昨夜(6日)NHKの『クローズアップ現代』を見ていて気が付いたことがある。NHKきっての硬派ニュースキャスターである国谷裕子氏(ただし国谷氏はNHKの社員ではない。フリーのキャスターである)と、駐日米大使・キャロライン・ケネディ氏のインタビューだ。
このインタビューな「生」ではない。ケネディ氏の発言のさわりはすでに6時と7時のニュースでも流されていたし、だから録画であることは間違いない。ということはNHKによる編集が行われていたインタビュー番組であることも間違いない。別に録画だからと言ってイチャモンを付けるつもりは毛頭ないが、やけに気になったのはケネディ氏の発言の中で「日本はアメリカにとって重要な同盟国」という発言(もちろんNHKの邦訳)だった。「パートナーシップ」という発言も多少あったが、ケネディ氏は本当に日本をアメリカの「同盟国」と発言したのだろうかという疑問がどうしても残った。
私はこれまでブログで、アメリカにとって「間違いない同盟国はイギリスだけ。ひょっとしたらイスラエルもアメリカは同盟国視しているかもしれない」と、書いてきた。で、ネット検索してみた。が、アメリカはいろいろな国と条約を結んではいるが、必ずしも「同盟」関係が明らかになる条約の検証はされていないようだ。ネットによる情報検索にも限界があるということだ。
で、一応「同盟」とは「攻守同盟(軍事同盟)」であり、たとえば日本の戦国時代でいえば織田信長と徳川家康の同盟のようなものであると限定して考えると、現時点ではやはりイギリスがアメリカにとって最も頼りになる同盟国ということになるようだ。日本をアメリカの「同盟国」視している人も少なくないが、根拠はあいまいである。日米安全保障条約を「同盟条約」と位置付けている人もいるが、この人は「同盟」関係をあまりにも拡大解釈しているとしか考えられない。なかには自称「軍事アナリスト」の小川和久氏はすでに日米同盟の双務性は高いと主張しているようだ(朝日新聞3月5日朝刊)。「米国の同盟国の中で非対称的だが、最も対等に近い。米国にとっては日本は唯一、米国本土と同じ重要性を持つ戦略上の拠点だ。米軍を助けに行かないと片身が狭い、という感情的な反応ではいけない」という。ここで小川氏が言う「米国の同盟国の中で非対称的だが」とくぎを刺しているのは、日本が他国から攻撃を受けた場合、アメリカは日本を防衛する義務を負うが、アメリカが攻撃されても日本がアメリカを防衛する義務を条約上負っていないことを指していることを意味しているのは間違いない。にもかかわらず、日米同盟が最も対等であるのは、日本がアメリカ軍に基地を提供しているからというのが小川氏の主張の根拠にあると考えられる。
しかし、これは単純な「貸し借り」の関係にすぎない。日本は米軍に米軍の
使用目的のための基地を置く場所を提供し、その代償としてアメリカは日本を
防衛しますよ、という「貸し借り」の関係が条約上約束されているだけで、だから日本に置かれている米軍基地は日本を防衛するためだけに存在しているわけではない。
小川氏のような屁理屈がまかり通らないことは、日本は新興国に対する経済援助(ODA)で、1990年~2000年まで世界1を維持してきたが、日本からODA援助を受けた新興国が見返りとして日本を防衛する約束をしてくれたことは一度もないことを想起するだけで十分であろう。日本はODA援助の代償として、ODA援助によって新興国が建設する公共事業は日本の企業が優先的に受注しますよ、という形で「貸しを返して貰っている」という関係である。
同様に米軍も日本本土、特に首都圏に米軍基地を配備してはいるが、日本に配備されている米軍基地の主力は沖縄に集中している。もちろん日本を攻撃しようとする国があったとして、首都東京からはるか離れた沖縄を攻撃目標にすることなどありえず。沖縄に配備されている米軍基地や米兵の任務は日本本土の防衛ではなく、グアム、フィリピンとともに東南海の米軍による制海・制空権を維持・確保するのが目的である。一方日本としても沖縄を含めて日本全国に配備されている米軍基地と米兵は、日本防衛のかなめになっていることも間違いない。そういう意味では日本の「国益」とアメリカの「国益」が一致したケースの一つといえよう。
安倍総理が昨年12月に靖国神社を参拝したとき、アメリカ政府は「失望した」という異例のコメントを発表した。総理の靖国参拝に対して産経新聞は「国民が待ちに待った日だ」と社説(産経新聞の場合は社説に相当する記事を「主張」としているが)、読売新聞と朝日新聞はこぞって批判した。私も今年に入ってだが、1月8日にブログでこう書いた。
