州での持ち回りは、あながち不合理な案ではないと思う。

●西村宮内庁長官の「拝察」発言は西村氏の私見か?
6月24日の定例記者会見で西村宮内庁長官が「(オリ・パラ)開催が感染拡大につながらないか、(陛下が)ご懸念されていると拝察している」と述べたことが波紋を呼んでいる。
直ちに反応したのは橋本組織委会長、丸川五輪相、そして最後に菅総理。全員言葉を揃えて「長官自身の見解と理解している」と述べた。
私自身は、西村発言は宮内庁内で練りに練った内容だと考えている。だから「天皇はこう考えている」と断定的な表現ではなく、しかし天皇がコロナ禍のまん延によって多くの国民が苦しんでいるなかで、かつ火に油を注ぎかねないオリ・パラ開催に重大な懸念を抱かれるのは自然であり、そうであってこそ国民統合の象徴としての天皇のあるべきお姿だと思っている。
むろん、私は先の大戦における昭和天皇の戦争責任は決して軽くないと考えているが、だからこそ戦後の皇族方は国民に寄り添い、慰霊の旅をお続けになったり、災害が生じたときは避難民を慰め励ますために足を運んでこられた。
 そうした国民に寄り添うお気持ちをどう表すべきか、「コロナ禍をさらに広げかねないオリ・パラには反対だ」とはさすがに言えず、もどかしさをずっとお感じになられてきたと思う。だから西村長官の「拝察」という間接話法によって、ご自身のお気持ちを代弁させたというのが真実だと思う。
 おそらく西村長官が「拝察」という間接話法を使わずに「ご懸念されている」と直接話法で天皇のお気持ちを代弁したとしても、それでオリ・パラが中止になるわけではない。むしろ「天皇陛下にご心痛をおかけしないように不要不急の外出、多人数での飲食など、感染拡大につながりかねない行動は慎んでいただきたい」と「政治利用」した方がコロナ対策としては大きな効果を持ったのではないか。
 なかには憲法学者や共産党の志位委員長が「天皇は政治的発言は行うべでではない」と批判しているが、では慰霊の旅や災害時の避難民訪問は「政治的行為」ではないのか。いわゆる皇室外交は皇族の政治利用ではないのか。
 ついでのことに書いておくが、いま政府の有識者会議で「女性・女系天皇」や「女性宮家創設」が議論されている。なかなか結論は出ないが、多くの国民は少なくとも「女性・女系天皇」には好意的だ。
 が、頑迷な超保守系の政治家は「男系男子の皇位継承は皇室の伝統であり、女系天皇は絶対認められない」と主張している。完全に矛盾した論法だ。
 皇室の伝統というなら、過去、女性宮家は存在したことがない。宮家というのは、ご当人が天皇になる可能性があるか、その直系の男子が天皇になる可能性を有したケースにのみ与えられた皇族での地位である。従って、女性天皇はダメだが、女性宮家はいいというのは女系男子が皇位を継承することを認めることになる。女性宮家創設論者や有識者会議の面々は、そんな単純な矛盾にすら気が付かないアホどもなのか。
 はっきり言っておくが、私は女系・女性天皇を認めるべきだと考えている。どうしてもだめというなら天皇に男子のお子様がお生まれになるまで、天皇にだけ妻妾制度を認めるべきだ。日本の男系男子の皇位継承の伝統はそうやって維持されてきたのだから。