現職総理の靖国参拝は2006年8月15日(終戦記念日)の小泉総理以来である。このときは中韓との領土問題も生じていず、考えようによっては8月15日は「不戦の誓い」を国を挙げて行ってもいい日だ。ただ靖国神社への参拝が「不戦の誓い」にふさわしいかどうかは別である。
海外の反応について、中韓が激しく反発することは安倍総理も当然、予想していたであろう。総理にとって「想定外」だったのは米政府の反応である。これまで日本の総理の靖国参拝については、米政府はあえて干渉することは避けてきた。が、昨年10月にケリー国務長官とヘーゲル国防長官が来日した際、氏名不詳で遺族に渡せない戦没者の遺骨を納めた千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて献花したのは、今から考えると安倍総理が日ごろから「第1次安倍内閣時に靖国参拝ができなかったのは痛恨の極み」と公言していたことから、安倍総理の靖国参拝は米政府にとっては「想定内」のことであり、だから敢えて千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて安倍総理に「靖国参拝を強行して、いたずらに中韓との摩擦
を拡大するな」という米政府の意志を暗黙に伝えたかったのかもしれない。実際米政府は安倍総理の靖国参拝の報に接し「日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させるような行動をとったことに失望している」という異例の声明を発表した。(中略)
私自身は実はこれまで、安倍総理のリーダーシップを高く評価していた(ブログにはことさらには書かなかったが、外交・国内問題に決して逃げようとせず立ち向かってきた姿勢を、記事の行間に込めて書いてきたつもりだ)。が、この時期の靖国参拝で、残念ながら私の総理への評価は180度ひっくり返さざるをえなくなった。
そもそも安倍総理は「リーダーシップを発揮する」ということをまったく理解していないのではないのではないだろうか。指導者は確固たる信念を持つことは大切だが、周囲のことを無視して、自分の固有の信念に基づく行為を強行することがリーダーシップの発揮ではない。戦没者の霊に対する尊崇の念と感謝の気持ちは私にもあるが、それは私自身の心にあるもので、私がその思いを表すために靖国神社に参拝しても何の問題も生じないが、一国の首相にはそういう自由はない。首相の行動は、国の方針と取られるのが国際社会の常識である。安倍総理の説明には、私も一定の理を認めるにやぶさかではないが、その思いが国際社会から素直に受け止めてもらえる状況にあるのかどうか、その一点に思いを致してから行動に出るのが真のリーダーシップというものであろう。
その後、私は沖縄で集団自決に追い込まれた犠牲者が靖国神社の合祀されていないことを知り、そうなると靖国神社の「A級戦犯もお国の犠牲者になった人たちだから戦没者と同等に扱うことにした」という説明がまったく合理性を欠いていることを知り、もしその事実を小泉氏や安倍氏も知っていたら靖国神社参拝を見送っていただろうとブログに書いたが、そのことはとりあえずおいておく。
実はケネディ氏がインタビューで乱発した言葉にもう一つある。それは「国益」という言葉だ。つまり安倍総理が靖国参拝を強行して中韓との関係を悪化させ、アメリカの「国益」を損ねたことが「失望」の原因であることをはっきりとではないが、言いたかったようだ。アメリカにとっての東南アジア方面における国益とは、日中、日韓、中韓が良好な関係を保ち中国に南下政策の口実を与えないことの一点にある。そういう意味で、アメリカのこの方面における「同盟国」である日本と韓国はいがみ合うのをやめて仲良くして貰わなくては困る、というのがアメリカの本音なのである。
国益とは何か。同盟とはどういう関係を意味するのか。
日本にとっての国益と、アメリカにとっての国益は、少なくとも経済や貿易
の分野においては大きく異なっていることはTPP交渉での両国の対立からも明らかであろう。この場合、国益とは両国政府にとっての「国益」にすぎず、政権が変われば「国益」も変わる。