●政府は可能な限りの観光クルーズ船をチャーターすべきだ。
続々とオリンピック出場の選手たちが来日し始めている。私は前回のブログで、最大のコロナ・リスクは選手団や関係者にあると書いた。早くも、その兆候が最初に表面化したのはウガンダの選手たちだ。9人来日した選手のうち、成田空港の検査で一人の感染が判明、その後も滞在先の泉佐野市でさらに一人の感染が判明した。ウガンダの選手は全員、アストラゼネカのワクチンを2回接種したと主張し、証明書も持参してきた。本当か? 極めて疑わしい。
オリンピックに出場しようという選手だ。ワクチンを接種するか否かは別にして、感染予防には相当注意してきたはずだ。それが9人中2人も感染者であることが判明した。確率論的に考えたら、ものすごい数字だ。日本人の2割が感染した状況を考えれば、すぐわかることだ。1週間と経たずに日本人の大半がコロナ患者になる。2割というのは確率論的には、そのくらいすごい数字だ。
これからどんどん海外から選手団や関係者(取材陣も含めて)が来日する。どうやって水際作戦を行使できるか。ほとんど不可能といっていい。
最大のリスクはアメリカの選手団や関係者だ。すでに報道されているように、アメリカにはトランプ信奉者がまだ相当いて、バイデン大統領が推進しているワクチン接種に抵抗している。個人的に抵抗して「私はワクチン接種をしない」の範囲にとどまればともかく、集団でデモをして民主党支持者集団と衝突しかねない事態も生じている。
アメリカからの選手団や関係者は数千人に達するとみられている。日本ですらワクチン接種拒否者が2割に達し、「どうしようか、どうしようか」と思案中の人が3割強もいるという。日本ですらですよ。個人主義者が圧倒的多数を占めるアメリカからの来日者の何割がワクチン無接種で来るか。無接種どころか、すでに感染している選手団や関係者も相当いると覚悟した方がいい。
感染が判明した場合、どうやって彼らを隔離するか。はっきり言って日本の病院は絶対受け入れない。日本人患者ですら自宅待機をお願いしている状況で、海外のオリンピック選手を受け入れたりしたら、その病院は火を付けられかねない。「非国民」などと言う言葉は使いたくないが、私の知り合いのどの医者に聞いても、「入院どころか治療に当たる日本の医者や看護婦は一人もいないでしょう」と言っている。
かといって外国人感染者を野放しにするわけにはいかない。選手村で隔離するとなれば、選手村全体がダイヤモンド・プリンセス号状態になる。オリンピック競技の継続どころではなくなる。「羽鳥モーニングショー」のコメンテーター・玉川氏は「いろいろな国の方のウイルスがまじりあって新種のウイルスがどのくらい発生するか」と懸念を表明しているが、私もコロナ・オリンピックが始まるのは必至と思っている。
コロナ・オリンピックの発生は防げないとして、その規模を最小限にとどめるためには感染者を観光クルーズ船で完全隔離するしかない。治療は感染者の母国の医者に頼むかIOCに丸投げするか。それ以外の方法はない。

●ワクチンは感染予防薬か治療薬か?
これから書くことは多くの人にとってはかなりショッキングかもしれない。現在、日本で承認されているコロナ・ワクチンはファイザー製、モデルナ製、アストラゼネカ製の3種類である。それぞれ有効性はファイザー95%、モデルナ94.1%、アストラゼネカ76%とされている。が、これらの有効性はそれぞれ承認時の知見に基づく有効性であり、その後出現したイギリス型(アルファ)、インド型(デルタ、デルタプラス)、南アフリカ型(ベータ)などの変異種に対しての有効性を保証したものではない。現在までの治験によれば、最も信頼性が高いとされているファイザー製ワクチンでも有効性は70%台に下がっているとみられる。
そうしたことを踏まえて、厚労省の「有効性」についての説明も微妙に変化してきている。たぶん多くの方はびっくりされると思う。
「コロナ・ワクチンは感染を予防するものではなく、感染しても発症を抑えたり、重症化するのを防いだりするものです。感染の予防薬ではありません」
実はこうした問題が生じたのは「ワクチン」という呼称が一般化してしまったことによる。厳密にいえば、コロナ・ワクチンはワクチンではないのである。新しいカテゴリー(あえて言えば予防薬と治療薬の中間)に分類すべき性質のもののようだ。
インフルエンザ・ワクチンなどのワクチンは「生ワクチン」といって微量のウイルスを接種し、人間が自然に持っている免疫力を強めることによってウイルスの侵入を撃退する。もしワクチンを接種せず、あるいは新種のインフルエンザがワクチンによってつくられた免疫力を撃破してしまった場合は、タミフルなどの治療薬によって重症化を抑える。
ところがコロナ・ワクチンの場合は生ワクチンではなく、従って免疫力を高めるわけではない。つまりコロナ・ワクチンの有効性は「感染予防の免疫効果」を意味したものではないのである。では、コロナ・ワクチンはどういう働きをするのかというと、「感染しても発症を抑えたり、重症化するのを防ぐ」役割を果たすに過ぎないと、いまは考えられている。
だから、コロナ・ワクチンを2回接種しても、それによって感染防止の免疫力がつくられるわけではなく、従ってワクチンを接種してもコロナに感染してPCR検査で陽性反応が出ることは当然ある。それ以上のことは、未知である。