日本の防衛問題については、いちおう日米安保条約上では、「貸し借り」の関係で日本がアメリカから防衛してもらえることになってはいるが、万一中国が日本の尖閣諸島を武力制覇しようという挙に出たとき、アメリカが日本にとってどの程度頼りにできる存在なのかははっきりする。尖閣諸島の帰属ごときでアメリカが血を流してくれると思っていたら、とんでもない目にあう。いまのところ、言葉の上では「尖閣諸島は日米安保条約の範囲だ」と中国をけん制してくれてはいるが、そんなリップサービスはいざというとき何の役にも立たないことは世界の歴史を紐解くまでもなく明白である。
最近、自民党の石破幹事長が、安保法制懇の報告書がまだ出ていないのに、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めるよう、与党(自公)に対する根回しを必死に行っている。しかも先日のテレビインタビューでは集団的自衛権の行使について従来の政府解釈(日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使する権利)を微妙に変えて「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けて、日本に応援を求めた場合」と、集団的自衛権行使の条件を変えだした。私のブログで、従来の政府解釈で集団的自衛権行使を憲法解釈の変更で行うのは無理と考え直したのだと思うが、集団的自衛権は国連憲章51条『自衛権』に規定されている権利であって、日本にとっての集団的自衛権とは、自衛隊だけでは日本を防衛しきれないと政府が判断したとき他の国連加盟国(現時点ではアメリカ)に応援を頼める権利のことであって、密接な関係にある他国(差し当たっての対象もアメリカ。将来NATOのような環太平洋安全保障体制が構築されれば集団的防衛体制になるから日本の自衛力は飛躍的に強化される)の防衛に自衛隊が手を貸すのは、現行憲法を改正しない限り不可能である。
公明党は、いまのところ憲法解釈の変更による集団的自衛権行使には同意していないし、もし同意するようなことがあったら党の自滅につながりかねないから、石破氏が「このチャンスを逃すと、当面集団的自衛権行使は不可能になる」と悲鳴を上げても、どだい無理な話は無理である。憲法解釈の本校といった姑息な方法は早々と諦めて、現行憲法が「平和憲法」だという幻想を国民に時間をかけても説明していくのが王道であろう。
このインタビューな「生」ではない。ケネディ氏の発言のさわりはすでに6時と7時のニュースでも流されていたし、だから録画であることは間違いない。ということはNHKによる編集が行われていたインタビュー番組であることも間違いない。別に録画だからと言ってイチャモンを付けるつもりは毛頭ないが、やけに気になったのはケネディ氏の発言の中で「日本はアメリカにとって重要な同盟国」という発言(もちろんNHKの邦訳)だった。「パートナーシップ」という発言も多少あったが、ケネディ氏は本当に日本をアメリカの「同盟国」と発言したのだろうかという疑問がどうしても残った。
私はこれまでブログで、アメリカにとって「間違いない同盟国はイギリスだけ。ひょっとしたらイスラエルもアメリカは同盟国視しているかもしれない」と、書いてきた。で、ネット検索してみた。が、アメリカはいろいろな国と条約を結んではいるが、必ずしも「同盟」関係が明らかになる条約の検証はされていないようだ。ネットによる情報検索にも限界があるということだ。
で、一応「同盟」とは「攻守同盟(軍事同盟)」であり、たとえば日本の戦国時代でいえば織田信長と徳川家康の同盟のようなものであると限定して考えると、現時点ではやはりイギリスがアメリカにとって最も頼りになる同盟国ということになるようだ。日本をアメリカの「同盟国」視している人も少なくないが、根拠はあいまいである。日米安全保障条約を「同盟条約」と位置付けている人もいるが、この人は「同盟」関係をあまりにも拡大解釈しているとしか考えられない。なかには自称「軍事アナリスト」の小川和久氏はすでに日米同盟の双務性は高いと主張しているようだ(朝日新聞3月5日朝刊)。「米国の同盟国の中で非対称的だが、最も対等に近い。米国にとっては日本は唯一、米国本土と同じ重要性を持つ戦略上の拠点だ。米軍を助けに行かないと片身が狭い、という感情的な反応ではいけない」という。ここで小川氏が言う「米国の同盟国の中で非対称的だが」とくぎを刺しているのは、日本が他国から攻撃を受けた場合、アメリカは日本を防衛する義務を負うが、アメリカが攻撃されても日本がアメリカを防衛する義務を条約上負っていないことを指していることを意味しているのは間違いない。にもかかわらず、日米同盟が最も対等であるのは、日本がアメリカ軍に基地を提供しているからというのが小川氏の主張の根拠にあると考えられる。
しかし、これは単純な「貸し借り」の関係にすぎない。日本は米軍に米軍の
使用目的のための基地を置く場所を提供し、その代償としてアメリカは日本を
防衛しますよ、という「貸し借り」の関係が条約上約束されているだけで、だから日本に置かれている米軍基地は日本を防衛するためだけに存在しているわけではない。
小川氏のような屁理屈がまかり通らないことは、日本は新興国に対する経済援助(ODA)で、1990年~2000年まで世界1を維持してきたが、日本からODA援助を受けた新興国が見返りとして日本を防衛する約束をしてくれたことは一度もないことを想起するだけで十分であろう。日本はODA援助の代償として、ODA援助によって新興国が建設する公共事業は日本の企業が優先的に受注しますよ、という形で「貸しを返して貰っている」という関係である。
同様に米軍も日本本土、特に首都圏に米軍基地を配備してはいるが、日本に配備されている米軍基地の主力は沖縄に集中している。もちろん日本を攻撃しようとする国があったとして、首都東京からはるか離れた沖縄を攻撃目標にすることなどありえず。沖縄に配備されている米軍基地や米兵の任務は日本本土の防衛ではなく、グアム、フィリピンとともに東南海の米軍による制海・制空権を維持・確保するのが目的である。一方日本としても沖縄を含めて日本全国に配備されている米軍基地と米兵は、日本防衛のかなめになっていることも間違いない。そういう意味では日本の「国益」とアメリカの「国益」が一致したケースの一つといえよう。
安倍総理が昨年12月に靖国神社を参拝したとき、アメリカ政府は「失望した」という異例のコメントを発表した。総理の靖国参拝に対して産経新聞は「国民が待ちに待った日だ」と社説(産経新聞の場合は社説に相当する記事を「主張」としているが)、読売新聞と朝日新聞はこぞって批判した。私も今年に入ってだが、1月8日にブログでこう書いた。
現職総理の靖国参拝は2006年8月15日(終戦記念日)の小泉総理以来である。このときは中韓との領土問題も生じていず、考えようによっては8月15日は「不戦の誓い」を国を挙げて行ってもいい日だ。ただ靖国神社への参拝が「不戦の誓い」にふさわしいかどうかは別である。
海外の反応について、中韓が激しく反発することは安倍総理も当然、予想していたであろう。総理にとって「想定外」だったのは米政府の反応である。これまで日本の総理の靖国参拝については、米政府はあえて干渉することは避けてきた。が、昨年10月にケリー国務長官とヘーゲル国防長官が来日した際、氏名不詳で遺族に渡せない戦没者の遺骨を納めた千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて献花したのは、今から考えると安倍総理が日ごろから「第1次安倍内閣時に靖国参拝ができなかったのは痛恨の極み」と公言していたことから、安倍総理の靖国参拝は米政府にとっては「想定内」のことであり、だから敢えて千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れて安倍総理に「靖国参拝を強行して、いたずらに中韓との摩擦
を拡大するな」という米政府の意志を暗黙に伝えたかったのかもしれない。実際米政府は安倍総理の靖国参拝の報に接し「日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させるような行動をとったことに失望している」という異例の声明を発表した。(中略)
私自身は実はこれまで、安倍総理のリーダーシップを高く評価していた(ブログにはことさらには書かなかったが、外交・国内問題に決して逃げようとせず立ち向かってきた姿勢を、記事の行間に込めて書いてきたつもりだ)。が、この時期の靖国参拝で、残念ながら私の総理への評価は180度ひっくり返さざるをえなくなった。