【追記】丸川五輪相の「バカ丸出し発言」について
6月29日、丸川五輪相の定例記者会見での発言が波紋を呼んでいる。東京オリ・パラには約7万人のボランティアが参加することになっているが、ボランティアは全国各地から自分たちの都合がつく期間、大会運営に協力する人たちだ。企業や大学あるいは地域ごとの、いわゆるコロナ・ワクチン「職域接種」の対象にはなりようがない。
組織委の計画ではボランティアに対するワクチン接種は1回目が6月30日から開始し、2回目はオリ・パラが始まっている7月31日から行う予定だ。ワクチンの種類はモデルナ製で、1回目と2回目は4週間の間隔を空けることになっている。そのため記者会見で「ボランティアの感染対策」について質問が飛んだ。コロナ・ワクチンは2回接種が原則になっているからだ。
その質問に対する丸川氏の回答が波紋を呼んだというのだ。自民党内でも批判が飛び交っているらしい。丸川氏はこう答えた。
「そもそもワクチン接種を前提にしないで大会準備を進めている」「出来るだけ早い段階で接種を始めたい」「まずが1回目の接種で一次免疫を付けてもらう」
コロナ禍でのオリ・パラを担当する五輪相としての丸川氏の、ワクチン効果と免疫についての無知無能があからさまになった瞬間である。
まず、免疫に関していえば、一次免疫とはワクチンを打たなくても健康な人ならだれでも自然に持っているものだ。つまり体外からウイルスなどの異物が体内に侵入したとき、その異物を攻撃して自然治癒する能力である。もちろん、すべての人が同等の免疫力を有しているわけではなく、だからコロナ・クラスターが発生しても感染する人としない人が出る。知りもしないで「一次免疫」などという専門用語を知ったかぶりして使ったことで、医学者たちからまず「アホ呼ばわり」されることになった。
ただ、丸川発言の「一次」は「一時」の言い間違いではないかと忖度したメディアもある。が、だとしたら丸川氏の日本語の使い方は小学生レベルということになる。「一次免疫」という専門用語があるのは当然、「二次免疫」を前提にしている。先述したように、一次免疫は健康な人が体内に有している免疫力のことで、例えばインフルエンザの場合も感染しても発症する前に体内の一次免疫でインフルエンザ・ウイルスを撃退することもある。そのとき体内の抗体がより強化されて二次免疫が作られるケースもあれば、あらかじめ感染を防ぐためにワクチンを打って体内の免疫力を強化して二次免疫をつくることもある。
コロナ・ワクチンの場合、1回目のワクチンで作られるのが実は二次免疫であり、2回目のワクチンで三次免疫が作られる。コロナは感染力が強く、1回のワクチン接種だけでは十分な免疫が作れないため2回接種が原則になっている。
丸川氏が、もし「一時的に」という意味で使用したというなら、有効性は極めて短い期間しか機能しないことを意味する。だとしたら、余計アホだ。
私は「1回の接種だけでは十分な免疫が作れないため」と書いた。実はモデルナ製のワクチンの有効性は1回目の接種で20%、2回接種して84.1%と言われている。この数字はあくまでワクチンとして承認された時点での治験による。
この数字の意味について丸川氏は完全に無知無能なのだ。コロナ検査は通常PCR検査で行う。鼻の粘膜や唾液にウイルスが含まれているか否かを試薬を使って検査するのだが、結果は陽性か陰性かのいずれかしかない。30%陽性などという結果はない。ただし、PCR検査の正答率が100%ではないことも確かだ。それはPCR検査の不確実性を意味しているわけではなく、たとえ感染していたとしてもウイルスが鼻の粘膜や唾液に確実に付着しているとは限らないからだ。また微量の場合、検出できないこともある。
つまり、モデルナワクチンの場合、1回目の接種で20%の有効性が確認されたという意味は、1回接種した人が全員2割の免疫力を持つという意味ではまったくない。確率論を勉強していない人(実をいうと私が高校生の時確率は数学の範囲から除外されており、私も確率論は勉強していない)が勘違いしやすいのはこのロジックなのだ。結論から言えば、ワクチンの有効性は私もどうやって計算しているのかわからないが、本来確率論はゼロか100かのどちらかの可能性を示す数字なのだが、もともとワクチンを接種しようとしまいと人間は自然免疫力をある程度持っているのだから、有効性の基準をどこに置いているのかは私も知らない。これが通常の確率論と違う要素なのだ。
そこで個体差は無視して1回目の接種で有効性20%ということは、例えばオリ・パラのボランティア7万人の場合、7万人のうち2割の1.4万人には二次免疫ができるということを意味する。つまり残りの5.6万人はコロナ・ウイルスに対してはまったく無防備のままということなのだ。仮に「集団免疫」が働いたとしても、2割の有免疫者が8割の無免疫者を守ることは不可能だ。
ということは1回の接種でボランティアに参加してもらえる人は1.4万にだけで、5.6万人には「あなたたちはリスクが高いからボランティアはお断りします」と、お帰り頂くしかない。免疫ができたかどうかは抗体検査で調べる以外方法はない。
さらに免疫力には個体差があるから有効期間も異なる。極端に言えば、毎日抗体検査をして抗体が確認できなくなった人には「今日から結構です」とサヨナラしなければならない。組織委の予定では2回目の接種は7月31日以降というから、おそらくその時点でボランティアは『そして誰もいなくなった』ことになっているだろう。(7月1日)




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