そもそも安倍総理は「リーダーシップを発揮する」ということをまったく理解していないのではないのではないだろうか。指導者は確固たる信念を持つことは大切だが、周囲のことを無視して、自分の固有の信念に基づく行為を強行することがリーダーシップの発揮ではない。戦没者の霊に対する尊崇の念と感謝の気持ちは私にもあるが、それは私自身の心にあるもので、私がその思いを表すために靖国神社に参拝しても何の問題も生じないが、一国の首相にはそういう自由はない。首相の行動は、国の方針と取られるのが国際社会の常識である。安倍総理の説明には、私も一定の理を認めるにやぶさかではないが、その思いが国際社会から素直に受け止めてもらえる状況にあるのかどうか、その一点に思いを致してから行動に出るのが真のリーダーシップというものであろう。
その後、私は沖縄で集団自決に追い込まれた犠牲者が靖国神社の合祀されていないことを知り、そうなると靖国神社の「A級戦犯もお国の犠牲者になった人たちだから戦没者と同等に扱うことにした」という説明がまったく合理性を欠いていることを知り、もしその事実を小泉氏や安倍氏も知っていたら靖国神社参拝を見送っていただろうとブログに書いたが、そのことはとりあえずおいておく。
実はケネディ氏がインタビューで乱発した言葉にもう一つある。それは「国益」という言葉だ。つまり安倍総理が靖国参拝を強行して中韓との関係を悪化させ、アメリカの「国益」を損ねたことが「失望」の原因であることをはっきりとではないが、言いたかったようだ。アメリカにとっての東南アジア方面における国益とは、日中、日韓、中韓が良好な関係を保ち中国に南下政策の口実を与えないことの一点にある。そういう意味で、アメリカのこの方面における「同盟国」である日本と韓国はいがみ合うのをやめて仲良くして貰わなくては困る、というのがアメリカの本音なのである。
国益とは何か。同盟とはどういう関係を意味するのか。
日本にとっての国益と、アメリカにとっての国益は、少なくとも経済や貿易
の分野においては大きく異なっていることはTPP交渉での両国の対立からも明らかであろう。この場合、国益とは両国政府にとっての「国益」にすぎず、政権が変われば「国益」も変わる。
日本の防衛問題については、いちおう日米安保条約上では、「貸し借り」の関係で日本がアメリカから防衛してもらえることになってはいるが、万一中国が日本の尖閣諸島を武力制覇しようという挙に出たとき、アメリカが日本にとってどの程度頼りにできる存在なのかははっきりする。尖閣諸島の帰属ごときでアメリカが血を流してくれると思っていたら、とんでもない目にあう。いまのところ、言葉の上では「尖閣諸島は日米安保条約の範囲だ」と中国をけん制してくれてはいるが、そんなリップサービスはいざというとき何の役にも立たないことは世界の歴史を紐解くまでもなく明白である。
最近、自民党の石破幹事長が、安保法制懇の報告書がまだ出ていないのに、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めるよう、与党(自公)に対する根回しを必死に行っている。しかも先日のテレビインタビューでは集団的自衛権の行使について従来の政府解釈(日本と密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと見なして軍事力を行使する権利)を微妙に変えて「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けて、日本に応援を求めた場合」と、集団的自衛権行使の条件を変えだした。私のブログで、従来の政府解釈で集団的自衛権行使を憲法解釈の変更で行うのは無理と考え直したのだと思うが、集団的自衛権は国連憲章51条『自衛権』に規定されている権利であって、日本にとっての集団的自衛権とは、自衛隊だけでは日本を防衛しきれないと政府が判断したとき他の国連加盟国(現時点ではアメリカ)に応援を頼める権利のことであって、密接な関係にある他国(差し当たっての対象もアメリカ。将来NATOのような環太平洋安全保障体制が構築されれば集団的防衛体制になるから日本の自衛力は飛躍的に強化される)の防衛に自衛隊が手を貸すのは、現行憲法を改正しない限り不可能である。
公明党は、いまのところ憲法解釈の変更による集団的自衛権行使には同意していないし、もし同意するようなことがあったら党の自滅につながりかねないから、石破氏が「このチャンスを逃すと、当面集団的自衛権行使は不可能になる」と悲鳴を上げても、どだい無理な話は無理である。憲法解釈の本校といった姑息な方法は早々と諦めて、現行憲法が「平和憲法」だという幻想を国民に時間をかけても説明していくのが王道であろう。
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